それでもカツマーを目指す?目指さない?
その顔や名前を目にしない日はないほどの活躍をみせる経済評論家・公認会計士の勝間和代。 書店に行くと..........≪続きを読む≫
皆さん… 知っていましたか、「カツマー」というものを。
今をときめく「勝間和代さん」に憧れて、
彼女を教訓に生きる女性を「カツマー」というらしいんです。

少なくともわたしは知りませんでした。

勝間さんの本は2冊くらい読んだけれど、
わたしが感じ取ったメッセージは、
「人生一度しかないんだから、炸裂しちゃいなよ」っていう、
シンプルに、
それ以上でもそれ以下でもない真理ですが、
何やら人は、やはりお手本となる人(ロールモデルというやつですかね)が、
はっきりと必要なようで、
真理というよりは、
彼女の、「人生のストーリー」に、惹かれるんでしょうね。

こちらに来てから、台湾の女の子に、
「日本には負け犬って言葉があるんでしょう?信じられない!
好きなことやって生きていて、なんでそういう風に呼ばれなきゃいけないの?」
と言われ、
(わたし)「いや、言われてるっていうのもあるけど、発端は自分たちから(自虐的に)
そういう風に呼び始めたわけで…」
(彼女)「えー、もうますます信じられない!」

なんていう会話もありましたが、
必要以上に、日本では、そういう古典的には「強い」女性を、
ポジティブにもネガティブにも、
もてはやす傾向があるように思います。

女優さん、といった専門職になると、そこまで言われないんだけどなぁ。

単純にもてはやして、楽しんでいるだけで、
実は、深刻な問題ではないのかもしれないですが。

それは、わたしがこれまで生きて来た環境がラッキーだっただけで、
そうでない環境もあるから、やっぱり話題になるのかな?

なんて、
「カツマー」が「流行る」という現象そのものについて、疑問を抱いたりもする本日、
ロンドンではサマータイムが終了しました。

朝9時にかけていた目覚ましを、うだうだとスヌーズを繰り返しているうちに、
その事実に気づき、
つまり、「まだ8時」なわけで、
この時計で10時に起きたとしても、
つまり、「まだ9時」なわけで、
その事実に気づいた瞬間、
目覚ましを潔く切り、二度寝へ…

カツマーだったら、
この1時間、本読むのに使うのかなぁなんて、
そんな思いもよぎったりしましたが、
わたくし、睡眠に充てさせていただきました。

残念ながらも?
カツマーの風上に置けないヤツです。
$Rollingcatの越境レポート。
日本からお客様が来たりて、お昼過ぎから、ロンドン市内のご案内をして参りました。

初ヨーロッパのご夫人・ご令嬢の立派なサポートとなるよう…、

…の、はずが、
バスが遅れて15分も遅刻してしまうわ、
(正確にいうと、乗ったバスが途中でルート変更したりで。
そう、ロンドンのバスは、乗った後に、勝手に行き先変更したりするですよ!
終点が変わって、途中で降ろされたりとか…  
余裕に余裕を持って出発しても、十分過ぎることはありません…ショック!
ご飯はごちそうになるわ、
お土産は散々いただくわで、
およそぼったくりガイドの呈でした。

いやはや。

本当に感謝です。

ちょうど「あんこ」が食べたいと思っていたのです。
ちょうど「昆布」が食べたいと思っていたのです。

海老で鯛を釣ってしまった今宵、
大人しく寝ようと思います。

いつだって、期待を越える人間になりたいと願いながら、
想定を越えられて、反省することばかりであります。

この未熟者っえっ

おふたりの旅の続きが、素晴らしきものとなりますよう!
(明後日からパリだそうで、本当に羨ましい!)

神様仏様どうぞお見守りください目
昨日と今日は、どっぷりとマルクスを読み…

完全に文字の海に溺れ、朦朧とした意識で、ネット上の「解説」を探します…
藁にもすがる思いとはまさにこのこと。

いやしかし、藁にたどり着いたところで、
「止揚」とか出てくるし、なんだその日本語。
(しよう、と読むらしいですよ。)

日本語でも分かるような分からないような、
いや、
そんな細かいことはいいんです、わたしマルクス研究してるわけじゃないですから。
(開き直り。)

ちなみに、読んでいるのは、
Economic and Philosophic Manuscripts of 1844の第二草稿と、
第三草稿です。
詳しい方がいらっしゃったら、解説願いたいですショック!

でも、エッセンスは掴みました。
これでも社会学部出身ですから!
(学部のときに読んだんじゃないの?と、相棒から突っ込まれましたが… 
いや、読んでないと思う…)

わたしたちが、この巨大な資本主義の仕組みにおける、「囚人」であることについて、
誰かの枠組みの範疇でしかない「自己実現」と、
誰かがそれとなく設定している「知っている限りの欲望の追求」に追われている人生の本質について、
人間性や本来持てるべき感覚をすべて失ったうえで、
日々生きるためのお金を得ていることについて。

「枠組み」のお話は、大学1年生の春の、社会学部の初回の講義から、
その衝撃から(どんな講義だったか、教室の雰囲気まで覚えているくらいです)、
ずーっと背骨のように、
物事を考えるときについてまわっているのだけれど、
いわゆる資本主義ど真ん中の会社で働いた後だと、
余計に、
例えばそのステータスとか、福利厚生だとか、「成長」だとか、
そういうものが、まざまざと、
実感を持って、分解されていくのがわかります。

だからといって、
じゃあそれを知ったから、或いは、知らなかったからといって、
幸せの基準が変わりうるのか?
というと、
今日と明日で、さして大きな変化はないと思う。

もちろん、
そういうことをまったく感じないで生きている人と、
感じてしまって生きている人とでは、
葛藤の度合いは、多少異なると思うけれども。

例えば、
わたしは葛藤しまくって、あれやこれや転職などもしているけれど、
雇われの身であることまでは、今までは変わらなかったわけだし、
ステキな服が着たいとか、そういう欲望も、持っているわけで。

でも、
このまやかしの限界点が、
今の自分の立ち位置からでは見えにくいところで、
大きな軋轢になっている、
という事実の方に、
わたしは意識が引っ張られます。

環境問題とかもね。

今日のマルクスさんの一句:

「あなたができないことのすべてが、貨幣にはできる」

どどーん。

同情するなら金をくれ。
(貧乏学生、家なき子へのシンクロシラー

本当は違うコンテクストでマルクスを「読まされている」わけなんですが、
あれやこれやと頭の中で飛び火して、
ぐるぐると、いろんな人の顔を思い浮かべたり、
いろんな事件を思い出したり、しています。

ああでも、
そろそろマルクスさんから「解放」されたい!!!