1363年 - 鄱陽湖の戦いが始まる。鄱陽湖(現在の中国中南部に所在)で、中国明朝の創始者であり、初代皇帝洪武帝となる朱元璋の船団が、大漢国(中国元朝末期に、中国中南部で勃興した国)の皇帝陳友諒の船団と激突。朱元璋軍の火攻めを受けて、陳友諒軍は壊滅する。中国の明代(16世紀頃)に書かれた時代小説『三国志演義』における「赤壁の戦い」の話は、中国後漢末期(208年)の曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いであるが、この鄱陽湖の戦いを大きく引用したとも言われている。
1590年 - 徳川家康が江戸城に公式入城し、江戸城が徳川氏の居城となる。入城日は、旧暦では8月1日であり、江戸幕府は後に、八朔(八月朔日の略で、旧暦の8月1日のこと)御祝儀の日とし、この日を正月に次ぐ祝日としている。武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)に所在する江戸城は、麹町台地の東端に、室町時代後期の武将で、鎌倉公方(室町幕府の将軍が、関東十ヶ国を統治するために設置した鎌倉府の長官)を補佐する役職、関東管領を世襲した上杉氏の一族、扇谷上杉家の家臣で、武将としても学者としても一流という定評があった太田道灌が築いた平山城で、近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里(約15.71km) と、日本最大の面積の城郭になる。徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となった後、明治維新後の東京奠都(東京を都を定めること)で宮城(皇居)となる。
1615年 - 江戸幕府が武家諸法度(元和令)を発布。武家諸法度は、江戸幕府が武家を統制するために定めた法令で、武家から誓紙を取付けた3ヶ条に、江戸幕府の法律の立案・外交・宗教統制を一手に引受け、「黒衣の宰相」の異名を取った臨済宗の僧、以心崇伝(金地院崇伝)が起草した10ヶ条を付け加えたものである。当初は13ヶ条(これが元和令と呼ばれるもの)であったが、将軍の交代と共に、数次に亘って改訂されている。
1757年 - 七年戦争: グロース=イェーゲルスドルフの戦い。
1813年 - クリーク戦争/ミムズ砦虐殺: クリーク族インディアンの一派「レッド・スティックス」が、アラバマ・モービル(現在のアメリカ合衆国南部、アラバマ州に所在)のミムズ砦を襲撃し、守備の民兵隊を破る。敗北が明らかになった後に虐殺が続き、砦に残っていたクリーク族インディアンの別の一派「ローワー・クリーク族」や、白人開拓者、民兵のほぼ全員が虐殺される。その後、アメリカ合衆国南部でのクリーク族インディアンの内戦に、アメリカ軍が介入したクリーク戦争は、現在のアメリカ合衆国南東部に位置するテネシー州、ジョージア州、及びミシシッピ準州(アメリカ合衆国の編入領地で、現在のミシシッピ州とアラバマ州に当たる)の民兵隊を率いたテネシー州民兵隊軍の大佐、アンドリュー・ジャクソンの活躍により終結する。1829年にアンドリュー・ジャクソンは、戦争の英雄として支持を集め、アメリカ合衆国第7代大統領に就任している。
1862年 - 南北戦争: リッチモンドの戦いが始まる。
1862年 - 南北戦争: 第二次ブルランの戦いが南軍の勝利で終わる。
1882年 - 済物浦条約締結。済物浦条約は、日本と李氏朝鮮(朝鮮半島の統一国家)の間で締結された条約で、壬午事変(壬午軍乱、7月23日に発生した大規模な朝鮮人兵士の反乱)での日本公使館焼打ち事件等の事後処理の為に結ばれたものである。
1895年 - 気象学者の野中到が、富士山頂に私費で測候所を開設する(開設が報告された日)。
1900年 - ジャーナリスト・思想家・社会主義者の幸徳秋水が、1890年に結成された自由党の後身である憲政党(結成は1898年)の、藩閥(明治維新後、有力な特定藩の出身者が政府の要職を独占して結成した政治的な派閥)との妥協を批判する論文「自由党を祭る文」を日刊新聞『萬朝報』で発表する。
1905年 - アメリカ野球殿堂入りの第1号選手となった外野手、タイ・カッブがメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)デビュー。1920年以前の本塁打が少なかったデッドボール時代(「デッドボール」とは、当時使われていた「飛ばないボール」のことを指し、死球を「デッドボール」と呼ぶのは和製英語である)の代表的な選手で、アメリカ合衆国南東部、ジョージア州の出身であったことから「ジョージア・ピーチ」のニックネームで呼ばれる。1909年には、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)史上唯一の打撃全タイトル制覇を達成し、1960年代から1970年代に活躍した、「チャーリー・ハッスル」のニックネームで知られ、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)最多試合出場記録・最多安打記録・200安打最多回数記録等を保持しているピート・ローズに破られるまで、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)歴代1位の4,191本の安打を打ち、通算打率.366で、首位打者を12回獲得する等、数々のメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)記録を保持している。
1909年 - アメリカの無脊椎動物の古生物学者、チャールズ・ウォルコットが、バージェス頁岩の化石を発見。バージェス頁岩とは、約5億500万年前(古生代カンブリア紀中期)の海棲動物群を化石として閉じ込めた、その頃海底崖であったところの堆積層である「バージェス頁岩累層」を構成している頁岩(薄く割れ易い性質を持つ泥岩)のことを言う。尤も、代名詞的用法で、堆積層そのものが慣習的に「バージェス頁岩」と呼ばれている場合が多い。それまで発見されたことのなかった動物化石が、軟体組織まで鮮明に保存された状態で大量に出土したことで有名となる。
1911年 - 公家、政治家の西園寺公望が第14代内閣総理大臣に就任し、第2次西園寺内閣が発足。
1939年 - 陸軍大将阿部信行が第36代内閣総理大臣に就任し、阿部内閣が発足。
1940年 - 松岡洋右外相とシャルル・アルセーヌ=アンリー仏大使が、北部仏印(フランス領インドシナ、現在のベトナム北部)進駐に関する協定(松岡・アンリー協定)を締結する。
1941年 - 第二次世界大戦: 「金属類回収令(昭和18年8月12日勅令第667号)」が公布される。「金属類回収令」は、戦局の悪化と物資(武器生産に必要な金属資源)の不足を補うため、官民所有の金属類回収を行なう目的で制定されたものである。その後、1943年に全面改正され(「昭和18年8月12日勅令第667号」)、1945年には、回収対象にアルミニウムを追加する改正が行なわれる(「昭和20年2月10日勅令第62号」)。この「金属類回収令」を受け、いわゆる「代用陶器」が開発されて流通する。当初は通常の陶磁器の域であったが、製造時にベークライト(フェノール樹脂という硬質プラスチックの一種)等を混ぜることにより、鉄器のような強度を持たせることに成功している、
1945年 - 連合国軍最高司令官(SCAP)ダグラス・マッカーサー元帥が、神奈川県の厚木海軍飛行場に到着する。
1945年 - 第二次世界大戦・ビサヤ諸島の戦い: 日本軍陸軍第102師団歩兵第77旅団長河野毅陸軍中将が、フィリピン中部にあるネグロス島西ネグロス州アシエンダ・サンタ・ローザで、アメリカ第503連隊戦闘団に降伏する。
1945年 - 第二次世界大戦後のドイツを統治する連合国管理理事会が発足。
1956年 - 2月25日のソビエト連邦共産党第20回大会で、ソビエト連邦共産党中央委員会第一書記ニキータ・フルシチョフが、ソビエト連邦第2代最高指導者ヨシフ・スターリン批判の演説を行なった、いわゆる「スターリン批判」を受け、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で同国の幹部が、最高指導者金日成の個人崇拝や工業政策を批判する(8月宗派事件)。