園長通信~こころ~ №346
                        青田風・晩秋
                                                                                          2025.11.25
                                                                            
    いつものように、お店に着いた。駐車場には、端っこにご主人の白いボルボがとまっているだけだった。となると、お客さんはいないという予想が成り立つ。お店の入口に何やら貼り紙らしきものがある。「女性店主入院のためスイーツはお休みします。」とあった。残念。同時に女性店主のことが気にかかる。
 お店に入る。案の定、ご主人が特等席で寛いでいた。しばらくの間、お客さんが来なかったのだろう。ご主人と入れ替わるように、我々が特等席に落ち着く。ここからは、眼前に広がる田園風景が一望できる。   

    稲穂が首を垂れる時期を逃してしまった。すでに稲刈りは終わってしまっていた。それでも、目の前の景色には、心を落ち着かせてくれるだけの魅力がある。お店に着く前から、ご主人が淹れてくれる一杯の珈琲と奥様が用意してくれるケーキとを決めていた。頭も口もそうなっていた。
 ところが、ケーキを注文することができない。こうなると、一杯の珈琲にすべてをかけることになる。いつも以上に、慎重に選んだ。だが、頼むものは、いつもと変わらない。それでも、いつも以上に味わいながら飲んだ。もう季節は晩秋を迎えている。ちょっと寂しげな風景が広がる田園を眺めながら、深まりゆく秋を味わいつつ珈琲カップを口に運ぶ。これはこれでよい。              

     女性店主である奥様は、今の時期であれば、ケーキの傍らにどんなフルーツを添えてくれただろうか。いつも、その季節に合わせたフルーツが、美味しいケーキをさらに美味しくしてくれている。それは、桃だったり、梨だったり、葡萄だったりする。          我々が入店したことが呼び水となったのだろうか。次から次へと、お客さんが入ってきた。あっという間に満席となった。ご主人は、一組一組に丁寧に対応していく。我々以外にも、スイーツがないことを残念がっているお客さんがいた。やっぱり、そうなのであろう。あのスイーツには、奥様のこころも添えられている。                                    元々ギャラリーをなさっていたご主人だけあって、店内にはセンスの光る展示物が置かれてある。この前来たときとは、飾られているものが変わっていた。夏のときとは違って、秋の時期に合わせたかのような色合いのものだった。そのさり気なさがいい。                                    

    次は、田園風景が真っ白に染まる雪の時期に来てみたい。白一色の世界である。昨シーズンは時機を逸した。青田風は、訪れる季節によって、見える景色も店内も変わっていく。それがこのお店の魅力となっている。加えて、ご主人と奥様の人柄である。この次は、ぜひとも奥様のスイーツを楽しみたい。添えられるのはイチゴだろうか。そんな気がする。                              
 

 

 国語指導編

 

  視写には効果がある

 視野の効果として、以下のことが挙げられます。

  〇   やることがはっきりしているので集中力がつく。

  〇   書くときの約束事がわかってくる。

  〇   読んだだけではわからないことも気づくことができ

      る。

  〇   文の構造が理解できる。

 本時の内容で、ポイントとなる部分を視写させます。

 

 

視写する部分を決めて、声に出して読みます。

 

ていねいな字で書いていきます。競争ではありません。

 

どんな単位で視写すればいいのでしょうか。 低学年 1文字ずつ、ていねいに写します。 中学年 文節ごとや、もっと長い単位で写せるようにします。  文節ごと   1日の/気温の/変わり方は、/天気に/よって/   ちがいが/あるの/だろうか。  もう少し長く   1日の気温の/変わり方は、/天気によって/ちがいが/   あるのだろうか。 高学年 1文ごとに写せるようになるとよいでしょう。 中学生 1文から2文ごとに写せるようにします。

1文字  →  単語  →  文節  →  文

 

視写をすると、説明文の言い回しを頭にしみこませることができます。説明文の書き方に慣れて短い説明文を書けるようになります。

 

 

「は」「が」「を」のような言葉と言葉をつなぐ部分、「次に」「また」「ただし」「まず」「一方」のような文と文をつなぐ部分の言い回しを意識するようになります。

 

 

教科書から、どんな文や文章を選べばいいのでしょうか。①  1・2年生は国語、3年生以上は算数(数学)・理科・社会の教    科書から選びます。②  算数(数学)は、まず文章題の問題文から始めます。ある言葉   を説明している定義文もよいでしょう。③  理科は、その単元のまとめの文や定義文がおすすめです。④  社会は、用語解説の文章がおすすめです。

 

 

園長通信~こころ~ №345
                        生きて、燦々
                                                                                          2025.11.21
                                                                            
 「生きて、燦々」これは何か。歌のタイトルである。テレビで放映されているアニメ「キングダム」第6シリーズのオープニング曲である。このタイトルに目がいった。それはなぜか。「燦々」だからである。
 現在は、毎日のように「園長通信~こころ~」を出している。以前は、「校長室だより~燦燦~」を出していた。5年にわたり、1000号まで出した。したがって、「燦燦」には、それなりの愛着も思い入れもある。                                                                      

 歌のタイトルで「燦燦」というと、やはり美空ひばりさんの「愛燦燦」が出てくる。校長室だよりに「燦燦」と名付けたのも、プロのオペラ歌手の方が歌う「愛燦燦」を聞いたのがきっかけとなっている。                                                                                

 燦々が歌のタイトルになるのは珍しい。歌うのは、いきものがかりである。いきものがかりといえば、私にとっての一番の名曲は「YELL」となる。合唱コンクールの課題曲だった。中学校の合唱部が歌う「YELL」を聞いたことがある。それも、全国合唱コンクールで上位に入賞するような中学校の合唱部だった。鳥肌が立った。感動で涙が出てきた。それ以来私にとって「YELL」は特別な曲となった。                     そのいきものがかりが、大好きなキングダムの主題歌を歌うのである。それもタイトルが「燦々」ときた。うれしい。問題は、このキングダムである。なかなか進まない。テレビでは第6シリーズだが、コミック本は77巻まで出ており、もっと先の話になっている。そして、最新話となると、当然もっともっと先の話となる。さらには、映画となると、一気に戻る。
 同じキングダムなのだが、話が先に進んだり、戻ったりするわけである。いったい、どの戦いだったのか。誰がどうしたのか。復習しないと混乱してくる。それでも、一つだけ言えることがある。いずれもおもしろい。それがキングダムの魅力であろう。                                     

 「生きて、燦々」には、「、」が入っている。これもそう多くはないだろう。「校長室だより~燦燦~」1000号から100を選び抜き、本にした。タイトルは「人生は、燦燦と」である。「、」が入っている。なんだかシンパシーを感じる。「、」を入れるだけで印象も意味合いも違ってくる。 

 キングダムのテレビアニメは、いつもお休みが入る。第6シリーズが終わると、すぐに第7シリーズにいってほしい。ところが、中断してしまう。仕方がないことではある。その間は、コミック本や映画のほうを楽しむことにしたい。                                                    
 

園長通信~こころ~ №344
                       フレンドシップ
                                                                                          2025.11.20
                                                                            
 幼稚園の4歳児クラスでは、先生が「森のくまさん」の絵本を読んでいる。子どもたちに、この後どうなったかと続きの話を聞いている。子どもたちは考える。自分が考えたことを発表する。なかなか思い通りには話せない。自分が考えたことを絵にしてみる。言葉にできない部分を絵で補う。絵にすることで、言葉が出てくるかもしれない。                                              

 5歳児クラスでは、宝とりゲームを行っている。2つのチームが宝をとろうと競い合う。チームごとに作戦を考える。そのための話し合いを行う。話し合いのリーダーとなって、みんなの考えをまとめていく子どもがいる。話すのだが、自分の考えをうまく説明できない子どもがいる。それはこういうことだよねと助け船を出す子どもがいる。作戦を考えられない子どもがいる。考えてはいるのだが、話そうとしない子どもがいる。                                                  
    このような状況は、小学校でも、中学校にいっても見られる。基本的には、幼稚園と変わらない。友達の前で自分の考えを表現させたいという先生方の願いがある。これから、子どもたちが成長していく過程で、自分の思いや考えを表現できれば、きっと健やかに成長していけるに違いない。幼稚園では、そのための土台づくりをしている。
    先生は、どのような題材ならば自分の考えを出しやすいかを考える。どのような設定にすれば発表しやすいかを考える。森のくまさんの続き話に正解があるわけではない。むしろ正解などないほうがよい。正解がないからこそ、自分の考えを出しやすくなる。
 宝とりゲームの作戦に大人が考えるような正解がないわけではない。だが、正解を考えることがねらいではない。チームが勝つために、自分なりの考えを出せるようにしたいのである。勝ち負けがあることは、考えを出すためのモチベーションとなる。
     なかなか話せない子がいれば、先生は、次の機会ではこうしたほうがよいと考える。そして、やってみる。そのような先生方の計画的、意図的な営みにより、子どもたちは少しずつ変わっていく。今まで話せなかった子が、少しずつ話せるようになっていく。その歩みは決して早くはないかもしれない。だが、一歩一歩、着実な確かな歩みである。
    前述のような話し合い活動を積み上げていくことによって、学級の仲間意識が芽生え、学級集団づくりが進んでいく。これも、小学校へ向けての土台づくりとなる。自分のことだけでなく、友達の考えを受け入れたり、賛同したり、共感したりできるようになっていく。いわば、フレンドシップである。これからも、フレンドシップをもとにした学級集団づくりを大切にしていきたい。    
 

園長通信~こころ~ №343
                        信頼と尊敬
                                                                                          2025.11.19
                                                                            
 一流のリーダーとはどんな人か。むずかしい質問である。民間会社など一般社会のことが、そのまま教育界にあてはまるわけではない。だが、大いに参考にはなる。教育界にもリーダーは必要である。                                                                                   

 たぶん、リーダーや指導者というと、一般的には、その人にすべてを求めるのではなかろうか。スポーツの指導者で考えてみる。人柄がよく、気遣いができ、人格者だとする。だが、思いの外、チームは勝たない。                                                                        

 一方、お世辞にも人柄がいいとは言えないし、自分勝手な面もある。ところが、チームは勝つ。その競技における専門性というか、勝負勘がよかったりする。                         前者のような指導者のほうが評判はよいだろう。後者のような指導者は評判はよくないが、結果を残す。果たして、どちらの指導者のほうがよいのだろう。それは、選手が求めるレベルにもよる。全国大会優勝を目指すような選手は、後者のタイプのほうがよいかもしれない。反対に、そこまで高いレベルを求めないのであれば、前者のタイプのほうがよいかもしれない。                    

 後者のタイプは、専門性と勝負勘だけでチームを勝たせているわけではない場合が多い。実は、人を使えるのである。自分に才能がない、足りない部分を人にやってもらっているのである。それは、コーチだったり、保護者会だったり、ОB会だったりする。才能は補完が可能である。ただし、あの人のためならやるしかないかと思わせるだけのカリスマ性のようなものが必要となる。        

 全国大会で優勝するようなチームは、絶対的な指導者を頂点にして、巨大な組織で動いている場合が多い。全体が、一つのチームのようなものである。自分にはない部分、足りない面を補うために人を使える指導者が結果を残していくのかもしれない。何でも、あれもこれもと自分でがんばってしまう指導者には、意外と結果がついてこない場合がある。このへんがむずかしい。人を使えることも才能である。
 才能は補完できる。だが、補完できないものもある。それは、徳である。徳は本人固有の資質であり、代替不可能である。だから、指導者たるもの徳を積まなければならない。自ら徳を磨かなければならない。                                         
    人間力とは、信頼と尊敬の合計値である。その指導者を信頼できるか。尊敬できるか。一流のリーダーや指導者は、顔で人を導く。顔、すなわち徳であり人間力である。