東京OL生活が始まって早4ヵ月が経過したわけですが。


綺麗な女の人が多いよね やっぱりね 丸の内日比谷界隈は。


電車乗り継ぐ時とか
朝のぼーっとしたラッシュ時には
そんなことばっかり考えて
周囲の女の人のこと
なんか見ちゃう(怪しい?)


いつもすれ違う とっても綺麗なお姉さんがいる。


そのうちのひとりは
ショートカットで 颯爽としたスーツ姿で
いつも大体同じ時間に
いつもわたしと逆方向に乗り換える。


それから
今朝も
初めてすれ違った とっても綺麗なお姉さんがいた。


思わず、綺麗だなぁって
ほっこり思うわけだけど
それはあくまでわたしの心の声であって

でも

何だかその思いを届けたい気持ちがふっとしたりも、する。


すれ違う 見ず知らずの人に
実は こっそり
綺麗だなぁって思われている
それって
きっと本当は
彼女(たち)の誇りの源になるはずの こと なんじゃないかって


自分に自信がある人、無い人、
いろいろいるんだろうけど
見ず知らずのわたしが 綺麗だなぁって思っている事実
見ず知らずの人に 綺麗を振りまいている事実

本当は
折れそうになっているかもしれない毎日の中で
本当は
その事実を糧に
明日も頑張れる彼女たちが わたしたちが いるかもしれない。


誰かが見てるって きっとこういうこと


それを伝えたい衝動に 駆られそうになっちゃったってわけ。


でも伝えられないから
それはきっと
誰かが見てるっていう 多少ロマンチックな感慨の中に封印して
少しばかり神様の気分になって
きっと神様が見てるっていうのもそういうことかなってことに
してみたり、する。
度々

わたしは肉食系女子だと言われる。

特に(若い)男子から。

それは何でか と言われると 多分単純に、
これまで勤めて来た会社の種類とか仕事の種類とか
あっちへぽーんとかこっちへぽーんとか飛び回っている生態とか
どっかーんとしている感じとか
そういうことから来るのだと想像される。

しかし 当の本人は
肉食系と言われることへの困惑があることをここではっきりしておこう。

つまり
肉食系ってなんだー 草食系ってなんだー
という疑問。


もともとは恋愛における積極・消極の別に事の発端はあるはずだけれど、
それが、生き方というか暮らし方というか、そういうの全般に波及して、

肉食=積極、元気ある
草食=消極、元気ない

となっているような感じがするのだけど、
それってあまりに単純なんじゃないか。

例えば、わたしが肉食だと定義されがちな傾向:
「自分のやりたいことを追求する」
という意味で行けば、
それは肉食でも草食でも共通することなんじゃあないのかしら。

森ガールが森っぽいファッションを追求することにパッションがあるとすれば
それはどう定義されるのか。
(見当違い?)

大体、
草食動物ほど「生き抜くこと」に執着している動物もないような気がする。
エネルギーを最小限に 隙のないように 警戒して 逃げる逃げる守る守る。

大人しい人間だって 生きることに必死な人はかなりいるだろうし。

例えば草食のオリジンに戻っても、傷つきたくないとか自分の時間が大切とか
そういう自分守る的な側面に関しての、ある意味のパッションは、
ただ表面上の動的か静的かであるだけの違いがあるだけで、
むしろ深度的には、強固なこだわりだったりすることだって、考えられる。

むしろ豪快にわーーーーーーーーっとやって死んじゃうなんて人の方が
生きながらえる執念に関しては、草食と言えるのじゃないのかしらとか。


つまり


草食や肉食を生きる姿勢に当てはめて考えるのは、
ちょっと違うんじゃないかなぁという気持ちであります。


食べるものがとか
瞬時の反応の仕方がとか



そういうのにはね 適用されるんですよ やっぱりね 言葉の根本に戻ってね。


だから
わたしは草食とか肉食とか
わたしを表すことばで使われても、あんまりピンと来ない。


だって
あんまりお肉食べないしね。

だって
人生で
この人肉食だ!!!!

って思ったのは

やっぱり反応の仕方がね
肉食系動物っぽかった人。


ロンドンでクラスメイトのアングロサクソン系男子と道路を渡っていたとき
(ロンドンらしく横断歩道に信号がない)
左側からぐわーっとスピードを緩めるそぶりなく迫り来た車に

じっ

と睨みを利かせながら、
一瞬も目を逸らさずに
ゆっくりゆっくり堂々歩いて渡りきったのを見た時。


わたしはいつも、なんとなく怖くって、
ぱぱぱっと右左見たら、
ぱぱぱっと前を見て、
さささっと渡りきろうとしてしまう。

その時も、彼の隣でぱぱぱっとさささっと歩いてしまおうと思ったら
余裕の速度で車を見つめて渡り始めたので
驚いたわけ。


こんなに強く堂々とスピードに向き合うって。


そんなわけで
普段、あまり肉を食べないし、
なるべくさささっと行動するパターンのわたしは
それ以来、
肉食系の真髄を知り 若干の憧れと尊敬の念をもって
横断歩道を渡るときは、車をじっとみて、渡るのです。


今日も、有楽町の交差点で
それ、成功したからね。


草食肉食って
そういうことじゃあないのかしら。

なでしこJAPANを観て

「やっぱり人間は適材適所。
 性別とか年齢とかナントカカントカにとらわれずに
 社会的に最適化する場所で呼吸して努力して輝くのが
 個人的にも集団的にもハッピーだよね。」

という会話をした人たちは五万と居ることでしょう。。。

(一言一句同じじゃなくても、趣旨として、ですよ。)


材を知り(武器を拵えて、或いは把握して)
所を定める(戦うフィールドを定める)

はそれ自体が決して容易ではないのですが。

或いは、
材も所も視野にある時点で
既にハッピーなのかもしれません。



自分らしさが社会的エゴにならないポイントに落ちるということ。



というわけで
今週は、新しい組織での人事面談week。


「身上報告書」なるものを提出し
「しんじょー」が読めず、「みのうえ」かと思ってたら
違って、またある種のカルチャーショック(「みのうえ」相談的なものかと思ってた)。

人事評価の基準も曖昧で
人事評価がよかったとて給料もポジションも到底上がらず
お先見え隠れな(ほぼ暗闇な)組織でありますが
モチベーションはきっと違うところに存在している。

それがどうしたってこうしたって
環境に甘んじてたらば
材も所も見失うばかりか、適が崩れ落ちて、いつかどこにもはまらなくなっちゃうかも。

だから
久しぶりに自分自身を言語化して

今の自分と
ありたい自分と
(R的発想ですな)
自問自答に外部的な視点を取り入れるいい機会だと思って、
予断を許さない上司と(そんな言葉遣いがあるのか。でもなんかしっくり。)
和気あいあいと面談したいと思います。


予断を許さないというのは
先日うっかり飲み会で、
上司が「こういう部下が一番扱いにくい」と仰ったからであって
わたしからの先制攻撃ではありません。


あしからず。


それもこれも、和気あいあいです。

と信じてます。


何しろ、テーマは「わたしを社会最適化。」ですから。

誰との闘いでもなく
エゴでも他人任せでもありません。

わたしの人生を社会に懸けた、人類の共同作業なのであります。


おおげさ?