7月30日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0762年 - アッバース朝(中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝)の新都として、バグダッド(中東・西アジアに位置する、現在のイラクの首都バグダード[日本語では多くの場合バグダッドと表記されるが、アラビア語の綴りと発音に近付けると、バグダードという表記になる])の街が建設される。アッバース朝の第2代カリフ(指導者、最高権威者)、アブー・ジャアファル・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アル=マンスールは、アッバース朝の支配体制を確立し、首都をバグダードに置いている。イスラーム国家の中心は東方に移りつつあり、ウマイヤ朝(イスラーム史上最初の世襲王朝)の首都ダマスカス(現在の中東・西アジアに位置するシリアの南西部にある、シリアの首都でもある都市)に代わる新都として、軍隊の駐屯地に適しているだけではなく、周辺諸国や、遠く離れた中国との交通に便利な位置であり、チグリス川とユーフラテス川を介した物資の輸送を活用できる点が考慮され、バグダードが選択されたと考えられている。
1419年 - 第一次プラハ窓外投擲事件。ボヘミア(中央ヨーロッパに位置する、現在のポーランドの南部からチェコの北部にかけての地方)出身の宗教思想家・宗教改革者、ヤン・フスの支持者であるキリスト教改革派、フス派(プロテスタント[新教]の先駆とされる)の勢力が、プラハ(現在のチェコの首都)市庁舎を襲撃し、ドイツ人市長と市参事会員を窓から投げ落とす。これが、フス派と、それを異端としたカトリック(旧教)である神聖ローマ帝国との間で戦われたフス戦争の契機となる。
1570年 - 姉川の戦い。近江国浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で、織田信長・徳川家康連合軍が、浅井長政・朝倉義景連合軍を破る。
1609年 - タイコンデロガ(現在のアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州に所在)で、フランスの地理学者で探検家のサミュエル・ド・シャンプランが、イロコイ連邦(インディアン部族により構成される部族国家集団)の2名の族長を射殺。その後のフランス・イロコイ関係を方向付ける。
1629年 - イタリア南部にある港湾都市で、風光明媚な景観で知られる観光都市でもあるナポリで大きな地震が発生し、約1万名が死亡する。
1756年 - ロシア皇帝エリザヴェータ・ペトロヴナの命により、フランス生まれのイタリア人建築家であるバルトロメオ・ラストレッリが建築した、現在のエカテリーナ宮殿(ロシア西部の都市で、1917年までロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルクに所在)が完成する。
1811年 - メキシコ独立運動の指導者ミゲル・イダルゴが、スペインの植民地政府により処刑される。
1837年 - モリソン号事件。現在の中国南部に所在するマカオで保護されていた日本人漂流民を乗せて、江戸湾(近世、概ね江戸後期の東京湾を指す明治時代以降の造語)の入り口に位置することから、湾に出入りする船が必ず寄港する要衝となっていた浦賀(現在の神奈川県横須賀市東部に所在)に来航したアメリカの商船『モリソン号』を、浦賀奉行が異国船打払令(江戸幕府が1825年に発した外国船追放令)に基づき砲撃する。『モリソン号』は退去し、後にマカオへ引返す。なお、『モリソン号』は非武装であり、当時はイギリス軍艦と勘違いされていた、とされる。『モリソン号』が、日本人漂流民の送還と通商・布教のために来航していたことは約1年後に判明して、異国船打払令に対する批判が強まることとなる。
1864年 - 南北戦争: クレーターの戦い。
1907年 - 第一次日露協約(日本とロシア帝国がお互いに権益を認め合った協約)調印。
1912年 - 第122代天皇、明治天皇が崩御し、第123代天皇、大正天皇が践祚(天皇の位を受継ぐこと)。同日、元号を明治から大正に改元する。
1916年 - ブラック・トム大爆発。アメリカ合衆国東部、ニュージャージー州ジャージーシティ(ハドソン川を隔てて、ニューヨーク市のロウアー・マンハッタンの対岸に位置する)で、大規模な爆破事件が起こる。軍需物資が第一次世界大戦の連合国側諸国に輸送されることを阻止するため、ドイツの諜報員が、軍需物資の主要な発着所であったニューヨーク港内の島の施設群「ブラック・トム」を爆破。爆発による金属片は長距離まで弾け飛び、多くの建物に損害を与えた他、一部は自由の女神(ニューヨーク港内、リバティ島にある、アメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成した像)に達する。7名が犠牲となり、負傷者は数百名を数える。
1930年 - 南アメリカ南東部に位置するウルグアイの首都モンテビデオで、1930 FIFAワールドカップ第1回ウルグアイ大会の決勝が行なわれ、開催国のウルグアイが優勝する。ウルグアイは、開催国として近代的なスタジアム建設(建国100周年の記念として建設された)と参加国の全招待等を約束する。また、1924年、1928年と2度に亘ってオリンピックチャンピオンとなり、実力と共に充分な条件を持って開催国に選出される。第1回FIFAワールドカップは、以後の大会と異なり、出場権を賭けての地区予選は行なわれず、全てのチームは招待されて参加する。船での長旅のため、殆どのヨーロッパのチームが出場を辞退したが、当時の国際サッカー連盟(FIFA)会長、ジュール・リメ(フランス出身)が参加を呼掛けた結果、ベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4ヶ国(全て、当時のフランスの同盟国)が参加に踏切る。決勝戦でウルグアイは、4対2でアルゼンチンを下し、会長のジュール・リメから優勝杯を受取る。後にジュール・リメの功績を称え、優勝杯は、ジュール・リメ杯と呼ばれるようになる。  
1932年 - ロサンゼルスオリンピック大会(第10回オリンピック競技大会)開催。8月14日まで。開催都市は、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州にある全米有数の世界都市ロサンゼルス。開催招致に際し、ロサンゼルス以外に立候補した都市がなかったので、ロサンゼルスでの開催は、無投票で決定している。1929年10月の世界恐慌(世界中の資本主義諸国を襲った史上最大規模の恐慌[好況局面で突如発生する深刻な景気後退])の影響で、選手、及び役員の派遣を見送った国が続出して、前回大会の約半分にまで減り、失業者達がスタジアムに向けてデモを行なったこともある。当時の日本選手団は、軍服姿で行進しており、時代を反映した大会となっている。男子競泳では、日本勢が400m自由形を除く5種目を制した他、馬術のグランプリ障害飛越競技では、日本の西竹一陸軍中佐が、愛馬のウラヌス号を駆って金メダルを獲得。男子三段跳では、南部忠平が金メダリストとなっている。
1932年 - 世界初の三色式テクニカラー(カラー映画の彩色技術)によるカラー映画で、第1回アカデミー短編アニメ賞を受賞した、アメリカ合衆国のエンターテインメント企業、ウォルト・ディズニー・カンパニー製作の短編アニメーション『花と木』が公開される。
1935年 - イギリスで、紙装本の「ペンギン・ブックスシリーズ」の刊行が開始される。世界的なペーパーバック(ソフトカバーとも呼ばれる、安価な紙に印刷され、ハードカバーの様に皮や布や厚紙による表紙を用いていない形態の本)ブームのきっかけとなる。
1938年 - 日ソ国境紛争: ソビエト連邦と満州国(現在の中国東北部に所在し、事実上日本の支配下にあった)の国境紛争、張鼓峰事件(実質的には日本軍とソビエト連邦軍の戦闘となる)が勃発。日本軍は多大の損害を出す。
1945年 - 第二次世界大戦: 日本海軍の伊五十四型潜水艦(巡潜乙型改2)『伊号第五八潜水艦』が、西南太平洋上にある島嶼群、パラオの近海で、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦『インディアナポリス』(原爆輸送の帰路)を魚雷攻撃する。『伊号第五八潜水艦』は魚雷6本を発射し、その内の3本が『インディアナポリス』に命中する。右舷に雷撃を受けた『インディアナポリス』は転覆して沈没し、その乗員1,199名の内、883名が死亡する。『インディアナポリス』撃沈は、日本海軍の潜水艦としては最後となる大型戦闘艦の撃沈で、『インディアナポリス』は、第二次世界大戦で敵の攻撃により沈没した、最後のアメリカ海軍水上艦艇となる。第二次世界大戦終戦後、『伊号第五八潜水艦』は日本に帰投したが、長崎県西方に位置する、東シナ海に浮かぶ五島列島の沖合で、他の潜水艦23隻と共に処分される「ローズエンド作戦」に参加し、アメリカ軍の実艦標的として沈められている。