$Rollingcatの越境レポート。

2日ほど前に、
旅からは無事に帰って来て、
もうちょっと、もうちょっとの修論大詰め。


待っててよ、ゴール!!!!!!!!!!


$Rollingcatの越境レポート。


ときにぼんやりと、
あの青い海を思い出したり、
あの美味しいお魚ちゃんを思い出したり。


旅に出て感じたのは
ああ、
いろいろと動いているのだ。


世界は動き、
他人は動き、
わたしはわたしとして、
もうすぐ現実に戻り、
そのために、
想像以上に、
この1年間の隠遁?生活からのリハビリが、
必要だということで、
早速書き上げたら、
避難する場所を、
こもって、
わたしを見つめ直す時間を作らなくてはならないと思い立ち、
旅から帰ってすぐに、
次の旅を手配。


書き上げたら、
こもります。


意外にも、
得たものの傍らで、
失っている感覚があることに気づいたわけで、
それが、
強さだと思っていたら、
弱さだったというか…


とまぁ
ぐるぐると。


人は一人では生きられないけれど、
一人で生きる覚悟がないと、
本当に幸せにはなれないのではないかという、
信念のような、
トラウマのような、
複雑な感情を、
もう一度煮詰めるような時間が必要だということです。


ささ、
これはキリがない話!

現時点では、
とりあえず、
書くこと!
(正確には、「削る」ことです… とほほガーン

あと2日で、仕上げてみせる!!!!!

8月を、愛するぞにひひ

ちょっくら、旅に出かけて来ます。

大詰めに向けて、集中力を養いに…(燃料切れ)。

さて飛行機


先日、R時代の同期がロンドンに遊びに来たので、
一緒にご飯。
で、そのときの会話から、疑問がつきまとう。

果たしてわたしは
「肉食系女子」なのか「草食系女子」なのか。

そもそも、
そういう風にカテゴライズされたくはないのである!
という反発心はさておき…

どうやら、「フットワークが軽い」と、前者になるの、でしょうか?
ひとりで何でもできる、ともまた違うような…

むーかお


ま、
とりあえず、行きたいとこに、行くよ。
ぼちぼちあし

$Rollingcatの越境レポート。

夏の風物詩24時間テレビの企画で、
嵐の櫻井翔くんがゴルバチョフ大統領にインタビューをしたとか。

その他にも、世界の貧困地域などをレポートしているらしいですな。


見たいなー、見たいけどー、見られないなー。
誰かがYoutubeにアップするかなー(←海外在住者の心の友)。


「HipでPopな大卒アイドル」が、
どのような視点で世界を切り取って、テレビの前に提示するのか、
気になるところです。


彼が、そういうテーマを追いかけるたびに、
大人の都合による、浅はかさや、予定調和が、そこには常にあるのではないか、
という危惧や疑心暗鬼が生じると同時に、
それでも、アイドル×社会という、日本では珍しい試みに、
どこまで突き進んでもらえるのか、という期待があって


何だか、架け橋のような感じもするよね、彼の存在は。


いわゆる、社会における、エリートと大衆の。


それが何だか「今っぽい」感じがする。


社会にない肩書き。
カテゴライズされない生き方。


「境界線上に、答えがあるんじゃないか」っていう期待を込めて、
活躍を見守りたいと、思うのです。



かく言う私は先日、
ロンドンで開かれていた原爆展に足を運び、
CNDとQuakersが共同で開催し、広島平和記念資料館が協力していたもの
展示を一通り見た後、そのまま帰ろうとしたのですが、
一角にあった折り鶴コーナーで呼び止められ、
ちびっ子British boysに、鶴の折り方を教えるという、
地味な国際交流(?)をして来ました。


サライは流れていなかったよ。


ちらほらと訪問者が出入りする、
ただひたすらに、静かな空間で。
(被爆者の方の証言などがあった日には、もっと来場者もあったようで、
 累計で300人くらいは来たという話でした。)


鶴を折って何になるんじゃ、
という話がある一方で、
知るという行為の次に、祈るという行為が続くのであるとして、
それが、
動くという行為に続くのであるとすれば、
大変に意味のあることかもしれない、
特に、
小学生くらいの、こういった子どもたちが、
世界中でそれを共有することの、
気の遠くなるような種まきの道のりを、
感じたのでありました。


もちろん、
現実には、
動く、
の前にも、
祈る、
の前にも、
それから、「共有する」の前にも、
大きな論理の障害がたくさんあるのだけれど。


そう、それが現実。


それは、
いつか、大人になって、
世界の大きなうねりに巻き込まれるときに、
鶴を折った記憶が、
それは一体何だったのかを、考える日が来て、
考えるときに、
周囲に十分な判断材料があれば、
点と線がつながるのかもしれない、
という、
種まきなのでしょう。