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今に始まったことではないが、「非」を誰かのせいにするような発言を見聞きすると

 

気持ちが萎れる。

 

もちろんこれは特に自分も含めてそうなのだが、「非の対象」を自分以外にあてがい

 

自分を守るという防衛心理から、こういう行動に出るのだろう。

 

ただ、そこから解放されてふと振り返ると

 

「非は自分にもなかったのだろうか」

 

と過去を精査するモードに入り、だいたいは後悔へ変わるパターンが多い。

 

当事者としては、その瞬間の状況だったり心の許容量だったり

 

余裕を持った見方でいれないことも考えられる。

 

しかしそれは他者が思いやる考えであって、やはりその場の瞬間的な勢いで

 

言動してはいけないと考える。

 

これは「怒り」と近いような感覚なのだろうか。

 

冷静に怒っているような感じ??

 

 

。。。以前、「怒り」について同じようなことを綴ったような気がしているが続けます。

 

 

そして、誰かのせいにするというのは

 

極めて「頑固な主張」だとも思う。

 

目的があって、手段があって、その間に出来ない理由があると

 

頑固な人はその「理由」という大きな壁を消さない限りは目的に辿り着けないと思ってしまう。

 

しかし、柔軟な人は

 

出来ない理由を発見するやいなや、目的へ向かう「別の手段」を探そうとする。

 

そうしてあらゆる道を創造し、目的に辿り着くことが出来る。

 

 

頑固な人の目的達成の方程式は1つだが

 

柔軟な人のそれは無限だ。

 

 

残念なことに、私は前者の頑固野郎だ。

 

だからこそ色んな場面を振り返るとき、教材的な感覚で自戒する。

 

それだけで心や考えがリニューアルされるほど簡単なことではないが

 

こうやってブログに残したりして刻んでいくことで、少しは自分に沁みついていくのではと。

 

 

SNSではそういった言葉が日常的に溢れていて

 

リアルなコミュニケーションの場でも同じようにそういう会話がなされていて

 

そんな中を自分に言い聞かせるように、「誠実さ」「柔軟さ」を大事に

 

これからも日々を送っていきたい。

 

 

目指せ柳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョージ

 

 

 

 

失敬。。。