母娘3代が並ぶというのは、
結構恐ろしいことです。


似ている、似ていないは別にしても、
(どちらかというと、わたしたち母娘3代はそれぞれに似ていない。)
遺伝の系図がここに描かれているというか
出生のルートが一目瞭然というか

…責任というか…


はっきりと目に見えてしまうからであります。


テレビを見てて
「この女優さん、美人ね~」「きれい~」「ほんとだね~」


「やっぱりさ 美人って言われるってさ 特別よね」

「かわいいってさ 範疇広すぎるじゃないの?
 ”お愛想”的なかわいいがありふれてるよねぇ」

「性格とか仕草とか雰囲気とかそういうの含めると 
 大抵のものはかわいく見えて来るもんじゃない?」

「確かに…キモかわいい、とは言うけれど、キモ美人、とは決していわない…。」

「気持ち悪くても、かわいいって言われちゃうんだからね、結局のところ!
 かわいいって、どれだけのもんなんだって話よね」

「やっぱり美人はさ 形がちゃんと整っているっていうかさ 
 こう、ぱっと鼻筋が通っているっていうかさ
 目が釘づけになるっていうかさ!
 否定のしようがないっていうかさ!! 本物だよね、本物。」


と、ここで。


「…かわいいって言われることあっても 美人って言われたことってかつて一度もないね…」
「…わたしも…」


動く視線の先が
娘→母→祖母
と、それはもう、ナチュラルに
責任の所在がはっきりするわけでありまして。


「文句があるならおばあちゃんに言って!!」

「子どもは親を選べないんだーーーーっっっ!!!」

「おばあちゃんは昔 美人て言われたらしい」

「昔は年頃の女子はとりあえずみんな美人て呼ばれたんじゃないのーーーっ!!(ヒドい)」

「平安時代なんて読み書きできて黒髪が長ければ美人だったんじゃないのーー!(本当か?)」



しかしこの系図は
一体どこまでさかのぼっていいのやら分からず
大体にして、ひいおばあちゃんさえ見たことのないわが家において
責任追及は、あっけなく終わるのであります。


生まれ変わるなら
絶世の美女に生まれてみたいものだと
多分に「木の根っこ」のあたりからやり直さなけりゃあならないんじゃないかと
大笑いして終わる分には
健全な美人の壁。

越えるのに、
何千年、かかるのかしら。