落ちちゃったんですね、2016年。
オリンピックそのものには、大きな情熱があるわけではないけれども、
国際的なイベントを、国内で行えるということの意味は、大きいと思う。
それは、
外からの人が日本に出会うことであり、
日本の人が、外からの人に出会ったり、
或いは、自分たちに出会う、という意味で。
JOC副会長さんの、「日本はもっとスポーツ外交を」とのコメントが、
ネットニュースに載っていました。
スポーツ外交っていうものが、あるんだなぁということは、
ありそうな気もするけれど、
スポーツに限定される要素だけじゃない部分も、あったんじゃないだろうか。
プランの内容も、プレゼンの内容も、不勉強なので、
大きなことは言わないけれど、
外交というか、
存在というか、
貢献というか、
今この地球上で何ができるかっていう大きな視点で、
でっかく、いけたら、いいんじゃないかと思う。
オリンピックに限らず、日本が、できることの柱として、持つべきものを、持つこと。
(「環境」がテーマだったというのは、素敵だと思うけど、お恥ずかしながら詳細
不勉強なので、こちらはおいおい、個人的にお勉強させていただきます!)
1964年の東京オリンピック開催に向けては、
総会での招致演説を、平沢和重さんという方が行いました。
何を隠そう(隠さずとも…)、わたしが学部時代の留学でお世話になった、
「
平沢奨学金」の、その方です。(奨学金は、ご夫人が設立されたもの。)
「西欧の人々は、日本をファー・イースト(極東)というが、
ジェット機時代の今、もはやファー(遠く)ではない。
遠いのは国と国、人と人との理解。
国際間の人間同士のつながりこそ、平和の礎だ。
西欧に咲いた花を、東洋でも咲かせて欲しい。」
アジア初開催を実現したという意味では、
今回のリオと同じような立場だったのかもしれない。
(リオの招致内容についても不勉強なのであしからず…)
けれど、大切なのはやっぱり、
「その時代の国際環境の中で何ができるのか」ということなんだと思う。
そのプレゼンスが、
今回の東京は、足りなかったのかもしれないし、
十分素敵だったけれど、リオの方が素敵だったのかもしれない。
ただ、オリンピックという1つの出来事をとれば、
その、意味付けにおいての投票獲得、という、一時の競争に終始してしまうけれど、
国際社会の日常においても、
何ができるのか、ということを、
考えていたいと思うのです。
オリンピック招致ということは、
きっと、(想像の域だけれども)大きな大きな試みだったわけで、
何年もかけて、連日連夜準備に注力してきた人もたくさんいるのでしょう。
それゆえ、落胆した人も多かったと思うし、涙した人も多いのでしょう。
残念だなぁと思う気持ちもあるけれど、
一方で、じゃあ次は、
「オリンピック外」を考えるきっかけになれば、
いいなとも思うのです。
わたしは、自分的に、そういうきっかけにしようと、思っています。