最近めまぐるしい勢いで会話を始めたぼっちゃんの様子を観察していると、
語学習得の極意のようなものが分かるような…
気がしてくる。


具体的には、
1. シャドーイング
2. 字幕なしで映像を見る
3. 失敗を恐れず会話に参加する
…これがね、この繰り返しが、何よりも大事。

うむうむ、
よく言われるやつですよ。

英語とか、
そういった外国語を
モノにしようとするときに。

でもいつだって、
実践するのは、なかなか難しい…
(少なくとも、わたしは、できてないですねっ)


ほら子どもを見てごらん、
子どもは勉強しなくても言葉を覚える。
と。
だから、ネイティヴな環境に身をおけば、
それは自ずとできるようになる。
…的な議論やら、
或いは、語学教材、その売り文句はあるけれど、
たぶん、
それは、100パーセント真実…というわけじゃ、ないんじゃないかしら…


という思いを確かにしつつあるこの頃です。



1.シャドーイングについて

ぼっちゃんはこの頃、
たとえ難解な単語であっても、
大人の会話を注意深く聞いていて、
おうむ返しのように、
つらつらつらと、文章をリピートしている。

それは拙くあるけれど、
時にかなり正確で、
耳が聞き取った言葉を繰り返してる。

例えば、
パパが家で仕事の電話を受けたりすると、
「えいぎょうたんとうがぁ~」
とか、
「あしたのひるまでにぃ~」
とか、
大人の話し方に合わせて結構正確に追いかけていて、おかしくなるくらい。

2. 字幕なしで映像を見ることについて

アニメなんかを見せることも増えてきました。
想像するに、
わたしが字幕なしで洋画を見たりするのに似てると思うんです。

分かったり、分からなかったり。
想像したり、連想したり。

ぼっちゃんは、きっと、おおよそ分かってないんじゃないかという感じのお話のときも、
じーっと画面を見つめ、
そして時折!
知ってる単語が「拾えた」らしい時に、
はっとして、
その言葉をボソッと発音しているのです!

例えば、
「サンタさん」とか「おべんとう」とか、
そういう感じで、
知ってる単語、出てきた!みたいな感じで。

嬉しそうにこちらを振り返って、
拾えたことに確認を求めてくることもあります。

にやにやと。


3. 失敗を恐れず会話に参加する


例えば食事の席などで、
大人同士で、
わーっと会話をしちゃうときとか、あります。
大体は、ぼっちゃんに対して、
「おいしい?」
とか、
「今日保育園でお散歩行ったの?」
とか、子どもにを中心とした会話にするのですが、
時には、ペラペラと、
大人が話したいことを、話したいように話すこともあります。

ぼっちゃんが、
その会話の内容をどこまで理解しているかはわからないのですが、
2のときと同じで、
知っている単語に出会った瞬間、
その部分を捕まえて、
自分も会話に入ろうと、見事にカットインしてきます。

「どこどこのナニナニパンが美味しいらしいよ!今度の週末、買いに行きたいなぁ。」
と話したとしましょう。

すると、
「パンパン食べたの!」
といった具合に、
会話の流れも気にせず、
先日パンを食べたことを挟み込んできます。

そんな感じで、
ちょいちょい会話に入ってきます。

間違ってる?
とか、
空気読んでない?
とか、
そういうシャイな遠慮は無用です。

そうすると、
こちらも彼のコメントを取り入れつつの会話に少しシフトして、
ぼっちゃん中心の話題にまた、軌道修正したりします。
すると、
ぼっちゃんもまた、自分の使ったワードが用法的に正しかったらしいことを理解したように満足し、
新たな関連ワードを学ぶ機会にとつながっていきます。



まぁこんな具合に。


自分が英語学習のときに、
これらができてたかっていうと、
ほんと、ほとんどできてなくって。


シャイにもなっちゃうしね…


意識して文字起こししてみると大した感じですが、
たぶん多かれ少なかれ、
子どもたちは日々の暮らしの中で、
至って自然に、これらの行為を日々繰り返しているのだろうなぁと。


それはまるで…
「のだめ」が『プリごろ太』と普段の生活とでフランス語を習得したような…
(わかりにくい例えですかね… 
耳の良いのだめが、ストーリーをよく知っているプリごろ太のフランス語吹き替え版をひたすら見続けて、ブツブツと単語を声に出し続けて、フランス暮らしの中で、あっちゅう間に言葉をマスターしちゃったっていう、アレですよ!?)


そんなわけで、
天然の学習意欲とその結実のすばらしさに日々感嘆。


「真に使える」言葉(ネイティヴレベルってやつ!)を身につける道は、
1日にしてならず。


ただ聞くだけとか、
ただ読むだけとか、
そういうのじゃきっと、
なかなか使えるようにはならないのだなぁと、
思うわけであります。


たゆまぬ学習努力と、実践!
この無限ループが、
大事なんですねぇ。

えぇ。

わたしの子育てを救ったバイブル(言い過ぎ)というか…
つらかった時期は泣き笑いさせてもらった癒しで、
今となっては一寸先を照らして(?)くれる教本のような!
そんな漫画が、
『ママはテンパリスト』。

あまりにも有名な育児漫画なので、
子育て経験者的にはきっと知っている人も読んだことある人も多いでしょう。。。

わたし、普段はほとんど漫画読まないんですが、
この漫画は、うちのぼっちゃんが4~5ヶ月くらいの頃?
なんかもう忘れちゃったけど(子育ての記憶って、面白いほど忘れるね)、
寝てなくて孤独で不安で先が見えなくてあまりにつらすぎて、
若干鬱っぽくなっていた時期に、
オット(彼もほとんど読まない)が突如買って来てくれたものでした。

何でも、タレントの福田萌ちゃんが、ご主人のオリラジあっちゃんから勧められて読んで、
すごく救われたというエピソードをどこかしらで仕入れたらしく、
「あっちゃんがいいって言うならいいに違いない」
という、
「えーとー、オット君、いつからあっちゃんファンだったの?」的な疑問とともに我が家にやってきた、
そんな本でありました。

とにかく、涙出るくらい、部屋で一人でいても声出せるくらい笑えるので、
子育てちょっとつらい…みたいな人には全力で!オススメしたい本ですが、
(子育て関係ない人でもギャグ漫画として相当面白いと思うけど)
当時は、
「漫画だから脚色してるでしょー」くらいに思ってたところがあるんです。
実際のところ。

しかしながら、ぼっちゃんがもうすぐ2歳になろうというこの頃、
登場する「ごっちゃん」(作者の息子)の
まさに2歳くらいから始まる怒涛の抱腹絶倒エピソードが、
あながち嘘じゃないっていうか、
嘘じゃないどころか、
なんかもう「ある、あるあるあるー!」という感じで、
驚いています。

最近、1話ずつとか、ちょこちょこ読んで復習(オタク的…)しているのですが、
本当に。

いろいろシンクロするところは多いんですが、
(何かをやめさせたりするのに、「鬼」を使うとか…「鬼」や「おばけ」を異常に怖がるけど、だんだんナメくさりつつあるところとか、「なんでそういう変な語尾つけてしゃべる?」みたいなこととかね…ぼっちゃんは最近「XXだね、コレ。」とか、何でも最後に「コレ」つけるので、なんか、すごい生意気な感じがしておかしい…)
今かなり共鳴しているのは、
「ちびっこ男子はみんなキムタク」
的なことですよ!!


ストーリーの中でちょいちょい、ごっちゃんがキムタクに重なっているシーンがあるのですが、
これは、同様に男の子を育てている先輩漫画家さんからの言葉らしい。
(ちょうどそのシーンについてブログ書いてる人がいたので、ご参考


キムタクというのは、一般的なモデルっていうことで、
まぁそれが、(嵐ならば多分)ニノあたり…いや松潤?意外と翔くん?(←考え始めちゃった人)
とにかくツンデレが似合う素敵男子なら何でもいいと思うのですが、
ほんとうにまぁ、日々これ、
恋愛においては経験したことのないくらいの、激しい振り回されっぷりです。


例えば…

「イヤイヤ」真っ盛りなぼっちゃんは、
最近それに、「ママ」をつけて、名指して、「ママ、いや!」ということが多いのです。
「ママ、いや!ばあばがいいの!」とか、ですね。
普段は、ええ、はいはい…くらいに思いながら、
適度な距離をとって接したり補助したりしています。

でも、朝から根詰めて仕事して、保育園の駆け込みでお迎えに行って、
泥のように疲れ果てているにもかかわらず
玄関の階段(急なやつががあるんですよ、25段くらい…)の上で、
「ママ、やだ!あっち行く!(行け!)」
と叫び愚図られ、危ないのに手も振り払われ、階段降りる手前で20分もの時間が過ぎ行く時など…

なんか、
わたしこんなにあなたのこと大切にして生きてるのに、
ママいやとか、言われちゃうの?
的な気持ちがマックス、感情マックスになっちゃって、つい、

「あー… そっかぁ… ぼっちゃん、ママのこといやなんだぁ…
そっかぁ… ハァ。。。
でもさぁ、ぼっちゃんさ、どうせあと何年かしたら、
もう絶対ママと手なんかつながなくなるじゃん?
すぐに巣立って行っちゃうじゃん?
遠くに行っちゃうんだよねぇ?
それならさぁー、今くらいママとテッテつないでくれたっていいんじゃないの?
今だけだよ、こんなの。
ママ寂しいよ…なんかもう、悲しくなってきた…」

とかなんとか、もう「ゆっくり目を見て話す」とかじゃない感じで、
だらだらだらーっと話しちゃったりするわけです。
もう、糖分不足の頭フラフラな感じで。

そうしたらば、なぜか、座り込んでたのが、ふっと立ち上がり、
わたしに手を差し出して、
「ママ、ちゅき(好き)」
…とか…!!!!
言ってくる!!!


例えば、
寝る前に、散々愚図り(ぼっちゃんは寝つきが悪い)、
寝かしつけながら脊中やお腹トントンしようとすると、
「ママ、やだ!!」
と激しく拒絶し、ぐるぐる回転しまくって、
暴れる。

で、「ママ、やなの?じゃあ、ママ、あっち行こうかな…」
と寝室から出ようとすると、
「ママ、やだよ!」
と捨て台詞を放ったか…と思いきや、
脊中を向けてボソリと、
「ママ、ちゅき(好き)」
…とか。。。


あと最近は、
二人きりの時にだけ、
「イチャイチャするのぉ?」
といって来て、ギュッとしたり、ゴロゴロしたり、してくるのです。
(←もちろん、イチャイチャという単語を教えたのはわたしですがっ)


先日まで、少々多忙と混乱を極めつつあった我が家を手伝いに上京してくれていた母には、
「離れたりくっついたり、まるで恋人同士をみているようだわね」
と言われました。
ぼっちゃんの言動やあしらいにいちいち凹んだりしているわたしについては、
「あなたはぼっちゃんに入れ込みすぎよ」
と、まぁ。


割と口の達者なぼっちゃんが、
これからどんなツンデレ具合を発展させるのか、
母親ながら目が離せない。


と、同時に、
ぼっちゃんは残念ながら(?)わたしのキムタクではないので、
振り回されるのも大概にしながら、
いい感じに遊んで行かないとねぇと、
自分に言い聞かせるのでありました。


火遊び程度に…


ちびっこ男子、おそるべし。
ママはテンパリスト コミック 全4巻完結セット (愛蔵版コミックス)/集英社

¥3,230
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先日、2012年の『エッグ』以来で、NODA・MAPの第20回公演『逆鱗』を観てきました。
(2013年の『MIWA』は、落選で、チャンスなく。。。)

その衝撃は、
終演から10分後に、とある電話口で自宅の住所を話さなくてはならなかったのに、
郵便番号も番地も、
全部吹っ飛んでしまって、
頭の中が真っ白で、
間違ったものを口走ってしまい、
慌ててネットや運転免許(実は持っている)を出して、カンニングした…
と言ったら、
伝わるでしょうか?
(いや、伝わらんだろう・・・)


野田秀樹さんの舞台は、
生きることや死ぬことや
個が埋没することや
思想を失うことや
つまり
それが如実に表れる戦争のことを取り上げることが多いと思うのですが、
今回の作品は、
表れるというより、それ、そのもので、
戦争のことを忘れるな、と、戦争で亡くなった人のことを忘れるな、と、
(まるで考古学に例えられてしまうかのように、たった70年前のことを)
その傲慢や愚かさや、無意味(直接的に、また歴史の中で忘却されていくことによる)を、
熱く熱く、伝えようとする、
強い強い、メッセージを発していました。

前半は、謎に満ちていたけれど(わたしが鈍感なだけ?何の予習もせずに臨んだもので…)、
だんだん、パズルのように、
ああ、あれがそれで、これがあれで・・・と、ぐるぐるぐるぐる繋がっていて、
最後の方は、とてもとてもストレートに、重たくて、苦しくて。


群れで泳ぐ弱い魚、鰯の、はかなく散る鱗(『逆鱗』)をつけた、人間の話。


東京は、池袋の東京芸術劇場で3月13日まで上演中!
そして例のごとくに、全公演当日券ありの設定なので、
気合い!入れていけば、
今からでも観られる可能性ありです。

大人気の野田秀樹さんの舞台だから、
たくさん人は入っているのだけど(たぶん通常の席は完売しているんだろうけど)、
とにかく一人でも多くの人が観たらば、
何かが変わるんじゃないかと思えるくらいの、
パワーを受け取ったし、
それを分かち合いたいと、心から思いました。

仕事抜け出してでも、何を置いてでも、観に行って欲しい~!


役者さんも、振り付けも、
舞台装置も、
みんなみんな、とびきりです。