おろおろしている間に、エッセイ3本の提出〆切まで約1ヶ月となり、
英語指導をしてくれる学校のサポートセンターも、
今日が最後の指導日でした。
(1コマ45分の予約制なのだが、最終週の来週は既に満席。)
とりあえず、3本とも、いわゆるIntroductionの部分(A4で1ページ半くらい)
をラフで書いて持ち込んだのですが…
本日、大きく学んだことは…
「自分の直感を信じる」
「自分の言葉を信じる」
ということ。
つまり、
「自分の自然体、自分自身であることを心がける」ということ。
どういうことかというと…
時間切れになった場合を考慮して、一番力を入れている、専攻コースの課題から
順次見てもらったのですが、
最後に見せた、
まさに朝起きてから正午のアポイントメントの30分前までかかってだらだら書いて、
5分前に図書館でプリントアウトしていった課題の文書が、一番いい、と。。。
きっと文法的ミスも(aが抜けてるとか、数の一致がないとか)多いだろうと思って、
「本当にラフのラフのラフなんですー…」
と言い訳して見せたのですが、
先生「これ、すごく読みやすいわ。書き直しした?」
わたし「えっ 本当ですか。超意外です。…実は、一発勝負でして…」
先生「最初に見せてくれたやつ、あれはどのくらい書き直ししたの?」
わたし「4~5回、書き直しました(えへん←自信あり)」
先生「正直、こっちの方(一発勝負の方)が、だいぶ、読みやすいし、好きだわ。
ちょっとびっくりするくらい。
さっきのはねぇ… 無理に複雑な感じがして、正直、何が言いたいのか分からないのよ。」
わたし「そ…そうなんですかーっ」
とな。
わたしとしては、
もちろん、まだまだ出だし400単語程度の文章ではあるけれども、
最初の課題のエッセイの方が、先に取りかかり始めたこともあり、
今日持ち込むまでに何度か読み直して、
「ちょっと素敵な」言葉遣いに書き換えてみたり、
つまり、多少「アカデミック」な響きを持たせようとしてみたり、
「ちょっと世の中知った風な」例も盛り込んだりしていたので、
クオリティに多少の自信があったのです。
でも、
つまりその作業によって、
わたしが本当に思っていること、或いは、思って「いた」こと、
が、
どうやら見えなくなってしまったらしいことを、
指摘されたとうわけなのです。
先生が、「ちょっと話して説明してみて」というので、
書きたかったことをあれこれ話してみると、
「今、あなたの言いたいことがすごくわかったわ」
と、
「それをまずはそのまま、書いてみなさい」
と。
それで、
はっ、として、気づいたのです。
ちょっとわたし、
「アカデミックにならなきゃ」
「幼稚な英語じゃだめだし、言い回しとか、ちゃんと考えなきゃ」
と思って、
ガチガチになっていて、
結果、
「それらしく見えること」
に、自己満足していたらしいってこと。
どんな体裁をとろうとも、
どんなシチュエーションにおかれようとも、
自分が発することばなのだから、
そこから自分が抜け落ちていたら、
元も子もないのです。
まして、英語論文初心者なのですから。
先生が、
これから1ヶ月、誰に教えてもらうこともできず、
ひとりで作業しなくてはならないわたしを励まそうと、
(本当に、欧米文化って、「励まして」「褒めて」伸ばそうとしますよね、人を…)
ポジティブな言葉をかけてくれている、
その意図を十二分に差し引いたとしても、
飾らずに書き連ねた文章の方が、
ずっとよい文章だ、と言われたことは、
大きな学びでした。
恐れずに、書くしかないのです。
エラそうな言葉の陰に隠れることなく、
着の身着のままで、突撃するしかないのです。
そのピュアさやシンプルさが、
大切だっていうことです。
何だか…
初歩的な文法に自信がないことには変わりがないのだけれども、
「やるべきこと」、そのスタンス、の、大指針が得られた気がして、
すごく勇気づけられました。
きっとこれって…
なんかいろいろなことに応用できる気がするし…
「真理」ってやつですか?
気づきが、いろんなところに、枯れ葉と一緒に、落ちてます…
英語指導をしてくれる学校のサポートセンターも、
今日が最後の指導日でした。
(1コマ45分の予約制なのだが、最終週の来週は既に満席。)
とりあえず、3本とも、いわゆるIntroductionの部分(A4で1ページ半くらい)
をラフで書いて持ち込んだのですが…
本日、大きく学んだことは…
「自分の直感を信じる」
「自分の言葉を信じる」
ということ。
つまり、
「自分の自然体、自分自身であることを心がける」ということ。
どういうことかというと…
時間切れになった場合を考慮して、一番力を入れている、専攻コースの課題から
順次見てもらったのですが、
最後に見せた、
まさに朝起きてから正午のアポイントメントの30分前までかかってだらだら書いて、
5分前に図書館でプリントアウトしていった課題の文書が、一番いい、と。。。
きっと文法的ミスも(aが抜けてるとか、数の一致がないとか)多いだろうと思って、
「本当にラフのラフのラフなんですー…」
と言い訳して見せたのですが、
先生「これ、すごく読みやすいわ。書き直しした?」
わたし「えっ 本当ですか。超意外です。…実は、一発勝負でして…」
先生「最初に見せてくれたやつ、あれはどのくらい書き直ししたの?」
わたし「4~5回、書き直しました(えへん←自信あり)」
先生「正直、こっちの方(一発勝負の方)が、だいぶ、読みやすいし、好きだわ。
ちょっとびっくりするくらい。
さっきのはねぇ… 無理に複雑な感じがして、正直、何が言いたいのか分からないのよ。」
わたし「そ…そうなんですかーっ」
とな。
わたしとしては、
もちろん、まだまだ出だし400単語程度の文章ではあるけれども、
最初の課題のエッセイの方が、先に取りかかり始めたこともあり、
今日持ち込むまでに何度か読み直して、
「ちょっと素敵な」言葉遣いに書き換えてみたり、
つまり、多少「アカデミック」な響きを持たせようとしてみたり、
「ちょっと世の中知った風な」例も盛り込んだりしていたので、
クオリティに多少の自信があったのです。
でも、
つまりその作業によって、
わたしが本当に思っていること、或いは、思って「いた」こと、
が、
どうやら見えなくなってしまったらしいことを、
指摘されたとうわけなのです。
先生が、「ちょっと話して説明してみて」というので、
書きたかったことをあれこれ話してみると、
「今、あなたの言いたいことがすごくわかったわ」
と、
「それをまずはそのまま、書いてみなさい」
と。
それで、
はっ、として、気づいたのです。
ちょっとわたし、
「アカデミックにならなきゃ」
「幼稚な英語じゃだめだし、言い回しとか、ちゃんと考えなきゃ」
と思って、
ガチガチになっていて、
結果、
「それらしく見えること」
に、自己満足していたらしいってこと。
どんな体裁をとろうとも、
どんなシチュエーションにおかれようとも、
自分が発することばなのだから、
そこから自分が抜け落ちていたら、
元も子もないのです。
まして、英語論文初心者なのですから。
先生が、
これから1ヶ月、誰に教えてもらうこともできず、
ひとりで作業しなくてはならないわたしを励まそうと、
(本当に、欧米文化って、「励まして」「褒めて」伸ばそうとしますよね、人を…)
ポジティブな言葉をかけてくれている、
その意図を十二分に差し引いたとしても、
飾らずに書き連ねた文章の方が、
ずっとよい文章だ、と言われたことは、
大きな学びでした。
恐れずに、書くしかないのです。
エラそうな言葉の陰に隠れることなく、
着の身着のままで、突撃するしかないのです。
そのピュアさやシンプルさが、
大切だっていうことです。
何だか…
初歩的な文法に自信がないことには変わりがないのだけれども、
「やるべきこと」、そのスタンス、の、大指針が得られた気がして、
すごく勇気づけられました。
きっとこれって…
なんかいろいろなことに応用できる気がするし…
「真理」ってやつですか?
気づきが、いろんなところに、枯れ葉と一緒に、落ちてます…



