$Rollingcatのブログ
(wikipediaより)

「アーイアイ アーイアイ お猿さんだよー♪」
の童謡は、
日本で幼少期を過ごした方ならお馴染みの歌だと思います。

が、

つまり、
アイアイ=お猿、
だったって、
知っている人は… そんなにいないんじゃあないでしょうか!

いやだから、
アイアイが、猿なんですって!!

アイアイっていう、猿なんですって!!!

今更ながら、
Thomas Hobbesの『リヴァイアサン』なんかを読んでいて、
辞書を引き引き(そして古語も出てくるため、高校以来ジーニアスしか使っていない
貧相なわたしの英語ツールでは限界が…)していたとき、
なぜかふと、
目が、
「aye-aye」
に留ったのだった。

アイアイ…

わたしはずっと、
あの、
うっきっきーってするポーズに擬音をつけて、
アイアイなんだと思ってた。

「アーイアイ アーイアイ ”は” お猿さんだよー♪」
ってことなんだ、正しくは。

目から鱗。

世の中知らないことばかりだー。

ちなみにwikipediaによれば、アイアイは、ちょっぴり気味の悪いお猿で、
現地マダガスカルでは、不吉な動物として忌み嫌われているらしい。。。

そんなこと…
大人でもショックなのに…
一生懸命お遊戯している幼稚園生に、言えない!!!
$Rollingcatのブログ
本を読むのに飽きて飽きて飽きてしょうがないので、
ヴァイオリンを抱えて、
寮裏手の公園へ…

ふっふっふ…
と、企むことこの1週間。

そう、
せっかく楽器もってえいこらえいこら飛行機に乗って来たというのに、
練習できる場所がないなぁと悩んでいたら、
「公園でやっちゃえばー」
と、友人たちから心あるアドバイス。

近所の公園は一体どうなんだろう、
禁止されてたりしないのかなぁとか、様子を探りつつ、
決戦日を推し量っていたこの1週間だったのでした。

聴くに耐えない音色であるのはお墨付きの保障済みなので、
あまり人が多かったらやめようとか、
しっくり来るスペース(くぼんでるとかさ)がなかったらやめようとか思っていたのだけれど、
運良く、
向こうの方にサッカーする集団がちらほら、だったので、
勢いよく陣取って、
ひとり満足げに練習してきましたとさ。

冬が来たら、かなり厳しいから…この一ヶ月くらいしか使えないだろうけど、
いい気分転換です。

やっぱり、音楽は、聴くだけじゃなくって、奏でないと!
No Music! No Life!
歌って踊って人間生きて来たのさー。

下手でなんのー。

まさに、誰にも迷惑かけてないしー。

ところで、
ヴァイオリンやってるっていうと、
だいたいみんな、
子どもの頃からやってる=それなりに弾ける、
と思われがちですが、
わたしの場合、高校のときのちょろりと独学でやって、
さらに神戸にいたときに半年ほど、習っただけなわけですよ。

指もまわらなければ、弓も操れなければ、
絶対音感がないため、音をとるのがこりゃまた難しい。

で、会話の中で、
「いやー、わたしなんてマスオさんレベルなんでー」
って言うと、
「え、マスオさん、ヴァイオリンやるの?」
という切り返しが多く、
全然参照になりません。

嘆かわしきや…

マスオさんの趣味がヴァイオリンであることは、
サザエさん見て育った人には、
常識なんじゃなかったのかーーー!

こうやって、メディアの多様化および教育環境の多様化が進むと、
「あー、あれあれあれね」
の共通意識が薄れて行くのねーーー!

なんていうことまで考えているわけじゃあないですけど、
マスオさんの趣味は、ヴァイオリンで、これがまた下手なんですよ。

youtubeとか探したけど、
マスオさんがおもむろにヴァイオリンを押し入れから取り出して
(そう、いつも押し入れに仕舞い込まれていて、思い出したときしかやらないという設定)
ギーコガーコ、周りの迷惑かえりみず弾き出す、
という、
定番のシーンは残念ながら出て来ませんでした。

でも、いろいろサイト見てたら、「秋」になると、「芸術の秋」つながりで、
そのネタが放送されることが多いそうなので、
ぜひチェックしてみてください。

納得していただけることでしょう!
落ちちゃったんですね、2016年。

オリンピックそのものには、大きな情熱があるわけではないけれども、
国際的なイベントを、国内で行えるということの意味は、大きいと思う。

それは、
外からの人が日本に出会うことであり、
日本の人が、外からの人に出会ったり、
或いは、自分たちに出会う、という意味で。

JOC副会長さんの、「日本はもっとスポーツ外交を」とのコメントが、
ネットニュースに載っていました。

スポーツ外交っていうものが、あるんだなぁということは、
ありそうな気もするけれど、
スポーツに限定される要素だけじゃない部分も、あったんじゃないだろうか。

プランの内容も、プレゼンの内容も、不勉強なので、
大きなことは言わないけれど、
外交というか、
存在というか、
貢献というか、
今この地球上で何ができるかっていう大きな視点で、
でっかく、いけたら、いいんじゃないかと思う。

オリンピックに限らず、日本が、できることの柱として、持つべきものを、持つこと。

(「環境」がテーマだったというのは、素敵だと思うけど、お恥ずかしながら詳細
不勉強なので、こちらはおいおい、個人的にお勉強させていただきます!)

1964年の東京オリンピック開催に向けては、
総会での招致演説を、平沢和重さんという方が行いました。

何を隠そう(隠さずとも…)、わたしが学部時代の留学でお世話になった、
平沢奨学金」の、その方です。(奨学金は、ご夫人が設立されたもの。)

「西欧の人々は、日本をファー・イースト(極東)というが、
ジェット機時代の今、もはやファー(遠く)ではない。
遠いのは国と国、人と人との理解。
国際間の人間同士のつながりこそ、平和の礎だ。
西欧に咲いた花を、東洋でも咲かせて欲しい。」

アジア初開催を実現したという意味では、
今回のリオと同じような立場だったのかもしれない。
(リオの招致内容についても不勉強なのであしからず…)

けれど、大切なのはやっぱり、
「その時代の国際環境の中で何ができるのか」ということなんだと思う。

そのプレゼンスが、
今回の東京は、足りなかったのかもしれないし、
十分素敵だったけれど、リオの方が素敵だったのかもしれない。

ただ、オリンピックという1つの出来事をとれば、
その、意味付けにおいての投票獲得、という、一時の競争に終始してしまうけれど、
国際社会の日常においても、
何ができるのか、ということを、
考えていたいと思うのです。

オリンピック招致ということは、
きっと、(想像の域だけれども)大きな大きな試みだったわけで、
何年もかけて、連日連夜準備に注力してきた人もたくさんいるのでしょう。
それゆえ、落胆した人も多かったと思うし、涙した人も多いのでしょう。

残念だなぁと思う気持ちもあるけれど、
一方で、じゃあ次は、
「オリンピック外」を考えるきっかけになれば、
いいなとも思うのです。

わたしは、自分的に、そういうきっかけにしようと、思っています。