昨夜、フラットメイトのコリアンガールは、悩んでいた。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど…
前に一緒に行ったコリアンレストラン、どうだった??」
何でも、
その晩に、ブリティッシュガイを連れて、そのレストランに行こうと思っていた矢先、
別のブリティッシュガイから、
「あの店は、美味しくない!!」
と批判されてしまったというのである。
「本物の味がしない!」
と。
「…コリアンのわたしが悪くなかったって思ってるのに…」
こ、これはプライドのクライシス!
わたしも、別に「目玉が出るほど美味しい」とは思わなかったけれど、
値段と、お店の雰囲気とも考えると、懐かしいアジアの味をいただくのには、
手頃でよいお店だと思っていたので、
「それは、彼が、本場の味を知らないからでは?」
と咄嗟に思ったのだけれど、
彼女の話によれば、その友人は、韓国留学経験のある、「韓国通」らしいのである。
「だって、お店だって、ロンドンでしか手に入らない食材でやっているんだもん、
そりゃ、韓国とまったく同じ味になるわけがないよね?」
確かに、まったおくその通りである。
韓国で手に入らない食材があるだけでなく、
同じとり肉でも、例えば、鶏の種類が違ったり、飼育方法が違ったり、
言ってみれば、気温やら、湿度やら、そういうものも、
料理の感じに影響を与えていることも、ないとは言えない。
そして、この、「解釈の余裕」の幅が、
「ネイティブ」と「通」の違いかもしれない、と、感じてみたりした。
ある国や地域社会に根付く、「古き良き伝統」を受け継ぎたい、と願う視点が、
外国人や外部流入者から注がれる場合があり、
実際に彼らがその作業に取りかかったときに、
「古くからある」ものの良さを、徹底的に抽出した、
素晴らしいものが出来上がったりするような。
(田舎の旅館で、女将をやっている外国人女性の話とか。
県外からやってきて、地方の活性化事業やる人の話とか。)
Authenticとは…
しかし、どっちの方向からアプローチしても、間違っていない気もする。
伝統というのは、長い目で見て、長い年月をかけて作られるものだとすれば、
変化していくこともまた、伝統に組み込まれて行く、という見方もできるわけで、
とすれば、
守るだけでなくって、アレンジをしていくことも、ひとつの事象の生きながらえ方なわけで。
ま
いずれにしても、
その何となくぼやっとな全体を、
ネイティブも、ネイティブじゃない人も、
好きだと思い、大切だと思い、
関わって行けるというのは、
素晴らしいことだと思っているので、
定義はまぁ、いいじゃないかって、思っちゃうんですけど、わたしは

ちなみに、今朝、キッチンで彼女に会ったら、
昨晩お連れした方には、満足のお味だったそうで、
よかったですな!!
