ビーチサンダルの日。
東京都台東区寿に本社を置き、ビーチサンダルを1つ1つ丁寧に、昔ながらの製法で手作りをしているビーチサンダルのメーカー、株式会社TSUKUMOが制定。日付は、8月の「8」をビーチの「B」に、3日をサンダルの「3」に見立てたもの。日本発祥のビーチサンダルを常時生産している唯一の企業として、ビーチサンダルをより多くの人に履いてもらい、足元から夏を楽しんでもらうことが目的。株式会社TSUKUMOのサンダルは、足型から鼻緒の製作まで、全て手作りで行なっている。ビーチサンダルとは、水濡れに強い素材のサンダル型の履物のことで、通常は素足に着用する。日本では、鼻緒を有する草履型のものを指すことが多く、略して「ビーサン」や「ゴム草履(ゴムぞうり)」、或いは、単に「ぞうり」と呼ばれる時もある。一般的に、ゴム製の底とゴム、ビニール、プラスチック、布等でできた鼻緒、或いは、ストラップ等で構成される。1930(昭和5)年には、愛知県名古屋市が発行した報告書『名古屋市の家庭副業』に、ゴム草履に関する内職の記述があり、ゴム草履という名称が広く知られていたことを示す。従って、「最初のゴムぞうりは、1952(昭和27)年にアメリカ人工業デザイナーのレイ・パスティンと、内外ゴム株式会社の技術者生田庄太郎によって開発された」という話は、ゴムぞうりをビーチサンダルと最初に称した話であり、出典元にも、ビーチサンダルと記してある。鼻緒を指で挟んで歩くのは同じであるが、日本古来の草履と異なり、左右の別があるものが多い。日本で発明された履物であるが、現在では、国外でも熱帯地方や夏場のファッションとして広がっている。なお、兵庫県明石市に本社がある内外ゴム株式会社は、自動車用チューブや配管器材、軟式野球ボール、ソフトボール、サンダル等のゴム製品等のメーカーで、元々は神戸財界の有力者によって設立され、大正時代には、陸軍省と海軍省の指定工場となり、それ以降は、航空機用タイヤ、自動車タイヤチューブ、船舶用ゴム製品等を生産していた。第二次世界大戦後は、兵庫県重要工場の指定を受けて、民需品の生産に転換し、準硬式ボール(トップボール)やソフトボール等を発明している。ビーチサンダルは、英語では、「フリップフロップ (Flip-flops)」(歩く時のパタパタという擬音から)、「トング (Thongs)」(鼻緒の意)、「ビーチコマー(Beachcomber)」(海岸を歩いて落ちているもの等を拾う人の意)、スペイン語やギリシャ語では、「サヨナラ」(日本語から転用)等と呼ばれている。高価なものでも数千円程度で、履物店以外でも、雑貨店や100円ショップ、海の家や海岸沿いのコンビニエンスストア等でも販売されている。海水浴やプールで用いられることが多いが、普段履きとして愛用する人も少なくない。下駄よりも歩き易く、イグサの草履よりも手軽であるため、浴衣や甚平にビーチサンダルを合わせる場合もある。ビーチサンダルは、全体的に柔らかいため、土踏まず部分の強度に欠けること、また、側面部は外部に露出することから、つま先の打撲、足首のねんざ、骨折といった足のトラブルを招き易いため、使用には注意が必要である。沖縄県では、ゴムぞうりのことを島ぞうりと呼び、通勤通学以外は、常に島ぞうりを履くという人も多い。今風のビーチサンダルも多く売られているが、昔ながらの島ぞうりの人気は根強い。島ぞうりは、白い部分に彫刻すると下の色の部分が絵柄になるため、沖縄土産として、ハイビスカスや波等の模様を彫ったものがある。また、和歌山県の方言では「水雪駄」と呼ばれる。1970年代以降は、ドイツの靴メーカー、ビルケンシュトック等の海外ブランドが、鼻緒を有する日本式のサンダルを商品化し、これがハワイのサーファー等に愛好されたことから、世界各地でも広く認識されるようになった。鼻緒付きの履物が健康によい、とされることから、靴の代わりに、ビーチサンダルを指定の履物にする幼稚園・保育園・小学校もあり、これは、はだし教育の一環としてでもある。
八丁味噌の日。
愛知県岡崎市八帖町字往還通に事務局を置く八丁味噌協同組合が制定。日付は、「8」で「八(8)丁」、「3」で「味噌(み[3]そ)」を連想して、8月3日に。また、夏場にも使い易い味噌であることから、8月としたもの。「八丁味噌」の美味しさや奥深さを、より多くの人に知ってもらうことが目的。愛知県岡崎市八帖町で生産されている、長期熟成させた豆味噌、八丁味噌は、米麹や麦麹を用いず、原材大豆の全てを麹にした豆麹で作られている。名古屋圏では、「味噌汁」と言えば、豆味噌を用いた赤い汁のものが一般的であり、八丁味噌も、他の豆味噌同様、濃い赤褐色をしているのが特徴である。水で洗った大豆を浸漬し、水を切り、蒸して冷ました後、ミンチにして、味噌玉に丸めて種麹をまぶし、室で4日かけて豆麹を作り、味噌麹に白塩と水を加えて、木製の大桶に、空気を抜きながら味噌を敷き詰め、その上から石積みして、長期間(約1年半から約2年以上)天然醸造される。腐敗を防ぐために塩分濃度を高めており、独特の渋みとうまみが特徴である。全国的には、豆味噌(赤だし)は塩辛いイメージがあるが、八丁味噌は塩分が少ない。現在の愛知県岡崎市八帖町は、かつて「八丁村」といったが、これは、徳川家康の生地である岡崎城より西へ八町(約800m)離れていたことに由来する。この八丁村は、矢作川の伏流水による湧き水が豊富で、かつ、東海道の水陸交通の要地であった。すぐそばに矢作橋が架設されており、舟運(八丁土場と呼ばれた)も同時に恵まれていた。そこで、兵食として重要視されてきた味噌を、軍需物資の兵站基地として形成された八丁村で製造することに着目した早川久右衛門家(現在のカクキュー[合資会社八丁味噌の商標])と大田弥治右衛門家(現在の株式会社まるや八丁味噌)が、八丁村で味噌醸造を創業した。岡崎出身の江戸幕府初代将軍、徳川家康の健康と長寿と支えたのは「麦飯と豆味噌」であったと言われ、戦国時代には、岡崎で豆味噌が製造されていたものと考えられる。
サガミの八味唐がらしの日。
愛知県名古屋市守山区森孝に本社を置き、和食麺類のファミリーレストランチェーンを展開する株式会社サガミチェーンが制定。株式会社サガミチェーンは、独自ブレンドの七味唐がらしに、麺つゆとの相性が良い胡椒を合わせた「八味唐がらし」を開発。その「八味唐がらし」の普及、促進を目的としている。日付は、8月3日の「8」と「3」で、「八味(はち[8]み[3])」の語呂合わせから。株式会社サガミチェーンが運営する「和食麺処 サガミ」は、そば、天婦羅、味噌煮込み、うどんを主力商品とし、味噌煮込みうどんとそばを強みとしている。名古屋名物である味噌煮込みうどんの販売数は、日本一多いという。なお、株式会社サガミチェーンは2018(平成30)年、持株会社体制へ移行し、株式会社サガミホールディングスに商号を変更した。
ハイサワーの日。
「わ・る・な・ら・ハイサワー」のCMで知られるハイサワーは、炭酸水に果汁が入った割り用飲料。酒を割るだけでなく、ノンアルコールでそのままでも美味しいので、休肝日にもお勧め、という。1980(昭和55)年の発売以来高い人気を誇り、誕生30周年となることを記念して、製造元である、東京都目黒区目黒本町に本社を置く老舗飲料メーカー、株式会社博水社が2010(平成22)年に制定。日付は、二代目の田中専一社長が「我が輩が作ったサワー」から「輩サワー」と名付けたことから、8月3日の「8」を「輩(ハ[8]イ)」、「3」を「サ[3]ワー」と読む語呂合わせによる。1928(昭和3)年に田中武雄商店として創業した株式会社博水社は、第二次世界大戦対米英戦中には、日本陸軍の用命で、日本陸軍部隊の酒保(主に、軍人や軍属[軍隊に所属する、軍人以外の者]等を対象に、主に日用品・嗜好品を安価で提供していた売店)に、配給の米と砂糖で甘酒を供給した。1952(昭和27)年に株式会社博水社となった後、1975(昭和50)年には、焼酎の割材用の炭酸飲料の開発に着手し、その5年後にハイサワーを発売している。
ゆかたの日。
8月第1土曜日。大阪府柏原市が、地場産業のゆかた地の染色業のPRを兼ねて、市制施行30周年に当たる1988(昭和63)年に制定。大阪府柏原市で布地の染色が始まったのは、明治末期から大正の初め頃である。当初は、手ぬぐいの染色が主であったが、1924(大正13)年頃からゆかたの染色が多くなった。染色には、きれいな水が多く必要であったため、旧大和川の川床筋である上市・古町地区に豊富な伏流水を利用した染色の工場が多く建ち並んでいた。当時は、漂白した木綿を乾燥させるため、大和川の堤防上一面に純白の木綿地が干されている光景が見られたが、現在は、「屋上さらし」といって、建物の屋上に櫓を組んで乾燥させる方法と、室内で熱風による方法が行なわれている。現在では、工場の数も少なくなったが、伝統的な技法を守りながら、設備の近代化や技術の改良によって、現代感覚にマッチしたゆかたが作られている。
家族でレストランの日。
8月第1土曜日。ジャパン・レストラン・ウィーク実行委員会が制定。多くの人に食の大切さを伝え、家族揃って「外食」を楽しむことで世界に誇る日本の食文化の素晴らしさを知ってもらうことが目的。日付は、ジャパン・レストラン・ウィーク内の日であることと、家族は土曜日が一番外食し易いこと等から、8月第1土曜日に。ただ、2017(平成29)年のジャパン・レストラン・ウィークは、「TOKYO RESTAURANT WEEK」としてエリアを東京に絞り、コンセプトを一新して開催されるようで、開催時期は秋を予定しているという。ジャパン・レストラン・ウィークは、厳選された名店・実力派レストランで、期間限定の特別メニューをリーズナブルに楽める、年2回(夏・冬)の食の祭典である。参加レストランは、特別メニューをランチ2,000円/3,000円、ディナー5,000円/7,000円(いずれも税別・サービス料別)の定額料金で提供する。ジャパン・レストラン・ウィークは、「食文化育」をコンセプトとしている。レストランは、おいしいものを食べるだけではなく、それを食べるまでの時間の楽しみ方、食べる時の味わい方、食べ終わった後の会話の楽しみ方を享受できる場所。そして、その時空間には、それぞれのレストランの持ち味や世界観が無限に広がっている。素晴らしいレストランで過ごすことは、「食」そのものに対する価値観や受止め方を革新し得るもので、その時間はつまり、人生を豊かにする文化ともされる。
しづの女忌。
俳人、竹下しづの女の1951(昭和26)年の忌日。俳句雑誌『ホトトギス』同人の竹下しづの女は、杉田久女や長谷川かな女と共に、近代俳句における最初期の女性俳人となっている。理知的な手法で、女性の自我や自立を詠った作品が多い。1937(昭和12)年には、学生俳句連盟の機関誌『成層圏』を創刊した後、参加した中村草田男と共に指導に当たり、香西照雄、金子兜太ら後進を育てた。また、第二次世界大戦終戦後から没年まで、九大俳句会を指導している。