ローリング・サンダー・レビュー -18ページ目

ローリング・サンダー・レビュー

映画・音楽・小説・マンガのレビューブログ。

Q

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【2000年代、僕が狂った20枚】 第3位

ミスター・チルドレン 『Q』(2000)


暗黒の高校時代、それこそ狂ったように聴いていたのが『深海』と『BOLERO』と『DISCOVERY』と、そしてこの『Q』だった。2000年以降のミスチル作品の最高傑作は一般的にはおそらく『It's a wonderful world』になるのだろう。だがそんなことは知らん。音楽を聴くことはあくまで個人的な体験だ。僕が一番苦しかったときに、ミスター・チルドレンは『Q』で一緒に苦しんでくれたのだ。

『Q』は矛盾に満ちたアルバムだ。ぐちゃぐちゃだと言っていい。アルバム全体に一貫性がなく、同じような曲がひとつもない。バラバラだとも言えるし、多様性があるとも言える。アルバムを通して聴いても、テーマのようなものは一切感じられない。『Q』は9枚目のアルバムだから『Q』というタイトルになった。つまりは『無題』ということだ。こんなにテーマのないアルバムに、タイトルをつけることはできなかったのだろう。

この秀逸なジャケットは矛盾だらけでバラバラなアルバムの内容を示している。『深海』から這い上がってきたのにまだ潜水服を脱ぎきれていない。潜水服を着ていて飲めないはずのコーヒーを飲もうとしている。背景はコラージュでできたバラバラの光景。

『深海』から戻ってきたミスター・チルドレンは苦悩していた。まさに潜水病(the bends)にかかっていたのだ。「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」というゴーギャンの絵のタイトルのように。「僕こそが中心です」と思ったり、「その向こうへ行こう」としたり、「安らげる場所」を求めてみたり、けれど昨日探し当てた場所にジャンプしてみると「NOT FOUND」なのだ。

「ああ世界は素晴らしい」と言ってるわりにはイライラしているし、「そもそもキリスト教に僕は何の信仰もない」のに「ハレルヤ」と言ってしまうし、すべては夢からできているのに誰かの夢を打ち落としてしまうし、虹はモノクロに輝くし動物園には誰もいないし、凛と構えた姿勢には古傷があるし、とにかくすべての曲に表と裏がある。そう、まさに「矛盾しあった幾つものことが正しさを主張している」のだ。

このアルバムの多様性は、あちこちに答えを探した結果に他ならない。ポップあり、ロックあり、ハードロックあり、お得意のバラードあり、フォークあり、ブルースあり、歌謡曲あり、もうめちゃくちゃ。これだけの幅を見せたこと自体が驚異的だ。1.「CENTER OF UNIVERSE」は「DISCOVERY」で試みたradioheadの引用をよりミスチル風にアレンジすると同時に、元々Aメロだったものをサビにもっていき、途中でテンポを「一気に加速」するという実験的な曲。超名曲3.「NOT FOUND」では優しいメロディに荒々しいヴォーカルをのせるという大矛盾の離れ技をやってのける。7.「十二月のセントラルパークブルース」は明らかにボブ・ディランの引用で、「Tombstone Blues」と「Subterranean Homesick Blues」の間のような曲だということが最近やっとわかった。だからこの曲の主人公は「ホームシック」にかかってるわけだ。歌詞にはダコタハウス(ジョン・レノン暗殺の地)が出てくるし、リフはストーンズっぽいし、ビートルズとストーンズとディランがここで邂逅する。それにしても桜井和寿のヴォーカルが凄まじい。ボブ・ディランの歌い方をコピーして自分のものにしてしまっている。思えばミスチルはインディーズ時代にディランをコピーしている。8.「友とコーヒーと嘘と胃袋」は吉田拓郎っぽいらしいけど、途中のセリフも含めてかなり笑える曲で、しかし何かゾッとさせるものがある。10.「Everything is made from a dream」も何とも楽天的なタイトルかと思いきや実はえげつない曲で、このアルバムで最大の毒をもっている。とヘンな曲ばかりを紹介してきたが、「つよがり」「ロードムービー」「口笛」などの普通に良い曲が合間に挟まって、それが単なるきれいごとではないと思わせる。「Hallelujah」はのちの「タガタメ」や「and I love you」につながるスタジアムバンドらしい大曲だが、これで終わらずに、美しい小品「安らげる場所」で終わるのもニクい。

と、色々書くとこのアルバムはどんどん細分化されて、どんどん矛盾していく。本当に同じバンドが作ったアルバムなのかと思えるほどに、このアルバムのそれぞれの曲は分裂してゆく。色々なミスター・チルドレンがいて、そのどれもが正しさを主張している。何だって飲み込んで何だって消化(昇華)してすべてをポップに変えてしまう、ポップザウルスという巨大な魔物としての自己を意識したのはおそらくこの頃だろう。腹の中に飼っている魔物が暴れだしたのがこの『Q』だったのか、それともあえて暴れさせたのか、それはわからない。だが、腹の中のコントロールできない魔物とたたかっていた高校生の頃の僕にとって、この『Q』はまさに自分自身だった。どす黒い感情とそうではない何かが交錯して矛盾する、暗くしかし栄光に満ちた青春の1枚。
Is This It

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【2000年代、僕が狂った20枚】 第4位

ザ・ストロークス 『イズ・ディス・イット』(2001)


ロックンロール・リバイバルの首謀者、ザ・ストロークスの衝撃ファースト。21世紀のはじまりとともに現れたこの1枚がロックンロールを目覚めさせた。なぜ他ではないストロークスにそれができたのか?それはロックがもつシンプルさを彼らが突き詰めたからに他ならない。音がスカスカとかよく言われるが、スカスカじゃなきゃダメなんだ。すべての楽器が打楽器のようにビートをうつこのシンプルさが逆に新しかったのだから。シンプルなビート、シンプルなコード進行、リバーブかけまくってくぐもりすぎたヴォーカル、音がデカすぎるギター、そのすべてがフラットになっていたロックに凸凹を与え、音は生き生きと動き始めた。

サマーソニック03でストロークスを見たとき、ジュリアン・カサブランカスはクソ暑いのに革ジャンを着て、カップでコーヒーを飲みながら歌っていた。まるでコーヒーを飲む間に歌うかのように。シビれたね。ストロークスの格好良さはこれに尽きる。やる気のなさ。適当さ。ひねくれ。皮肉。都会的なセンス。

ストロークスの登場以後、欧米のバンド数は倍以上になったと言われる。「これならオレでもできる」と思ったんだろう。ピストルズが登場したとき、ヴェルヴェッツが登場したときと同じだ。例えばアークティック・モンキーズがそのひとりだったことを思えば、ストロークスが無意識に蒔いた種が爆発的に広がって、面白おかしい世の中になってきたということもわかる。

シンプルなものをやるには力が要る。全部聞こえてしまうから誤魔化しがきかない。それを見事にやってしまった物凄いアルバムなのに、ストロークスはそんなことをおくびにも出さず、「で、これがそれ?」なんて皮肉たっぷりの適当なタイトルをつけて飄々としている。ポケットに片手を突っ込んで、ストロークスはあまりにも格好良いのだ。
Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not

¥1,008
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2000年代、僕が狂った20枚】 第5位

アークティック・モンキーズ
『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』(2006)


アークティック・モンキーズは僕のヒーローだったりする。とにかく僕らの世代は批判されている。年寄りが若者を批判するのは常らしいが、それでも僕らの世代に対する批判はもはや非難と言ってよく、あまりにも大人気ないというか正直言って異常とさえ思える。家を買わず、車を買わず、酒を飲まずで何が悪い?「3年でやめる」世代とか「他人を見下す」世代とか「引きこもり」の世代とかいうわかりやすくてくだらんレッテルを好き勝手に貼りやがる。僕が言いたいのはまさにそう、「他の奴がオレのことを何と言おうと、それはオレじゃない」というこの傑作1stのタイトルどおりのことだ。

僕らの世代は「とらわれない」世代だ。好きなものは好きだし、良いものは良い。ただそれだけ。ピカソが書いたから良いとか、難解だから良いとか、古典だから良いとか、そんな概念はない。すべては権威も箔もなく並列的に存在している。そしてアークティック・モンキーズがやってみせたのは、僕らの世代にしかできないことだった。大英帝国伝統のブリティッシュロック、ストロークスやヴァインズなどのガレージロック、ディジー・ラスカルなどのラップ、クイーン・オブ・ザ・ストーンエイジなどのアメリカン・ハードロックなどの影響がごちゃ混ぜになって聴いたこともないようなロックになった。歌詞にはポリスの名曲「ロクサーヌ」が現れ、「ロミオとジュリエット」のモンタギューとキャピュレットが現れ、「ロシアより愛をこめて」を引用したタイトルの曲があったり、タイトルはドラマの台詞から。縦横無尽。

シュンペーターによれば、イノベーションとは「要素を新たな組み合わせで結合すること」だ。無からの創造などこの世にはない。文化についても同じことが言えるだろう。そして要素を組み合わせる上で重要なことは、それらが組み合わせるものと捉えられることだ。僕らの世代は、すべての要素を並列的に見ることができる。そして、家とか車とか酒とか、みんなが信じる何かを持っていないがゆえに多様化しうる。このような土壌からは間違いなく「新たな組み合わせの結合」が起きるはずだと僕は信じていた。そしてアークティック・モンキーズはあまりにも輝かしく、新たな結合を起こしてしまった。なんて格好いいんだろう。そしてこの最高のファーストアルバムは頑迷固陋な音楽批評家どもに評価されなかった。そして笑ってしまうことに、セカンドになって手の平を返したように高評価し始めやがった。年寄りは永遠にビートルズとストーンズだけ聴いてろ。僕らはビートルズとストーンズを聴いた上でアークティック・モンキーズを聴くから。僕らの世代を代表するバンドの最高のファーストアルバム。
White Blood Cells

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2000年代、僕が狂った20枚】 第6位

ザ・ホワイト・ストライプス
『ホワイト・ブラッド・セルズ』(2001)


ホワイト・ストライプスの3rd。一般的には『エレファント』のほうが評価が高いが、個人的にはこっちのほうが好き。とにかく「Fell in Love with a Girl」が素晴らしすぎる。こんなに格好いいギターの音を僕はそれまで聴いたことがなかった。僕はギターを弾かないから上手いか下手かはわからないんだが、適当に弾いているようで実はめちゃくちゃ上手いんだと思う。ホワイト・ストライプスはギターとドラムのたった二人の編成だが、何のことはない、ジャック・ホワイトのギターさえあれば十分すぎるほどなのだ。という思いを見透かしたように、ドラムとヴォーカルのみの曲なども入っていたりするのも面白い。

2000年代は、ロックにとって素晴らしい10年間だった。新しい良いバンドが次々と現れ、ベテランはベテランでなぜか良い作品を出した。それはすべて、ストロークスとこのホワイト・ストライプスが起こしたガレージロック・リバイバルという革命のゆえに他ならない。ガレージロック・リバイバルとは何だったのか。それは音の生々しさの復権だったのだと思う。80年代のエコーがききまくってくぐもった音、90年代のパッケージ化されてきれいにまとまりすぎた音、それらに比べて2000年代の音はザラついていてベタッと身にまとわりつく。世の中からどんどん凸凹がなくなって私たちは、音楽に凸凹を求めるようになったのだろう。

泥臭いベタついた音。粗くてザラザラした音。それを象徴するかのように、ジャック・ホワイトのギターの音はギャリギャリとうなって躍動している。
ワルツを踊れ Tanz Walzer

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2000年代、僕が狂った20枚】 第7位

くるり 『ワルツを踊れ』(2007)


くるり7枚目の最高傑作。クラシックの影響バリバリであることには間違いないが、それはあの難しくて聴きにくいクラシックではなく、街中で流れているモーツァルト(アマデウス!)のようなクラシックだ。ストリングスを多用すると壮大になりすぎて曲との距離感が遠くなることがしばしばあるが、手作り感を至上命題とするくるりにかかればストリングスさえも丸く優しくかわいく響く。何をクラシックっぽいと思っているのかは音楽の素養はさっぱりなのでわからないが、少なくともロックンロールの8ビートの興奮はここにはない。拍子ではなく、旋律。メロディオタク、くるりの本領発揮。

あえて言うなら、このアルバムは1枚目『さよならストレンジャー』に似ている。「レンヴェーグ・ワルツ」なんて「ランチ」そのままだし、「オールドタイマー」で見せた超難しいメロディラインは本作に通じる。くるりはデビュー当初からメロディオタクだったが、イライラしたりピコピコしたりロックンロールしたりしてメロディだけではない何かを求めていた。本作はいわばメロディオタク、クラシックオタクで何が悪いねん、という開き直り。というと言いすぎだけど、本当に好きなものをやった感はある。

クラシックに影響された結果としてこのアルバムは、欧米のオールディーズのようなアルバムになった。「ジュビリー」なんて、アンディ・ウィリアムスの「ムーンリバー」そっくり(狙ってやってるのかもしれないけど)。むかしのなつかしい歌謡曲。誰もが口ずさむようなお手軽で極上のメロディ。実はくるりが志向したのはオールディーズなんじゃないか?「レンヴェーグ・ワルツ」や「スロウ・ダンス」であえて録音の音質を下げて、まるで昔のラジオでかかっている歌謡曲のように響かせているのはそのためでは?

まったく音楽というのは不可解で、音がある特殊な順序で連なって音楽になる。ひとつの音だけでは音楽とは言わないし、順序がルールからズレていても音楽にはならない。音と音との関係性が生む時間の流れが音楽だ。ひとつひとつではたんぱく質のかたまりに過ぎないチミン・アデニン・シトシン・グアニンが二重らせんという関係性を形成して私たちが私たちであるのと同じように。この世界はのすべては関係性だ。ヨーロレイヒ、ヨーロレイヒ、ヴァイオリンのメロディ。音の連なりが生む無限の関係性を探って楽しむくるりの姿がここにある。
In Rainbows

¥1,010
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2000年代、僕が狂った20枚】 第8位

レディオヘッド 『イン・レインボウズ』(2007)


レディオヘッドはこれまでずっと狂ってきた。『パブロ・ハニー』では情けない自分を自嘲的に歌い、『ザ・ベンズ』では静と動が生み出す激流に身を任せ、『OKコンピューター』では絶望的な世紀末の音を鳴らし、『キッドA』『アムニージアック』では電子音とホーンが生み出すビートに狂い、『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』では世界に対して怒っていた。そこには常に音楽に身を任せて狂うレディオヘッドの姿があった。だがレディオヘッドの7枚目『イン・レインボウズ』は狂わない。ただひたすらに美しいだけだ。

多重の音を緻密に絡ませて有機的な音楽をつくるのはレディオヘッドがその誕生以来ずっとやってきたことだが、このアルバムでは電子音やノイズやサンプリングなんかがあまりなくて、逆に手拍子やタンバリンやストリングスなどの生の音が多い。だからといって『ザ・ベンズ』に戻ったのかといえばまったくそうではなく、『キッドA』以来取り込み続けてきたワープレーベル系のテクノを生の音でやったというほうが近い(例えば、squarepusherの名盤『ultravisitor』のハイライト曲「Iambic 9 Poetry」は、『イン・レインボウズ』に入っていそうな曲だ)。

だがそれだけではないと思えるのが、狂うための音楽から陶酔するための音楽への変化だ。radioheadの愛好者は自らの負の感情をradioheadの音楽にのせてそれを昇華していた。だがこのアルバムをそのようには聴けない。音楽においてすでに負の感情は昇華されているからだ。あとに残ったのは、まるで色が「見える」ような、音色を織って編んだような音楽と、それを聴いて陶酔する者だけだ。

村上春樹の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』では、音楽が失われた「世界の終り」が描かれる。音楽がない世界という想像は、音楽が私たちにとってあまりにも特別なものであることを気づかせる。『イン・レインボウズ』を聴いていると、「世界の終り」で求められるのはこういう音楽なんだろうなあと思うのだ。失われた音楽を取り戻したかのような、音の生々しさときらめく音色に満ちた、レディオヘッドのキャリア中で最も美しい一作。
図鑑

¥2,290
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【2000年代、僕が狂った20枚】 第9位

くるり 『図鑑』(2000)


くるりの2nd『図鑑』だけは、他のくるりのアルバムから完全に浮いている。とにかくイライラしているのだ。音は尖っているし、ノイズをいれるし、やたらうるさいし、「殺すぞ」とか言うし、岸田繁は金切り声をあげて歌っている。柔らかく丸い手作り感覚の音を身上とするくるりらしさがまったく見られない。ゆえに『図鑑』はくるりファンでもおそらく評価が分かれるところで、『図鑑』はニガテという人がいるのもまあわかる。それでもこの『図鑑』は、好きな奴は逆に狂うほどに好きなアルバムなのだ。

僕は『図鑑』は岸田繁のメロディメイカーとしての才能がもっとも弾けたアルバムだと思っている。音をギャンギャン鳴らしたりヘンな歌い方をして隠しているが、よく聴けばメロディが良い曲が多すぎる。どれも極上のポップソングだ。だからこそ、逆にあえてグチャグチャにしてしまいたくなったんじゃないだろうか。

まったく作品というのはよくわからないもので、作家が最悪の気分のときに最悪じゃボケと叫ぶ作品が、同様に最悪の気分にある人たちにものすごく評価されたりする。これはまさにカタルシスというもので、苦痛を浄化するためには苦痛を吐き出すしかない、しかし自分では吐き出せないので代わりに誰かが苦痛を吐いているのに自分を乗せる、つまり吐くことを追体験することによって苦痛を浄化する、ということだ。単純に言おう。暗いときには絶対に明るい音楽は聴きたくない。

大学に入ったばかりのあのときも、やっぱり僕は暗かったし、暗い音楽にしか惹かれなかった。とにかくイライラしている『図鑑』が僕にとって特別なのは、あのときの最悪の気分の僕が聴いたからかもしれない。
Yoshimi Battles the Pink Robots

¥700
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【2000年代、僕が狂った20枚】 第10位

ザ・フレーミング・リップス
『ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ』(2002)


アメリカインディーズシーンの雄、フレーミング・リップスがデビュー17年目に発表した傑作。フレーミング・リップスはまさにインディーバンドらしく、かなり変わっている。例えば1997年に『ザイリーカ』という4枚組(!)アルバムを発表しているのだが、これは4枚同時に再生して初めて全体像が見える(!!)というキワモノ中のキワモノであった。そんな変テコな彼らの最大の特徴は、絶品のメロディにあえて変な音をつけるというそのアンバランス感と4枚組でCDを出してしまうほどの音響へのこだわりだ。

『ヨシミ・バトルズ~』は、ヨシミがロボットと闘うというタイトル通り、かなりピコピコしている。生の音と打ち込みの音の違いは、言ってみればピアノとキーボードの音の違いだと思う。生の音には響きがあるから、音は短く、しかしその短さの中に無限の音階と音量がある。これに対し、打ち込みの音には響きがなく、音階と音量には0か1しかないが、1の音を長く続けることができる。このためにピコピコをやると音の立体感が出る一方で、音が均質化し尖りがちになるのだが、さすがはフレーミング・リップス、ピコピコなのに丸い音を出していて、いつ聴いてもうまい、と舌を巻く。

『ヨシミ・バトルズ~』は、幸福感にみちたアルバムだ。優しく、少しだけ悲しく、そして何より幸福だ。幸福といっても、ハッピーではなくユーフォリック。陶酔しひたるような幸福感。だが驚くことにこのアルバムは、メンバーの亡き友人(日本人女性らしい)に捧げられたものであるらしい。僕は本当にびっくりした。こんなにも幸福感にみちたレクイエムがあるのか。

「わかるかい?
 君は誰よりも美しい顔をしている
 わかるかい?
 僕らは宇宙に浮かんでいる
 わかるかい?
 あんまり幸せだと泣けてくる
 わかるかい?
 君の知っているひと全員がいつかは死ぬ」

なんなんだ、これは。なぜこんな気持ちになれるんだ?なぜこんな音楽を鳴らすことができるんだ?このアルバムを聴くたびに、優しさと悲しみが同時に襲ってきて、僕はどうにもたまらなくなる。だがこのアルバムによってもっとも救われたのは、おそらくこれを作ったメンバーたちなのだろう。幸福感に満ちたレクイエムを鳴らす奇跡の1枚。
Amnesiac

¥2,498
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【2000年代、僕が狂った20枚】 第11位

レディオヘッド 『アムニージアック』(2001)


『キッドA』の姉妹盤と言われる5枚目のアルバム。『キッドB』なんて皮肉られてるとおり、悪く言えば『キッドA』に入らなかった曲を集めたB面集。よく言うよ。このレベルの高さを前にして。

『アムニージアック』はピコピコやったり、インストやったり、声をぼかしたり、メロディはヘナヘナだったり、「反ロック」で「現代的」で「難解」であるらしい。確かにマニアックな音作りで、ポップでは決してない。ロックンロールファンにはさっぱりわからんだろう。でもさ、難解って何?数学の問題じゃないんだから。わからん奴はわからんのだから、わからんと言えばよい。わかる奴はわかるんだから、難解でも何でもないだろう。難解なんて言葉、それこそロックらしくない。

『アムニージアック』はもはやロックバンドがやる音楽ではない。3人もギターがいるのにギターの音なんてあまりしないし、打ち込みの多用はベースとドラムの存在意義を薄めた。ギタリストも、ベーシストも、ドラマーも、その存在意義を失った。それでもレディオヘッドは、自らの存在意義をかなぐり捨ててまでこれを作った。曲の美しさと多様性を引き換えに。

感情を排して歌う『キッドA』とは異なり、『アムニージアック』ではトム・ヨークの歌声はいくらか感情的で、「PYRAMID SONG」や「LIFE IN A GLASSHOUSE」などではむしろ、きわめて叙情的な歌い方をしている。泣きながら歌ってるんじゃないかと思うほどの、最高のヴォーカル。

何かを得るためには何かを捨てなければならない。彼らが音楽家としてのプライドを捨ててまでも得たかったのは、音楽の自由だ。バンド形式にこだわらないバンドは、どんな曲だってプレイできる。失ったものを思って泣きながら、レディオヘッドはかたちのない音楽を鳴らしている。
Sea Change

¥968
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【2000年代、僕が狂った20枚】 第12位

BECK 『シー・チェンジ』(2002)


BECKの5枚目はきわめてハイファイなアルバムだ。これほどに演奏の緊張感が高いアルバムを僕は他に知らない。音のひとつひとつが異常に研ぎ澄まされている。水滴をひとつひとつ落としていくような演奏。ひとつの音がひとつの波紋をつくり、波紋が重なり合って美しい音楽が生まれる。

このアルバムを前にして、僕が語ることはない。どこか寂しく、切なく、悲しく、ほんの少し希望があって、そしてとにかく美しいとだけは言える。僕は毎日毎日、この『シー・チェンジ』を聴きながら眠りに落ちていた。至福の時間。眠れる音楽は世に少ない。僕が本当に幸せに眠れるのは、ビートルズの『ホワイト・アルバム』、ボブ・ディランの『フリーホイーリン』、ボーズ・オブ・カナダの『ザ・キャプファイア・ヘッドフェイズ』と、この『シー・チェンジ』だけだ。その意味では、子守唄のようなアルバムなのかもしれない。