昨夜…
ダニエル・バレンボイム氏の指揮するコンサート(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)を
聴いてきました。
12月、レポート執筆中に行き詰まってたまたま覗いたweb box officeで、
奇跡の、
光り輝く空席1席を発見したときから、
ずっとずっと楽しみにしていた演奏会で、
席に着いたときには興奮Max!
元々、彼の世界人としての考え方や、行動に感銘を受けていて、
(ユダヤ人として、イスラエルの軍事行動を批判したり、
イスラエル・パレスチナ問題に取り組み、パレスチナ系のエドワード・サイード氏と
ともに、イスラエル・パレスチナの若者を集めたオーケストラを設立、その交流に努めるなど。)
一度、生の姿を拝見し、その音楽に触れてみたいと思っていたのですが、
その圧倒的な存在感と、圧倒的な「人間としての余裕」は、
わたしのあまり多くないコンサート経験でも、どの指揮者にも感じたことがないものだったし、
どの人間にも、感じたことがないもの、といえるかもしれません。
演目は、
・Beethoven Piano Concerto No.3 (いわゆる「弾き振り」です!)
・Schoenberg Variations for orchestra, Op.31 (氏の解説つき、という異例?の構成)
で、演奏自体に関しては、素人意見で、かつ、ごく普通に、「とても素晴らしかった」デス。
特に、バレンボイム氏のピアノ… 「弾き振り」自体、実演を初めて観たのですが、
あれは超人的な技ですね… 感嘆、感嘆です。
あの大きな体(聴衆に背を向ける形でピアノを弾くのですが、
ピアノの幅の1/3以上はあろう横幅)の、大きな手が奏でる、
キラキラキラキラした、音。
本当に、キラキラしていました。
で、右手で弾きながら、左手で指示出したり、するわけです。
2つ目の演目では、指揮者が喋る、という、とても珍しくもありがたい企画だったのですが、
ユーモアを交えながら、客席とのやり取りを繰り広げたり。
まるで、昔から知り合っているかのような、雰囲気で。
その圧倒的な存在感、
音を支配し、演奏家を支配し、聴衆を支配する。
そこから紡ぎだされる、
ハーモニー(まさに!)は、威圧ではなく、
すべての理解の上に立った、
安心感と、絶対性から来る、
何ともまろやかなもので。
「王様」だ、と思いました。
世が世ならば、
「支配者」なのだと思います。
すべての人やモノを一瞬にして、自分の手中に、
穏やかに、納めてしまうような。
彼が統治する世界ならば、
ハーモニーが作り出され、保たれるであろう、という、
統治者、支配者としての、資質。
一民衆の気持ちになって、
足下にすがりたいくらいの気持ちになってしまったわたし!!
音楽だけじゃなく、彼のすべての思考が、
彼の人間としてのとてつもない大きさが、
ホールを埋め尽くしていた夜でした。
ほぼすべてのお客さんによるスタンディングオベーションも、
圧巻でした。
ああ、
「すごい人間」を、観てしまった。
すごいことだ、これは、と、
思い出すほどに、興奮します。
あまりにすごいものに触れると、
自分の小ささに、すっかり安心してしまう。
しかし、これは、ポジティブな意味で。
そして、気持ちが楽になるのです。
わたしの役割を考えよう、という風に。
ああいう王様のいる世界の、
その一民衆として、精一杯生きたいものです。
ダニエル・バレンボイム氏の指揮するコンサート(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)を
聴いてきました。
12月、レポート執筆中に行き詰まってたまたま覗いたweb box officeで、
奇跡の、
光り輝く空席1席を発見したときから、
ずっとずっと楽しみにしていた演奏会で、
席に着いたときには興奮Max!
元々、彼の世界人としての考え方や、行動に感銘を受けていて、
(ユダヤ人として、イスラエルの軍事行動を批判したり、
イスラエル・パレスチナ問題に取り組み、パレスチナ系のエドワード・サイード氏と
ともに、イスラエル・パレスチナの若者を集めたオーケストラを設立、その交流に努めるなど。)
一度、生の姿を拝見し、その音楽に触れてみたいと思っていたのですが、
その圧倒的な存在感と、圧倒的な「人間としての余裕」は、
わたしのあまり多くないコンサート経験でも、どの指揮者にも感じたことがないものだったし、
どの人間にも、感じたことがないもの、といえるかもしれません。
演目は、
・Beethoven Piano Concerto No.3 (いわゆる「弾き振り」です!)
・Schoenberg Variations for orchestra, Op.31 (氏の解説つき、という異例?の構成)
で、演奏自体に関しては、素人意見で、かつ、ごく普通に、「とても素晴らしかった」デス。
特に、バレンボイム氏のピアノ… 「弾き振り」自体、実演を初めて観たのですが、
あれは超人的な技ですね… 感嘆、感嘆です。
あの大きな体(聴衆に背を向ける形でピアノを弾くのですが、
ピアノの幅の1/3以上はあろう横幅)の、大きな手が奏でる、
キラキラキラキラした、音。
本当に、キラキラしていました。
で、右手で弾きながら、左手で指示出したり、するわけです。
2つ目の演目では、指揮者が喋る、という、とても珍しくもありがたい企画だったのですが、
ユーモアを交えながら、客席とのやり取りを繰り広げたり。
まるで、昔から知り合っているかのような、雰囲気で。
その圧倒的な存在感、
音を支配し、演奏家を支配し、聴衆を支配する。
そこから紡ぎだされる、
ハーモニー(まさに!)は、威圧ではなく、
すべての理解の上に立った、
安心感と、絶対性から来る、
何ともまろやかなもので。
「王様」だ、と思いました。
世が世ならば、
「支配者」なのだと思います。
すべての人やモノを一瞬にして、自分の手中に、
穏やかに、納めてしまうような。
彼が統治する世界ならば、
ハーモニーが作り出され、保たれるであろう、という、
統治者、支配者としての、資質。
一民衆の気持ちになって、
足下にすがりたいくらいの気持ちになってしまったわたし!!
音楽だけじゃなく、彼のすべての思考が、
彼の人間としてのとてつもない大きさが、
ホールを埋め尽くしていた夜でした。
ほぼすべてのお客さんによるスタンディングオベーションも、
圧巻でした。
ああ、
「すごい人間」を、観てしまった。
すごいことだ、これは、と、
思い出すほどに、興奮します。
あまりにすごいものに触れると、
自分の小ささに、すっかり安心してしまう。
しかし、これは、ポジティブな意味で。
そして、気持ちが楽になるのです。
わたしの役割を考えよう、という風に。
ああいう王様のいる世界の、
その一民衆として、精一杯生きたいものです。

