BBCに出ていたコメンテーターは、
「肉を食べるか、食べないか。そのボーダーをまたいだら、肉は肉だ。」
といったようなことを言って、
目の前に出されていたリス肉を、ちょいとつまんで食べた。

司会者たちも、「肉は肉だね」といって食べていた。

つまり、そういうことだと、わたしも基本的には思っている。

何はダメ、とか、これはダメ、とかは、
すべて思想・信条に関わる問題であって、
倫理だって、(大勢がサポートする)偏った考えに過ぎない、と言われればそれまでだと。


犬を食べるのも
鯨を食べるのも
鳩を食べるのも。


わたし自身、お肉は好きじゃないけれど、例えばお魚は好きなわけで、
だから、
そういうものだなと思って、こういう議論は眺める。

わたしは絶対食べないけど。

でも、ここに、
「サステナビリティ」の問題が加わると、
これからの時代は、それが最も有力な論拠になるのでしょうか。


「サステナビリティ」は、
食べられてしまう側だけでなく、
人間自身の生存に関わる問題だから、
伝統も風習も、すべてを打ち砕いて、
勝ちうる根拠があるのかもしれない。


つまり、どの論拠にしても、
結局は、人間のエゴだということ、なんだということを、
思い出すべきなのだと思う。
はっショック!
8月がやってくる…


修論提出まで、
あと1か月もあると考えるか…
もう1か月しかないと考えるか…


啓発本的な思考が邪魔をして自分に正直になれない、
というか、
正直、この2つの考えの間で揺れ動いている精神状態。


しかし、大方、焦っている!


焦らないようにするのには、
自分で時間を支配するしかないのだと、
こちらに来てすぐ、アドバイスを乞いに行ったwritingの先生がおっしゃっていた。


スケジューリングがすべてだと、
新人営業ウーマン時代に叩き込まれた。


そうです。


あと1か月もあり、1か月しかないのです。


今… 手綱が… ちょっとおぼつかない…ガーン
やばしくん。


手綱よー どこへー
支配権売ってないかなーダウン


とりあえず
エアコン不要の適温快適環境にだけ救われて、
がんばろうと思います。


ニッポンは、暑いみたいですね…

$Rollingcatの越境レポート。
夏バテ中の、わが家の一休さん。
(撮影:Dad)
VOGUE NIPPONの飯田美穂子さんの記事を読んでいたら、
シンガーのアレサ・フランクリンさんと、
元アメリカ国務長官コンドリーザ・ライスさんのデュエットが、という情報があったので、
早速、見てみる。



ライスさんがピアノが達者だというのは、
前に、新書で『ヒラリーとライス アメリカを動かす女たちの素顔』
というのを読んで興味を持ったのですが、
聴いたのは意外と初めてかも。

といっても、あんまり演奏部分は入っていませんが。


わたしには、
ブッシュの右腕だった彼女が、
民主党支持のアレサと競演することについて、リポーターに質問されたのに対し、


We are all Americans,
President Obama is my president!


と、応えたのが印象的でした。


アメリカって、そういう国だよなぁ、と思う。


何かの本で、
アメリカは、国というよりも、Associationであり、Corporationのようである、
と書いてあったのは、
本当に説得力がある。


もちろん、Obamaが、そういう枠組み(ひとつのアメリカ)を、
近年、国民に再認識させようとしているように、
それでも、その意識が薄れていることもあるのだろうけれど、
ヨーロッパの国々や、日本のように、
初めからそこにあって、
伝統といわれるもやっとしたものがあったりする国には、ない、

「何か(Cause)のために集まっているんだ」

という感覚。


創業者がはっきりしている企業の、企業文化のようなものが、
流れていて、
内部で対立があったとしても、
大局では、大きなひとつの組織として、外に立ち向かう感じ。


そのバランスに、
なんだかんだ言って、
世界は憧れているのじゃないかと思う。


なんだかんだ言って、ですよ。


それに引き換え、
日本はどうだろう?


内と外を行き来する自由な視点を以て、
それでも、
自分たちを高める努力をしているのか?


わたしには、
内にいれば内のことしか見ず、
外にでれば外のものになってしまい、
その視点の交わるところが、
存在しないのじゃないかと思われてならない。


そして、内外の交流がないだけじゃなく、
或いは、だからこそ、
内側の団結もない、んじゃないかと、
疑っている。


新聞の見出しとか
見ると悲しくなることが多くて、
困る。



例えば、読売新聞の「民主大敗」というテーマの記事とか。



客観性を「ぶる」ことと、
社会のため、国のため(愛国心、とかそういうのでなく、
わたしたちが生きる基盤としての、国として)の
視点をもって書くということは、
違うのじゃないかと、
感じるのだけれど、
そういうロジックは、通用しないのだろうか?

そういうロジックで、
成り立っていない世界なのだろうなと、
こちらも突き放してみるしかないことが、
これまた、寂しい。