戦歿者を追悼し平和を祈念する日。
1982(昭和57)年4月13日の閣議決定「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』について」により、「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』を設け」て、その期日を8月15日とし、この日に政府は、「1963(昭和38)年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する」ものとしている。つまり、8月15日に、第二次世界大戦対米英戦(太平洋戦争、大東亜戦争等とも呼ばれる)での全戦没者に対して、国を挙げて追悼の誠を捧げると共に、平和を祈念するため、政府主催により、1963(昭和38)年以降毎年実施している「全国戦没者追悼式」を引続き行なう、としている訳である。別紙「全国戦没者追悼式の実施について」の内容は、「1.全国戦没者追悼式は天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで毎年8月15日、日本武道館において実施する。2.本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、1981(昭和56)年の式典と同様とする。3.本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。4.式典当日は官衙(役所、官庁)等、国立の施設には半旗を掲げること(弔意を表わすために、国旗等を旗竿の先から3分の1程下げて掲げること)とし、地方公共団体等に対しても、同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において全国民が一斉に黙祷するよう勧奨する。」となっている。
全国戦没者追悼式。
1952(昭和27)年4月8日の閣議決定「全国戦没者追悼式の実施に関する件」により、同1952(昭和27)年の5月2日に、新宿御苑(東京都新宿区内藤町に管理事務所が所在する環境省管轄の国民公園)で第124代天皇、昭和天皇とその皇后、香淳皇后の臨席の下で行なわれたのが、最初の全国戦没者追悼式である。第2回は千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区三番町に所在する、第二次世界大戦の戦没者の遺骨の内、遺族に引渡すことができなかった遺骨を安置している戦没者慰霊施設[公園としての性格を有する墓地公園])で1959(昭和34)年3月28日にやや変則的に実施された。その後、少し間をおいて、1963(昭和38)年に日比谷公会堂(東京都千代田区日比谷公園に所在する多目的ホール)で8月15日に、1964(昭和39)年には靖国神社(東京都千代田区九段北にある日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀る神社)で8月15日に開催された。翌1965(昭和40)年から日本武道館(東京都千代田区北の丸公園にある武道館で、武道以外の屋内競技場、多目的ホールとしても利用される)で8月15日に行なわれるようになり、現在に至っている。1952(昭和27)年4月8日の閣議決定「全国戦没者追悼式の実施に関する件」では、全国戦没者追悼式は「平和条約の発効による独立に際し、国をあげて戦没者を追悼するため」に実施するとされた。追悼の対象は「第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人」と、「空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人」の、「日本人戦没者計約310万人」である。式場正面には、「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれる。式典は政府主催で、事務は厚生労働省(旧:厚生省)社会・援護局が行なう。式典開始は午前11時51分(以下日本時間)、所要時間は約1時間である。正午より1分間の黙祷を行なう。式典には、天皇・皇后、三権の長である内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、及び各政党代表(「政治資金規正法[昭和23年7月29日法律第194号]」第3条2項に規定する政党で、国会に議席を有するものの代表)、地方公共団体代表(都道府県知事、都道府県議会議長等)が参列する。また、日本遺族会等関係団体の代表者(日本遺族会会長)、経済団体(日本商工会議所会頭)、労働団体(日本労働組合総連合会会長)、報道機関の代表者(日本新聞協会会長)、日本学術会議会長、日本宗教連盟理事長等を招く他、各都道府県遺族代表、一般戦災死没者遺族代表、原爆死没者遺族代表らを国費で参列させている。全国戦没者追悼式は、日本放送協会(NHK)が、総合テレビ、ラジオ第1と国際放送のNHKワールド・プレミアム(ノンスクランブル放送も実施)、NHKワールド・ラジオ日本で当日の11時50分から天皇の御言葉まで中継し、12時05分に終了する。日本放送協会(NHK)は式典に「NHK時計」(正確な時刻を知らせる合図である時報放送)で技術協力を行なっており、会場で流される正午の時報(黙祷の合図となっている)を提供している。これは、2012(平成24)年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)一周年追悼式でも使用され、発生時刻の14時46分に合わせて時報を流し、黙祷の合図を行なっていた。1988(昭和63)年の全国戦没者追悼式は、昭和天皇の最後の臨席となった。静養中の那須御用邸(栃木県那須郡那須町に所在する天皇や皇族の別荘で、宮内庁の定義では、一定規模の建造物と敷地を有するものを離宮とし、小規模のものを御用邸と称している)から陸上自衛隊のヘリコプターで帰京した。2005(平成17)年には、8月8日に衆議院が解散し(郵政解散[郵政民営化法案の是非を問う衆議院解散と総選挙])、衆議院議長が空席となったため、三権の長の1人である衆議院議長が、全国戦没者追悼式を欠席する異例の事態となった。同様の事態は、2009(平成21)年にも起きた(7月21日衆議院解散、8月30日総選挙のため)。1998(平成10)年までは、天皇・皇后が厚生大臣(現在の厚生労働省の前身の1つ、厚生省の長たる国務大臣)の先導により臨場する際に、国歌「君が代」が演奏された。1999(平成11)年の「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法、平成11年8月13日法律第127号)」施行後は、天皇・皇后の臨場後、国歌「君が代」を斉唱することになった。2005(平成17)年の全国戦没者追悼式には、戦没者の父母の高齢化に伴ない、初めて戦没者の父母が1人も参列しなかった。なお、2006(平成18)年、2007(平成19)年には戦没者の母が参列しているが、2010(平成22)年を最後に父母の参列はない。2016(平成28)年の全国戦没者追悼式では、「天皇皇后両陛下御退場」時に参列者の1人(千葉県遺族席に居た男性)から「天皇陛下万歳の三唱」があり、参列者の多くもこれに続き、会場全体が、万歳の声と大きな拍手に包まれる異例の事態となった。第125代天皇、天皇明仁と皇后美智子夫妻(当時、現在の上皇明仁と上皇后美智子)も、これに一礼を以って応えた。政府は、「連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)によって戦争犯罪人として裁かれ、死刑判決を受けた、いわゆるA級戦犯(連合国による極東国際軍事裁判[東京裁判]で、「平和に対する罪」により裁判された重大戦争犯罪人)やB・C級戦犯(B級戦犯は、戦争法規、又は慣例に違反したとする「通例の戦争犯罪」 に該当する者、C級戦犯は、「人道に対する罪」に該当する者とされた)が全国戦没者追悼式の戦没者の対象となるかどうか」について、明確にしていない。戦犯遺族にも招待状が出されているが、これは、各47都道府県に参列遺族の選定を委ねた結果としている。第87代 - 第89代内閣総理大臣、小泉純一郎は在任当時、靖国神社に参拝し続けたが、この際も、戦犯を対象外とする決議や声明は出されていない。これに関しては、靖国神社が戦犯を顕彰の対象としていることを問題視しているのであり、戦犯を追悼することは問題視していないためとされる。