園長通信~こころ~ №360
指導の真髄
2025.12.15
指導するときに、先生方はよく生徒を叱りますよね。だから、講習会などで、どうして先生は生徒を絶対に叱らないんですかって必ず聞かれるんです。 これは、どの教科にも通ずることだけど、例えば分数でつまずいている生徒に「なんでおまえは分からないんだ」って叱っても、分からないものは分かりません。なぜ分からないのか、どうすれば分かるようになるのか、指導者は生徒が理解できる方法を教えて納得させてあげればいいんです。 音楽も同じです。「こう吹いてごらん」「ダメか・・・」「じゃ、こうしてごらん」「ああ、できた」こうした過程を経ることで僕自身がその生徒から指導法を勉強できるんです。つまりできない生徒が、僕に新しい指導法を提供してくれるわけです。だから、逆にお聞きするんです。どうして提供者を叱るんですかって。僕に言わせれば生徒は「神様」なんです。
いい指導者っていうのは、いろいろな指導法を知っているんです。僕が転任先の吹奏楽部をすぐに全国大会に連れていけるのは、これまで出会ったたくさんの生徒から習った指導法を用いて、つまずいている生徒を導いてあげることができるからなんです。 いい医者であれば、患者さんの顔を見ただけで、どの薬がいいかって分かるでしょう。だから僕は名医になりたいんです。そのためには、とにかくいろいろな病気の患者さんと付き合いたいですね。
できない生徒がぐずぐずしていると、イライラしてすぐ叱っちゃう人がほとんどだけど、できなかった生徒ができるようになる瞬間っていうのは最高に嬉しいから、生徒がうまくなることが僕の楽しみです。だから、毎日が楽しくてしょうがないんです。
これは、赴任した中学・高校の吹奏楽部を次々と吹奏楽の名門へと生まれ変わらせた名指導者のお話である。その指導の極意は、音楽指導を越えて、あらゆる分野に通じるものであろう。
国語の授業で叱ることはなかった。なぜなら、勉強は叱っても分かるようにはならないからである。だが、部活動では、まるで別人のようだった。今思えば、指導法の引き出しが足りなかった。経験を積んでくるうちに、だんだんと引き出しが増えてきた。その生徒に合った指導法を考えることができるようになってきた。とはいえ、うまくいかないときもある。まだまだ、生徒を提供者だと見ることができずにいる。それでも、努力を重ねていけば、生徒を神様だと思える日がくるのかもしれない。そのとき、指導の真髄が分かるのかもしれない。