園長通信~こころ~ №353
天のつぶ
2025.12.4
日曜日のランチに出かけた。この日の会場は、自宅の近くだった。最初は、ティータイムの時間に出かけてみた。ティータイムならば、予約なしで行ける。いいお店だった。そこには、センスのよさを感じさせる空間があった。帰るときに、ランチの予約をお願いした。すると、2か月先までいっぱいだった。まあ、仕方がないか。2か月先の日曜日に予約を入れた。
2か月後の日曜日が、この日だった。過ごしやすい穏やかな日だった。窓際の席に案内された。目の前には、ちょっとした日本庭園がある。メニューは、立冬の献立だった。コース料理である。どれも美味しかったのだが、とりわけご飯が格別だった。
お品書きには、「新米天のつぶ」とあった。生産者のことも書かれてある。土鍋で炊かれたものが出てきた。それなりの期待感を抱きながら、一口食べてみた。「んっ、なんだ、これは。おいしい」また一口食べた。とまらなくなってしまった。もはや、おかずなどいらない。ご飯がおいしい。お米がおいしい。お茶碗の半分まで進み、ようやく我に返った。
ここからは、ペースを落とし、他のものとの調和を考えながら、天のつぶを味わうことにした。食感は硬めだった。それがよかった。どうしておいしいのか。お米がいいのか。土鍋のせいか。このお店の女性店主がつくるからなのか。生産者の思いなのか。
我がご飯人生を振り返ってみた。ご飯、すなわちお米だけで、お茶碗一杯を食べ切ろうとしたことなど、あっただろうか。おいしい塩おにぎりを食べたことがある。今回の天のつぶは、それとは違った。純粋にお米がおいしいのである。 私を魅了した天のつぶのことが気になってきた。調べてみた。福島県が15年の歳月をかけて開発したオリジナル品種だった。しっかりとした硬めの食感が特徴で、コシヒカリやひとめぼれと同等のおいしさをもつお米とある。穂が天に向かって伸びる力強さと天の恵みを受けて実る米粒をイメージして名づけられた。 2011年にデビューした。東日本大震災の復興のシンボルとしても位置づけられている。 なるほど。だんだんわかってきた。このお店の女性店主だからこそ、天のつぶを選んだに違いない。出されるお料理一品一品に、女性店主の思いや願い、心意気が感じられた。帰るときに、次の予約を入れようとした。案の定、2か月先まで予約は埋まっていた。また、2か月先の日曜日に予約を入れることにした。どうやら、2か月に一度の楽しみができたようである。次の献立は、大寒だろうか。どんな料理になるのだろう。楽しみである。
園長通信~こころ~ №352
紅葉日和
2025.12.3
11月中旬の週末だった。そういえば、この秋は、まだ、ゆっくりと紅葉を見ていなかったことに気がついた。さて、どこに行こうか。
11月1日に、福島民友新聞の「随想」欄に「文知摺観音」というタイトルでエッセイを載せた。数日後、職場に電話がきた。文知摺観音の入り口にある普門院の○○さんだという。ご住職のお母様ということだった。民友新聞を読んでくださったとのことで、いたく感動していただいたらしかった。私はというと、わざわざご丁寧に、お電話をいただいたことに感激することとなった。
文知摺観音に行き、直接、お礼を言いたくなった。そういうわけで、出かけることにした。この日は、穏やかな晴天に恵まれた。風がなく、寒くもない絶好の紅葉日和だった。ただ、見頃が過ぎてしまっていることはわかっていた。1週前がベストだった。
駐車場に着いた。車がいっぱいだった。予想以上に人が多かった。ここで、考えた。もしかしたら、民友新聞を読み、来てくださった方もいるかもしれない。そうであれば、ちょっとうれしい。 入り口のイチョウは見頃を過ぎていた。中へと進むと、モミジは綺麗なのだが、見頃のピークではないことは明らかだった。それでも、十分に紅葉を味わうことができた。
この前、文章に書いた場所だと思うと、また格別の味わいがあった。人がどんどん入っていく建物があった。「床もみじ」である。綺麗なモミジが、ピカピカに磨かれた床に映る。借景である。窓から見えるモミジを絵画のように美しく切り取ることができる。次から次へと、写真を撮る人が絶えることはない。
文知摺観音と言われている敷地を一通り巡った。普門院がどこなのかがわからない。社務所で聞いてみた。すると、どうやら近くに安洞院があり、そちらにいらっしゃるとのことだった。案内された方向に歩き出した。程なくして、安洞院600M先という案内板が見えた。意外と遠かった。駐車場に戻り、車で行くことにした。 やっぱり車にしてよかった。すぐ近くではなかった。安洞院は、立派なお寺だった。普門院・文知摺観音とは対照的な趣だった。人がおらず静かだった。こちらにも綺麗なモミジがあった。ちょうど見頃だった。
案内所らしき建物にお邪魔した。事の経緯を説明した。すると、ご住職と奥様が来てくださった。お電話をくださったお母様には会うことは叶わなかった。突然の訪問にもかかわらず、ご住職が我々を案内してくださった。
床もみじは、若葉の季節には、床若葉になることを知った。絵葉書になった写真も見せていただいた。もみじとは違った味わいがあった。樹齢450年にもなる、しだれ桜のことも教えていただいた。安洞院は、お寺さんなのだが、桜や若葉の季節、そして秋の紅葉シーズンには、穴場的存在になることを知った。
高台にあるため、福島盆地を一望することができた。西側から福島盆地を見ることには慣れている。一方、東側からとなると、あまり見る機会がない。それだけに新鮮だった。急な訪問だというのに、とても親切にしていただいた。かえって恐縮してしまった。
この日、文知摺観音を訪れた人たちは、みな穏やかな表情をしているように見えた。まさしく錦秋である。紅葉日和の、こんな穏やかな一日があってもよいと思えた。安洞院の皆様のおかげで、そう思うことができた。
N中ソフトテニス部の軌跡 No.19
初めての体育館練習
2025.12.2
今シーズン初めての体育館練習を行いました。思っていた以上にボールが弾(はず)んできて、最初は思うようなボールが打てなかったことと思います。ところが、だんだんと慣れてきて、練習の後半には、まっすぐにボールがとぶ人も出てきました。それは、次のことができるようになってきたからです。
○ 構(かま)えを低くする。
○ 早くラケットを引く。
○ 左足を踏(ふ)み込んで前で打つ。
体育館での一番のポイント、重要(じゅうよう)なことは、次のことです。
○ 早くラケットを引いておく。
○ 弾む分を計算してボールに近づきすぎない。
逆に、カットサービスをレシーブするときには、次のようにします。
○ ラケットを引いて、ボールに近づく。
久しぶりに、試合をやってみました。体育館の感触(かんしょく)に慣れるためです。見ていると、試合の感覚(かんかく)は残っているようでした。練習してきたフォアストロークのいいところが、試合にも出ていました。
前衛の正面ボレーは、どんどんよくなっています。前でボレーができるようになってきました。これからの課題は、スマッシュとハイボレーです。ハイボレーとは、高いボールを腕(うで)を伸ばしてボレーすることです。
後衛は、走って打つ練習をしました。走り方はよくはなってきていますが、ボールに追いついて打つときに、体勢(たいせい)が崩(くず)れてしまっています。ボールに追いついて打つときに、練習してきたフォアストロークレベル1の打ち方をしたいのです。打つときに踏ん張るイメージです。これから練習していきます。
体育館練習が2時間できるときには、クラブチームと一緒に練習できるようにしました。県1位のペア、県ベスト8のペア、県トップの小学5年生などが来てくれる予定です。一緒に練習すれば、かなりの刺激(しげき)を受けるし、速いボールにも慣れることができるでしょう。
12月1日(月)の初めての体育館練習は、参加した全員がよかったと思います。技術的には、それぞれ、うまくいったところ、うまくいかなかったところはありますが、気持ちが入っていました。練習してうまくなるぞという心を感じました。次の体育館練習も楽しみです。
園長通信~こころ~ №351
魂との邂逅
2025.12.2
ある人が、自伝的仕事論を書いた。今まで出版した著書は、すぐに増刷がかかるほどだった。ところが、この著書は、なぜか、全く増刷の声がかからなかった。内心、こうした自伝的仕事論など、あまり求められていないのか・・・と、少し落胆していた。
ある夜、一通のメールが届いた。それは、会社で働いている若い女性のようだった。こんなことが書かれてあった。
家に帰る終電の中で、この本を読みました。涙が止まりませんでした。この本を有り難うございます。
ある人は、このメッセージを読んで、こう思った。ああ、このたった一人の読者でもよい。こんな思いで読んでくれる読者がいただけで、もう十分だ・・・。不思議なことに、この著書は、その後、ある人にとって最初のロングセラーとなった。 かつて、文芸評論家の亀井勝一郎が、その『読書論』の中で、「読書とは、著者の魂との邂逅である」と述べていた。ある人は、言っている。私は、著者としての歩みの中で、「執筆とは、読者の魂との邂逅である」と考えている。 私の場合は、魂などというレベルではない。だが、それでも、いつも読者のことを考えながら書いている。たった一人のことを意識して書くこともある。そのほうがいい文章になる。たった一人に向けて話したり、たった一人に向けて書いたりしたほうがよい。かえって、聞き手にも、読み手にも伝わりやすくなる。 残念ながら、著者の魂と言えるほどのものは持ち合わせてはいない。そもそも、そのレベルにチャレンジしたこともない。最初から諦めている自分がいる。どうせ無理だ。たぶん無理だろう。自分に勝手に制限をかけてしまっている。こういったことは多い。自分の可能性を自分でつぶしている。そのほうが楽なのかもしれない。 高校生の頃に、よく亀井勝一郎の本を読んだ。おもしろかった。ためになった。今は、毎日のようにエッセイを書いている。だが、自分の中には、評論に対する憧れのようなものがある。書いてみたいという思いをずっと抱いている。書くためには、それなりの知識や専門性が必要となる。このハードルは、決して低くはない。今更ではあるが、そろそろチャレンジしてみようか。
園長通信~こころ~ №350
出会い再び
2025.12.1
週に2回、市役所に行っている。文書送達という業務のためである。担当部署に文書等を提出し、必要なものを受け取ってくる仕事である。まあ、いうなれば大人のおつかいだろうか。
いつも必ず行く担当課がある。それとは別に、たまに行く課がある。これが楽しみである。役所というところは、フロアや担当部署によって雰囲気が違う。仕事の内容も人も違うからだろうか。
この前は、〇〇課に行くことになった。久しぶりである。この課では、採用4年目になる知り合いの方が活躍している。ちょうど1年前である。今回と同じ用事で、この課に行ったことがある。任務を終え、エレベーターへと向かっていた。すると、背後から私を呼ぶ声がした。彼女だった。わざわざ追いかけてきてくれた。このエピソードは、昨年の「園長通信~こころ~」第150号に載っている。 採用4年目を迎える彼女が、まだ同じ課にいることはわかっていた。今日は、もしかしたら会えるかもしれない。そんなことを考えながら、エレベーターに乗り、4階のボタンを押した。4階の様子を観察しながら、〇〇課へと向かった。
カウンターの近くにいた方に声をかけようとすると、私を見てすぐに反応した。彼女だった。こちらもすぐに彼女だと認識した。あまりにもあっけなく再会できた。何だかうれしかった。1年前とは、少し雰囲気が違っていた。市役所の職員として、いや社会人としての落ち着きを感じることができた。
きっと、この3年あまりの間に、様々な経験をし、自分を成長させてきたのだろう。思い悩んだ日々もあったはずである。まわりの方々に助けられたこともあったに違いない。そうやって、少しずつ自信をつけてきたのかもしれない。自信というのは、社会人としてやっていけそうだ。市の職員として頑張っていけそうだという感触のようなものである。手応えといってもよいかもしれない。
1年前も思ったのだが、彼女は、我が娘と同じような雰囲気をもっている。似ている。それもあってか、応援したくなる。今でも忘れない。彼女が採用1年目で、私の前に現れた日のことを。初々しいのだが、何か芯のある、将来性を感じさせる人物だった。あのときの私の眼に狂いはなかったように思う。私の読みに、間違いはなかったと思っている。
醸し出す雰囲気というのは重要である。いろいろな人と接しながら仕事を進める立場であろう。第一印象も含めて、その人がもっている雰囲気は事の正否を左右することもある。同じ部署で4年目になるが、仕事の内容は変わったとのことだった。いろいろな仕事を経験して、自分を成長させてくださいと励ました。
彼女は、まだまだ若い。まわりの方々への感謝を忘れずに、日々、精進してほしい。20代が重要である。「若いときに流さなかった汗は、老いてから涙となる」今度は、用もないのに、4階をうろうろしてみようか。彼女の今後の活躍と成長が楽しみである。