新年明けて、まだ15日やそこらしか過ぎていないのですね!

紅白歌合戦見て、何やら芸人さんたちをごまんと見て、1年分のお豆を食べて過ごした数日が、
すっかり「去年の」思い出かと思うような、
日常はなんて喧噪なんでしょう!

しかしながら、
この半月のあまりに、
「そ、そうだったのか!」
「し、しらなかった!」
みたいに思うことが幾度もあり、
この半月は、
こんなに世の中を知らない自らを顧み、
なにやら謙虚な気持ちになりつつあるのですが、
それはいいことなのかもしれません。

自分を守ろうとすると、
傲慢になりがちですから。

ただ過ぎ行く日々もやはり、
気づけば気づいただけの山や谷やあれやこれやかあることに、
改めて、まさに、気づいた!わけで、
世界はまだまだ広く、未知のことに満ち溢れ、
わたしはちっぽけであり、
心深く、しなやかに、
しかし火は灯し続けて、
暮らしていきたいと思ったのでありました。


大げさに書き綴ったところで、
何をそんなに学んだかと言われれば…

一番大きなことはですね…
「月没」。

月も、沈むことがあるってことですよ!

わたし、恥ずかしながら、
夜というものは、
(晴れていれば)必ず月が見えるものだと思っていました。

しかし、
晴れていても、お月様の見えない夜も、あるんです!

先月くらいから、保育園の帰り道にお月様を探すのがブームになったぼっちゃんを自転車に乗せて、
都会の夜空を見上げる毎日なのですが、
お月様の見える位置が変わったり(それによって自転車で走るルートを変える必要あり)、
形が変わったり、
三日月の三日月になる「側」が違ったり(意味わかりますかね)、
そして、
晴れているのに見えない日があるのです。

ぼっちゃんに、
「おちゅきさま いないね~」
と言われて、
曇った日は、
「そうね、もくもく雲さんがやってきて、お月様かくれんぼしちゃったね~」
などと、話していたのですが、
うーん、晴れた日は?
晴れた日はどうなんだ?
なぜ月がいないのだ?
昨日までいたのに!!

みたいな、焦りを感じつつ、
「そうねー、今日もお月様かくれんぼしてるね~」
とか言って、
その場をしのいでおりました。


先週末、たまたま会ったステキな!理系の旦那さんを持つSさんにその話をしたら、
ちょうどご夫妻にて甥っ子さんの受験勉強をみてあげており、
今まさにそのへんのことを旦那さんが教えてあげてるとかで、
なんと、世の中には、
「月没」なるものがあるんだと!

保育園から帰る時間には、「既に月が沈んでることがある」という衝撃の事実…

月って…朝沈むんじゃないの?!
夜はずっと….出てるんじゃないの?!

それで、日々、何時ころに「月が出て」、何時ころに「月が沈む」のかが分かるサイトなんかも教えていただき!

そのサイトも、
何やら理解不能な難解な文字が並んではいるけれど、
とりあえず、保育園お迎えの時間に、
出てるか、出てないか、は、
日々分かるようになったのです!!


自転とか公転とか…
そういうやつですよね…(多分)


遠い日々に、
学んだような、学んでないような。。。



まぁこのように、
いやー、
世の中、知らないで過ごしてることって、
いろいろあるなぁ!
と、思うことが、
いくつかのトピックに関してあって。


えっ…
…常識が欠如してるだけなんじゃ…?

というツッコミは…
はい、そうなんですが…


いや、そうですがね。
知らないことが多いってことは、
これから知ることができることがたくさんある、ってことだなと、
素直に(反省含めつつ)、思いました。


それは、
すべてを新しく受け入れ受け止める子どもが、
毎日キラキラと生きていることに通じるというか。


…無知に関して開き直りすぎ?


でも、そう思って暮らせば、
ピンチもチャンスかもしれません。


気づきを大切に。

学ぶ姿勢で。


お月様
を毎日気にして見るようになり、
その理屈がわかった感じがするだけでも、
何だか少し、
日々に変化を感じる、
面白いことです。

2015年も、もう終わり!
本当に、あっという間の出来事でした。って、毎年毎年、そう思ってるんだろうけど…


先日、会社の忘年会がありました。
入り口で、名札を配られて、
名前と、「今年を表す一字を書いてください!」と言われて、
むむ、と一瞬詰まりました。

(脳裏に浮かんだのは、「安」…そう、あのお寺のお坊さんが書くやつ…
そりゃ、安保や世界の平和について心を痛め考え悩む年ではありましたが、
自分の一字かと言われればそういうわけでもない(当たり前)…)

というわけで、ちょっとばかり考え込みまして、書いたのは、「満」という字です。

・満身創痍の「満」であり
・満足、満ち足りたの「満」でもあり

我ながらよくまとまっていると思います。えへん。


この1年、とにかく、まぁ、満身創痍でした。
子どもがいる状態で働く、という、”個人的に”前代未聞の体験。
体力の限界を毎日感じ、もうダメかも、と思った夜が、幾度あったことか…
(とりわけ、保育園のお迎え時、「帰りたくないーーー!!」と愚図られ、連れ帰るのに1時間かかるような日の疲労感は、地獄を見るようでしたね…。さらに、深夜持ち帰り仕事がたくさん!みたいな追い討ちとか…)

育児に土日も祝日もない…ということで、
平日の疲れを癒したり、睡眠不足の補てんをしたり、そんな時間、どこにもないんですねーーーー!!!!!!!

と、元来、のんびりぬくぬくまったりしたい派のライフスタイルがあっさり崩壊したことへの衝撃。


青汁飲んでみたり、チアシード食べてみたり、あれやこれやと努力しつつも、
加齢には勝てない(そこ!)

体がキツイと、心もキツくなって、オットともよく喧嘩しました。
(相手は喧嘩だと思ってない可能性大。)
キリキリ、イライラ、いけませんねぇ。
いけませんと思う気持ちがこれまたプレッシャーになりまして、
度々崩壊していました。

そんなわけで、満身創痍。


しかしまた、
とっても満ち足りていたのは、事実なのです。
そして、総括的には、満ち足りていたのです。


日々悩みはするし、迷いもするけれど、
いろんな経緯があってたどり着いた会社で、やりたいと思っていた仕事をしていて、
面白い仲間たちがいて。

そして、何物にも代えがたい、かわいい子どもがいて、頼れるオットがいて。

安心して預けられる保育園に子どもを入れることができたのも、幸運でした。
会社の制度も、これから作る、という中で、なんとか、フレキシブルにやりくりできるようにしてもらっているし。

時々一緒にストレス発散!できる友だちがいて。

困った時には助けてくれる、両家のおかあさんたち。
はるばる青森から、駆けつけてもらったりもしました。


仕事をすることも、子どもを育てることも、
自分で選んだことで。

選べていること、実行できていること、それ自体が有り難いことだし、
奇跡的なことだとも、本当に心からそう思っているのです。

そして、そうさせてくれた環境、今、それを守ってくれている環境、
環境をつくっている人たち、との、つながり、
そういったものに、感謝する気持ちが、じんわりわいてくる。

忙しいと(「心」を「亡くし」ていると!)、
そういう自覚が吹っ飛んでしまう瞬間があるのだけれど、
心の奥底には、そういう幸福感があるってこと。


感謝とか、そういうこと、
神様や仏様や周りの方がたにうまく伝えられているかわからないし、
日々のわたしからは、ボロボロなネガティブオーラの方が溢れ出ちゃってるんじゃないかって
恐れていたりもするのですが、
改めて、
満たしてくれてありがとうございます!と、
お伝えして、
本年を締めくくりたいと思います。


そんなわけで、「満」。


来年は、どんな年に、なるのかな!


なんか、「満」は、欲張りなわたしの毎日を捉えるのにはかなりいいとこついてるんじゃない!?
と、代案なく、毎年の恒例になりそうな気も、しております…
金曜日、今年の出張納めでした。

出張納め…と威張るほどたくさん出張したわけではないんですけれども、
子どもいながらにしてこんなに出張できるとも思ってなかったので、
ある意味達成感あります。

朝一番のフライトで出かけて、子どもが寝る前になんとか帰ってくるみたいな、弾丸ツアーですが。

それで、仕事柄、なのだけれど、
この頃は日本各地の地方、自然が豊かな場所に出かけることが主。

それで、空港から車に乗ってぐんぐんと、あちらこちらに行くわけだけれども、
行っても行っても…人が住んでる。人の暮らしがあるのを目にする。
人が生きてるなーって、思う。

そこで、取引先の方がたにお会いする。
人が働いている。
人が働いてるなーって、思う。

全然知らない人がいる(当たり前)。
全然知らない、すごい人がたくさんいる。
地元の名士とか、お金持ちとか、地域のためにがんばってる人とか。
全然知らない会社があって、全然知らない事業をやってて、
全然知らないすごい実績があって、
全然知らない夢とか野望とかあって。

この世界を掌握しようとするなんて、全然敵わないなぁと思う。

掌握しようと思ってるわけじゃないんだけど(当たり前だ)、
でも、なんとなく、掌握してるような気になってることって、
あったりする。

例えば「地域」とか漢字にしちゃうとね、そこに全てを含んでしまって、
理解したような気になってる、みたいなことです。

こういう顔したこういう声したこういう仕事してるこういう考えしてるこういうおじさんが、
どんなことしてて、どういうことしようとしてる、みたいなことは、
さっぱり見当つかないし、つかみきれないし、
繋がった点と点、くらいです。

お互い様に。


で、弾丸ツアーの出張の帰り道は、やる気みなぎるとかそういうよりはぽっかりと、
自分のちっぽけさを思います。


あー、ちっこいなー。
ちっこいちっこい点だなー。。。


そして、
こんなちっこい点なんだから、
許されてもいいかな、
という気になります。


何をどう許してもらいたいと思っているのか。

勤勉さ 真摯さ 寛大さ 謙虚さ 公平さ
…そういったものの欠如について。

怠慢や堕落や、陰気や憂鬱など
そういった性質を、許してもらいたいという気持ちが毎日どこかにあるのです。

人に言わせれば、
わたしは深刻すぎるらしいのですが、
まぁ、毎日、自分の至らなさについて思い悩むことが多くって(意外ですか!)
右往左往しており。


それはきっと、
どれだけ自分を大したもんだって思いたいんだ!っていう、勘違いというかプライドというか、
の話、でもあるのですが、
結構マゴマゴしていて。


でもまぁ、そういう風に、飛行機でぴゅーっと行って、車でびゅーんっと行った、
明らかに自分の知らない確実な世界を目にしてしまうと、
そういうマゴマゴが一切合切、可笑しなもの、に、なりうるわけです。


あー

あー…

っという具合に。


ちっぽけな自分、大したことない自分、
そんなわたしの悩みなんて、
それはまぁ大したことない。
そんなわたしの苦しみなんて、
それはまぁ大したことない。

だからまぁさー、ぼちぼちやればいいのだよ、という風に…



この思考の「表現の」変化は、かなり大きいなと思う。


わたしが初めて外国に出かけたのは、大学1年生の夏休みだったけれど、
そのときも、「自分はちっぽけだ」みたいなことをびびびーっと感じて、
それで、その次に思ったのは、「だから、挑戦できることは無限だ」って、
いうことでした。


これは、1年生の秋学期に入りたかったゼミに提出した作文にそう書いた(気がする)から、
ちゃんと覚えていることです。


思考自体は、あんまり変わってないんだと思う。

ちっぽけということは、
大したことないということは、
その罪も業も
世の中に大した影響を与えるものではないということは
つまり、
何をしてもいいということ。

で、
それを、自由と捉えていること。


で、その自由を、
ゆるっとした解放とするのか、
はたまた、
ぱりっとした解放とするのか。


あのときとこのときとに、
16年の歳月が加わって、
いろんな変化があって。

でも、
感じることはあんまり変わってないっていうのは、ホッとする。
でも、
表現が変わってくるというのは、ドキッとする。


同じ人と話していても、同じことばが吐き出されていても、
その背景にある気持ちは、その時々で、複雑に変わっているんだなって、思う。


子どもの心を忘れないとか、
いつまでも若々しいとか、
例えばそういうことが、
こういうことにあるのかなって思う。


同じ事象を捉えて、どう思うかということを、
一つずつ思い出してみると、
自分が変わったこととか変わってないこととか、そういうのが見えてくるのかもしれない。


どっちがいいとか、悪いとかじゃなくってね。


ちっぽけな自分、ということに気づくことは、
いずれにしてもわたしを、生きやすくすると、思います。