LiveとCD、を対にさせようとして、はたと、
今時、音源ってCDに限らない場合が多いかもしれないと、気づく。
余談ではありますが。

今日は、ヴァイオリニスト木嶋真優さん(神戸出身ということで、西宮での公演は、まさに「凱旋」。アンコールの拍手が鳴り止まない状態でしたよ)の出演するコンサートに出かけて来たのですが、
Liveと音源と、
その明らかな違いを、
当然ではあるのですが、改めて感じる時間でした。

躍動、
というのかな。

まさに、
跳んだり跳ねたり(同じ漢字だ!)、
それが、
「音」
だけなんじゃなくて、
「体」
がそうであるということ。

特に、ヴァイオリンのような楽器は、
演奏者と近くにあって、
かつ演奏者に物理的な自由がより残されているから、
感情が、動きに表現されやすいのだと思います。
(アンジェラ・アキさんのピアノ演奏は例外として…)

激しいソロの部分で、
楽器の音はもとより、
彼女のヒールの音が、その、柔らかそうなステージ上を、
浮いたり、落ちたり、
しているのが聞こえて、
長い演奏会の中で、
この部分が、すごく印象的で。

こういう音っていうのは、
録音には入って来ない音であって、
なんか、野蛮なというか、粗野なというか、原点というか、
でも、音楽って、そういうものじゃないですか?

それが、クラシックであろうが、ポップとか、ロックとかであったとしても。

なんか、いいな、と思いましたです。

エネルギーが欲しいときには、
家でのiTunesコンサートもいいけど、
Liveも、なかなかいいもんです。

ちなみに曲目は、ショスタコーヴィチの、
ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77でありました。
金曜日。

最後の1ミーティングが、
怒濤の攻防で、2時間。

結局は思い通りに行かず、
納得のいかないまま、急ぎ帰路につく。

一週間が消化不良で終わる、この気持ち、誰にぶちまけたらいいんだろう!!

でも、
やけ酒をするのには勿体なくて、
せめて、素敵な感じで。

ゴスペラーズのハーモニーが、
なんともポップにムーディーで、
SAYURIバージョンもいいけど、
こんな傷心には、こっちの方が、いい。

「お前今日は、今までで一番、食い下がったな」

褒められたとして、
食い下がるのには、
なみなみならぬ、エネルギーが必要で、
わたしは放出しきった。

女だって、
こんな気分で、
潤いたいときが、ある。



今朝の路地裏ランニング中に、
聞いていたのが、
BUMPで。

走りながら、飛び込んで来た、歌詞と、
春の気配の景色が、
まぶしくて、苦しいと思った。

「優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らない」

その歌詞の本意は、違うところにあるのかもしれないけれど、
その戸惑いに、迷いに、すごく同感をして、
山の上から見晴らす街に、
そう、途方もない不安に苛まれているときというのは、
得てして、
なりかたが解らない、
といった、
八方ふさがりの、
ねずみみたいな、とき。

誰に聞けばいいのか、
どこへ行けばいいのか、
学校でもない、
会社でもない、
彼氏でも彼女でもなくて、
もちろん親でもなくて。

結局は自分の心と。

でも、心だけじゃどうにもならないんだよね。

やっぱり、
人に出会わなければ、ならないんだ。

リアルでもいいし、ネットでも、テレビの中でも、
なんでもよいのだろうけど。

人に出会って、
解るようになってくる。

本当に、なりたいのか、なりたくないのかも、含めて。

わたしは、
なりかたが解らなくて、
しばらく彷徨っていたけれど、
このところ、
すこし解って来た気も、する。

すこし解っているときは、
わかっていないときより、
気分がいい。