8月20日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

誕生記念筆の日(赤ちゃん筆の日)。 
赤ちゃんの産毛(毛髪)で誕生の記念筆を作成している、愛知県豊川市中央通に総本社、東京都板橋区志村に東日本本社を置く赤ちゃん筆専門店(一般的な書道用の筆は取扱っていない)、赤ちゃん筆センター株式会社が、1999(平成11)年に制定した日。日付の由来は、8月を「ハ(8)ッピー」、20日を「筆(ふ[2]で[0])」、つまり「ハッピーな筆」と読む語呂合わせから。赤ちゃんの健やかな成長を願って、誕生日に記念筆を飾る等の行事で、赤ちゃん筆をPRしている。赤ちゃんが母親のおなかの中にいる頃から生え始める髪(産毛)。一度もカットしていない毛先は柔らかく繊細で、一生に一度しかない貴重なもの。そんな産毛を形にして残したい、との願いから、赤ちゃん筆センター株式会社の「赤ちゃん筆」(誕生記念筆)が生まれた。また、「赤ちゃん筆」を作成するために、赤ちゃん筆センター株式会社が運営する赤ちゃん&子ども専用の理容室で髪をカットした人は、創立以来延べ150万名以上となっている。なお、赤ちゃん筆センター株式会社は、3月8日の「3」と「8」で、「散髪(さん[3]ぱ[8]つ)」と読む語呂合わせから、3月8日を、赤ちゃんと子ども専門の理容室の存在を広くPRすることを目的とした、赤ちゃん&こども「カット」の日としている。
親父の日。
大阪市都島区中野町に本拠を置き、ファミリービジネスの事業継承、組織の世代交代を賢く進めるために、コーチ型親父塾を主宰し「コーチ型親父のすすめ」を提唱する、中小企業専門のビジネス・コーチを行なう企業、株式会社トップコーチングスタジアムが制定。日付は、8月20日を「0820」として、「親父(オ[0]ヤ[8]ジ[20])」と読む語呂合わせから。コーチングとは、顧客とコーチは、対等という立場でコミュニケーションをとりながら、顧客の「夢」や「目標」を最短距離で実現することを目的としている。その中でコーチの役割は、顧客を指導したり、顧客へ答えを教えるではなく、本音をフィードバックし、顧客の鏡となって自発的な気付きを提供すること、という。 
リーブ21・発毛の日。
大阪市中央区城見に本社を置き、発毛事業等、頭髪に関するサービスを手掛ける企業、株式会社毛髪クリニックリーブ21が制定。抜け毛・薄毛・脱毛に悩む人達に、発毛を通じて自信と喜びを取戻してもらう企業であることを、さらに知ってほしい、と制定した。日付は、株式会社毛髪クリニックリーブ21の創業日(1976[昭和51]年8月20日)であり、8月20日の「8」と「20}で、「発毛(は[8]つ[2]もう[0])」と読む語呂合わせから。「リーブ21」と略されることが多い、株式会社毛髪クリニックリーブ21の「リーブ21(Reve-21)」という社名は、「復活する」という意味の「Revive」と、21世紀に由来している。社名に「クリニック」を付しているが、医療機関ではなくサービス業者である。従って、各種サービスもその範囲に限られている。 
瑠璃カレーの日。
福岡県北九州市小倉北区井堀に本社を置く、飲食事業等を展開する企業、新九協同株式会社が制定。北九州発祥の「元祖生カレー」を生んだ、新九協同株式会社の総料理長の名を冠した「瑠璃カレー」を、多くの人に食べてもらい、まちおこしやボランティア支援に活かすことが目的。日付は、敬意を表して、総料理長の誕生日(8月20日)から。なお、生カレーとは、野菜や果物の成分が最も活性化する温度でペースト状になるまでじっくりと仕上げたカレーで、各地のイベントでも行列ができるという。「瑠璃カレー」を使ったカレーパン「瑠璃さんところのカレーパン」もあり、揚げずに作っているので、1個約162kcalと、ヘルシーなパンとなっている。 
定家忌。
公家で歌人、藤原定家の1241(仁治2)年の命日(旧暦)。藤原定家は、平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、御子左家(藤原定家が属する藤原氏の家系)の歌道における支配的地位を確立し、日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた歴史がある。2つの勅撰和歌集(天皇や上皇の命により編集された歌集)、『新古今和歌集』と『新勅撰和歌集』を撰進。他にも、秀歌撰に『定家八代抄』がある。歌論書に『毎月抄』『近代秀歌』『詠歌大概』があり、本歌取り(有名な古歌[本歌]の1句、若しくは2句を自作に取入れて作歌を行なう方法)等の技法や心と詞との関わりを論じている。家集に『拾遺愚草』があり、六家集(平安時代文学[中古文学]と鎌倉時代文学[中世文学]の間の移行期に当たる新古今時代の優れた6つの私家集)の1つに数えられる。なお、1235(文暦2)年5月27日、藤原定家の撰による『小倉百人一首』が纏まったことに因んで、5月27日が「百人一首の日」とされている。『小倉百人一首』は、和歌の全句が書かれた読み札と下句のみが書かれた取り札から成り、取った札の多少を競う「歌がるた」として広く用いられ、100名の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んで作った秀歌撰である「百人一首」と言えば、通常、この『小倉百人一首』を指すまでになった。『小倉百人一首』の原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、藤原定家が作成した色紙である。宇都宮蓮生は、京都嵯峨野(現在の京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘、小倉山荘の襖の装飾のため、藤原定家に色紙の作成を依頼した。藤原定家は、飛鳥時代の第38代天皇、天智天皇から鎌倉時代の第84代天皇、順徳天皇まで、100名の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。成立当時には、この百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」等と呼ばれた。後に、藤原定家が京都嵯峨野の小倉山で編纂したという由来から、『小倉百人一首』という通称が定着した。室町時代後期に連歌師の宗祇が著した『百人一首抄』(宗祇抄)によって研究・紹介されると、『小倉百人一首』は、歌道の入門編として一般にも知られるようになった。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まり、人々が楽しめる遊戯としても普及した。百人一首に採られた100首には、各歌に歌番号(和歌番号)が付されている。この歌番号の並び順は、概ね古い歌人から新しい歌人の順である。小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。100首はいずれも『古今和歌集』『新古今和歌集』等の勅撰和歌集に収載される短歌から選ばれている。『小倉百人一首』は、単に歌集として鑑賞する以外の用途でも、広く用いられている。中学校や高等学校では、古典の入門として生徒に「百人一首」を紹介し、これを暗記させることがよくある。これは、それぞれが和歌(5・7・5・7・7の31文字)なので暗唱し易く、また、正月に遊戯として触れることも多く、生徒にとって馴染みがあるからで、さらに、短い和歌の中に掛詞(同じ音、或いは類似した音を有するものに、2つ以上の意味を込めて表現する方法)等、さまざまな修辞技巧が用いられ、副詞の呼応(一定の文末表現とペアで使われる副詞[自立語で活用がなく、主として用言を修飾して連用修飾語になるもの])等の文法の例も含まれることから、古典の入門として適した教材と言える。その上、現在では、歌集としてよりも、かるたとしての方が知名度が高く、特に、正月の風物詩として馴染みが深い。ただ、歌かるたが正月の風俗となったのは、格別の理由がある訳ではない、とされる。