いいところを探そうとする。


だって
いいところあるもんね。

落ち着いているの、基本的に。

地に足が着いているというか
長閑で
何となく、ぬくもりが感じられるじゃない?


やっぱり長く一緒に居るなら
落ち着いているのが、だんだんよくなるって!


「今は、物足りないと思っても。」


苦し紛れに、いいところを探そうとする。


そこそこ華やかさにも近いところがあって
そこそこの負担感。


完璧を求めるよりは、自分も楽かもしれないよ?


「それに何より、”取り立てて”嫌いなところがあるわけじゃないの。」



好きになろうとする
好きであると思おうとする

自分にはこれしかないと思おうとする


きっと
そういう努力をしようとしている時点で、
それは運命の相手ではない。


その努力はネガティブな言い方をするのであれば、
一様に「言い訳」かもしれない。


いいところを必死に探そうとするのは
既にきっと
ゲームオーバーなのである。


夢中の相手には
意中の相手には
およそ「理由」または「理由づけ」という
左脳的な作業は必要なくって
「作業」が必要となる時点で
それは終わったも同然の、関係なのかもしれない。


…というのは
何だか恋愛の話かい?
これって、一緒かもしれないなぁと思いながら
不動産やさんと並んで歩いて、
せわしなく口を動かしている、
疲労感の中に。


「住む街」探しのインスピレーション
「住む部屋」探しのインスピレーション


重要なのは
今、「落ちた」のか「落ちていない(考えている)」のか。


「落ちたい」と思うのは
乙女の、否、人間の、永遠の憧れかしら、と思う。


だって
言い訳なしにとる行動は、
ネガティブも気持ちいいくらいに跳ね返して
「自己責任」のもとに、強くなる、糧になる。

Rollingcatの越境レポート。-画像-0950.jpg

お部屋探しをするときには、
昼間の風景だけではなく、
夜の環境もチェックすべし、
とは、
お引っ越しの基本ということで、
これまでの移動(異動)でも、
夕刻の街を、ふらふらと歩いて回ったわけだけれど。

正直な話、
夜の街をひとりで歩くと、
そもそも、引っ越しをしたくなくなる。

大抵、
挑戦という独り勝負を引っ提げて、
不安と期待とで、ぐらんぐらんの状態で、
引っ越し先という、
未知の街、
未来のベースに佇むと。

子どもの頃
ママと、
夕暮れの街並みに立つと、
彼女はいつも、
夕暮れの街に、人は寂しくなって、
その寂しさで、
結婚したくなるのよ、
って、
言ってた。


田舎から出てきて、
都会でOLをしていたママ。


その言葉を思い出す。


けど。


それから少し(大分…)大人になって、
ママが結婚した歳も、すっかり追い越してしまったわたしは、
結婚してたって
家族がいたって
常に一緒にいられるとは限らないということに気付き、
もっと言うならば
永遠に一緒にいられるわけではない、
という、
家の灯りの、
長いようで、短い幸福の事実を、
知り始めたような。


幸福を求めて、
きっと、幸福のただ中にあっても、
この暗闇に、きっとわたしはいつも、
「根本的には」
ひとりで、
立ち向かう、ということなのかな。

光の中にあっても
必ず襲い来る、
暗闇の寂しさに、
立ち向かう、ということ。


世界中のどこにいたとしても。


そうしたら、
いつも、挑戦していられるような、
自分にしかどうにもできない不安を飲み込んでいけるような、
気がする、
って、
信じている。
母娘3代が並ぶというのは、
結構恐ろしいことです。


似ている、似ていないは別にしても、
(どちらかというと、わたしたち母娘3代はそれぞれに似ていない。)
遺伝の系図がここに描かれているというか
出生のルートが一目瞭然というか

…責任というか…


はっきりと目に見えてしまうからであります。


テレビを見てて
「この女優さん、美人ね~」「きれい~」「ほんとだね~」


「やっぱりさ 美人って言われるってさ 特別よね」

「かわいいってさ 範疇広すぎるじゃないの?
 ”お愛想”的なかわいいがありふれてるよねぇ」

「性格とか仕草とか雰囲気とかそういうの含めると 
 大抵のものはかわいく見えて来るもんじゃない?」

「確かに…キモかわいい、とは言うけれど、キモ美人、とは決していわない…。」

「気持ち悪くても、かわいいって言われちゃうんだからね、結局のところ!
 かわいいって、どれだけのもんなんだって話よね」

「やっぱり美人はさ 形がちゃんと整っているっていうかさ 
 こう、ぱっと鼻筋が通っているっていうかさ
 目が釘づけになるっていうかさ!
 否定のしようがないっていうかさ!! 本物だよね、本物。」


と、ここで。


「…かわいいって言われることあっても 美人って言われたことってかつて一度もないね…」
「…わたしも…」


動く視線の先が
娘→母→祖母
と、それはもう、ナチュラルに
責任の所在がはっきりするわけでありまして。


「文句があるならおばあちゃんに言って!!」

「子どもは親を選べないんだーーーーっっっ!!!」

「おばあちゃんは昔 美人て言われたらしい」

「昔は年頃の女子はとりあえずみんな美人て呼ばれたんじゃないのーーーっ!!(ヒドい)」

「平安時代なんて読み書きできて黒髪が長ければ美人だったんじゃないのーー!(本当か?)」



しかしこの系図は
一体どこまでさかのぼっていいのやら分からず
大体にして、ひいおばあちゃんさえ見たことのないわが家において
責任追及は、あっけなく終わるのであります。


生まれ変わるなら
絶世の美女に生まれてみたいものだと
多分に「木の根っこ」のあたりからやり直さなけりゃあならないんじゃないかと
大笑いして終わる分には
健全な美人の壁。

越えるのに、
何千年、かかるのかしら。