
いただきものの「ひじき」で、ひじきご飯を炊いてみる。
醤油味の炊き込みご飯、たまに無性に食べたくなりますから。
留学は、都会で、と考えていた。
学問的/文化的に刺激が多いから、というもっともな理由を除けば、
何しろ、日本の食材が困ることなく手に入り、生活が安定できると考えたから。
おかげで、ちょっとバスにのって中心街に出れば、
殆ど何の不自由もなく、台所のものはそろえることができます。
よく行くのは、ピカデリーサーカス近くの「ライスワインショップ」。
ここに行くと、当然ですが、日本人にたくさん遭遇します。
そして、
おじいさん、おばあさんを、結構たくさん、見かけます。
籠には大抵、日本のお菓子が、入っています。
いつから、ここに、どうやって、なぜ、住んでいるのだろう、と、
その人の人生に思わず、考えを巡らせてしまったり。
最近、
日本での出身校であるH大学の、同窓会ロンドン支部会の幹事を手伝っているので、
出欠の確認なんかをするのに、在住者名簿を頼りに、方々突撃電話を仕掛けているのですが、
(R社的に言うところの、「テルクリ」?懐かしい、あの緊張感…)
例えば、1950年代の卒業生の方なんかもいらっしゃって、
「日本人宛」なつもりで、うっかり余裕をかまして電話をかけたりすると、
ご本人に英語で応対されてしまったりとか、
恐らく、奥さま?英国人なのでしょう、英語で出られたりとかして、
後輩のよしみで、
見ず知らずの方なのですが、ちょっと話が長くなることなんかもあり、
今何をしているとか、そういう話を少しだけ聞いてみたりすると、
そういう人たちが、
どうしてこの街に、たどり着いたのか、
これだけ長い間、ここで何をして暮らして来たのか、
想像がいろいろと膨らんだりしています。
華僑やムスリムの世界では、しごく当然のことなのかもしれないけれど、
どこにいても、
人は根を下ろして、
生きているんだなぁと思うと、
何だか、
国ってなんだろう、土地ってなんだろう、
魂ってなんだろう、
わたしはいつどこに、どうやって根を下ろすのだろう、
と、
考え、不安になったり、頼もしく、逞しく感じたり、
するのです。
世界は広いけれど、
わたしが立っていられるのは、ここ、しかないのです。
ここ、が大事にできなければ、
そこ、も大事にできないし、
ここ、にいても、
そこ、に影響することも、できる。
でも、
ここ、で、何かをしなくては、
そこ、にはつながらない。
「時空」って、考えれば考えるほど、メルヘンでリアルです。