いっつもいっつもいーっつも

家に帰ると
郵便受けに

・マンションのチラシ
・日経新聞購読のチラシ

が入っています。

飽きることなく。


確かに
マンションも持っていなければ 日経も購読していません。


そして多分
プロファイリング的には
マンション買うことも検討してそうで 日経も読んだ方がよさそうな
きっとそんなステータスにあると十分に想像される
とあるエリアの、とある風貌の賃貸マンションの
郵便受け。


だから

入れられる。


確かに
「ここ」から、
「次」に移るにあたっては、
いよいよ、(結婚して、はたまたお一人様で)分譲マンションか
いよいよ、(転職とか昇進とかして)お偉いさんと会うような立場だから日経読んどくか的な
(新卒のタイミングで日経取り損ねたバージョン。)
ライフステージのステレオタイプが見えて来る。


ところで

じゃあ
わたしくらいの世代が
よしっとマンションを持って さらっと日経購読してたら・・・
実際、そういう人たちは、友人含め結構いるのだろうと思うのですが、
じゃあ、
そういう人たちのお家の郵便受けに
毎日入るチラシって何だろうー?


ってなことを考えたら

「郵便受けチラシに見る ライフステージマーケティングの考察」

的なレポートが書けそうだなと思って
急にやたら気になる。


分析されて 仕掛けられる 人生のネクストステージ。


とりあえず
毎日郵便受けから雪崩のように溢れ出るDMには
うんざり。


大変恐縮ですが
マンションなんて当分(いや、一生かもなぁ)買えないし
日経も多分読みません。

から

マスから外して欲しい!
っていうただそれだけなんですけれども!
とっても幸せなことに
齢31歳にして
満22歳のプリティな女子2人と、
「同期入社」
の称号を与えられている今日この頃。


(偉い方にごはんをごちそうになるときも、一緒。)


誰に何と言われようが・・・
勝手に若返った気分で光栄です・・・得意げ


2人はとっても落ち着いていて
自分が新入社員の頃とは大違いで
これは何でかしら?
という話を
今日ランチのときにしていて
思ったことは


何だか水草の雰囲気も素敵、泳ぎたいな、と思った水槽に飛び込んで泳ぎ始めたのか
何か酸素少なそうだし、あんまり泳ぎたくないかもと思った水槽に飛び込んで泳ぎ始めたのか


そんなお魚状態なのかもしれないとか思って


むーん
うらやましい!
きれいな水に飛び込んだ、ぴちぴちのお魚!


わたしは
しかし確かな「信念」を持って、
しかし確実に「合わない水」であることを知って、
恐いもの見たさ M的要素 妄想 自分だけの地図
でもって、
多分そのときの状況においては、
自分史上において、
恐らく殆どありえない会社に入って、ありえない職種についたりしていた。


わたしの生きる道に、滅多に口を出さないチチが、
今のところ唯一反対したのは、この就職であったわけで・・・。


だもんで


どろどろで酸素がなくって
あわや補食されるかというような水槽に飛び込んで


新人の時は、本当に毎日毎日毎日毎日
水槽の水かさが増すんじゃないかってくらい
泣いて泣いて
机で泣いて 会議室で泣いて 移動のタクシーで泣いて
(飲み会では泣かなかったな)

「いつも泣いている人」

名前覚えられる前にきっと
そう認識されていたなぁというくらいに泣いて

今思えば

よくそんな泣いているやつを転がしておける会社だったなぁなんて

泣いているわたしに差し出されたのは 
手ではなく化粧ポーチだったりして
(「そんな顔で仕事する気?」)


何のために働くのとか
何のためにお金を取りに行くのとか
何が楽しくてこれをやっているのとか
何が嬉しくてここにいるのとか


考えてもどうしようもないこと なのかもしれないことを
朝から晩まで
仕事のすべてについて考えていて


考える前に動けとか
動いたら動いたで動き方が悪いとか


わたしの代わりはいくらでもいるとして


じゃああなたの価値は何なんですかとか
わたしの価値は何なんですかとか


言い合って かわされて 慰められて
反省して ぶつかって 尊敬して


わたしはそういう環境が 仕事を始めるとか 社会に出るとか
そういうものだと思っていたけれど
世の中にしてみれば それってかなり特殊なことなんでしょうな。


気に入った水槽に飛び込んだら
穏やかに
酸素をとりながら
ゆっくりと
情熱を傾けて行くことだって
可能なのだから。



・・・気付くの、遅いかもしれない。


無駄なエネルギーを消耗しちゃってただけなのかもしれない。


でも

「雨降って、地固まる」

は、わたしの大好きなことばの一つで
多分
そういう好きが惹き付けた とりあえず、雨、降らしとくっていう
環境だったのかもと思えば
無駄なエネルギーというよりは
畑耕すのに大切な時間だったのかもしれない。



最初の雨が晴れたのは半年後(長っ)で



配属先の一番偉い方が面談をしてくださるというので
超でっかい会議室の片隅に
ふたりでぽつんと座って


野菜ジュース飲みながら
偉い人が

最近どうなのよ?


って聞いてきたもんで、
なんだか
ゆるゆると気が抜けて、
はーっとため息ついて、


「わたし 悲しかったり悔しかったりして泣くのに疲れちゃったんです。
 だから
 後ろ向きやめて そろそろ前向きに笑うこと考えます」


って言ったら


大笑いされて


「ほら そういう子だから ここにいるのよ」


って言われて


そういうことかなって
なんか腹に落ちた夏休み明け。


今でも鮮明に、覚えているのです。


もちろんその後も雨も風も嵐も雷も
止むことなく押し寄せては来るのだけれど
いつも脱出するときに感じるのは
「そろそろ このモードも飽きちゃったな」
っていう
意外とフィクションな感覚で
根本的には
ポジティブへと引き戻される向日葵的感覚。


まぁ


このごろも
少しネガティブに引き寄せれていた感があって
ネガティブな言動とか態度とか



2ヵ月くらい
長々と雨が降っていた



それで
ぬかるみでもう疲れちゃって


そろそろ・・・
もういっかな
っていう感覚が
昨日今日で戻って来たから
また新たな出発点にいるような気がします。


もちろん
これはオオゴトではなくって
自分の心の中の
ささやかなモードチェンジのお話。


ココロの畑の
どこかの土が
栄養吸って、固まった。


次の土地耕しに出掛けるまで 
どうかしばらく平穏で。
カタチ に寄らないものをリスペクトしている

が、しかし、

世の中には カタチ が溢れている。


なぜなら カタチ は相当に便利なものなので
カタチ が好きな人はたくさんいて
カタチ によって
わたしたちは判断をしたり されたり する。


ところで


「家族」はカタチなのか、否か。


「家族みたいな存在」という言い回しは、
恋愛関係あるいは”婚姻関係”にない男女の間において、
時にネガティブな、
いや、むしろ相当にネガティブな、
響きを持つけれど、
一体それが本当にネガティブなのかどうか、
その基準というのはわかりません。


「いろいろな家族のカタチがあっていい」

とも、よく言われる。
時に知的な響きを持って。


しかし


それでもやっぱり カタチ なのか。


婚姻関係にあることが前提にあっての カタチ なのでしょうか。


愛情の最終「形」が結婚なのではない。



分かっている人はたくさんいても
実行している人はそんなにいない。



やっぱり、便利だからかな。



説明する必要のないことであっても
説明を求められる場面に出くわすことが多く
カタチにはまっていないと
カタチにはまれない人だという判断がくだされるのが
世の常、
家族のテーマに関わらず。


面倒くさい


正直面倒くさい
でも面倒くさいというので片付けられないのが
人の間で生きる人間の
世の常。


ってなことを言っていたら
内田裕也さんに
「うだうだ言ってねーで 行動しろ!」
って喝入れられるのかしらねぇ?



古巣・ゼクシィの新しいCMが話題のようで、
なかなかに素敵です。



そう、根本的には
"Get old with me"の目的を達成する手段は
いくらでもあって
その道のりはRock'n'roll。


家族に限らず
真に自由なカタチ を 創る作業は
時に孤独なRock'n'roll。


職業でもいい
性別でもいい
ライフスタイルなんていうものでもいい


なんでもカタチに落ちるとして


簡単に判断されないカタチを
自分の中に 間に 創っているんだ、
本当は。


外から見たカタチと
内から見るカタチと
そういうものの違いに
戸惑って
悩んで
いるだけなのだ、
きっと。