7月27日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1214年 - ブーヴィーヌの戦い。フランドル(現在のベルギー北部、フランス北部に相当)と、フランスとの境近くにあるブーヴィーヌで、フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンを破る。
1549年 - ナバラ王国(現在のスペイン北東部に所在した国)生まれで、日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なカトリック教会の宣教師、フランシスコ・ザビエルらを乗せたジャンク船(木造帆船)が、鹿児島沖に到達して錨を降ろす。8月15日(旧暦7月22日)、海上交通上の要地となっていた薩摩国(現在の鹿児島県西部に相当)にある薩摩半島の坊津(現在の鹿児島県南さつま市坊津町坊)に上陸する。
1582年 - 太閤検地: 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、近江国(現在の滋賀県に相当)で初めて検地(田畑の面積と収量の調査)を行なう。
1656年 - ユダヤ人の貿易商の家庭に生まれたオランダの哲学者・神学者、バールーフ・デ・スピノザが、アムステルダム(現在のオランダ西部に所在)のユダヤ人共同体からヘーレム(破門・追放)される。
1778年 - アメリカ独立戦争: ウェサン島の海戦。
1789年 - アメリカ合衆国政府において外交政策を実施する行政機関であり、他国の外務省に相当する、アメリカ合衆国国務省の前身、アメリカ合衆国外務省が設立される。アメリカ合衆国憲法下における初の連邦機関であるが、同年9月、追加立法により、省名を国務省に変更し、様々な内政の任務を割当てている。内政任務の大半はその後、19世紀に設立された他の省庁に引継がれ、外交に関する任務だけが残余する。現在では、他国における外務省と殆ど変わらないが、外交のみならず、通商や国家行事等も担当することがあり、他国の外務省よりも、その管掌範囲は広い。
1794年 - フランス革命: テルミドールのクーデター。恐怖政治(権力者が、自らに反対するものを投獄したり、殺戮したり等という苛烈、かつ暴力的な手段を用いて弾圧することによって、国民に恐怖を抱かせ、強引に自らの権力を保つような政治全般)を実践した、フランス革命期にできた政治党派の1つ、ジャコバン派独裁に対立する勢力によるクーデターで、これにより、フランス革命期の政治家で、史上初のテロリスト(恐怖政治家)、代表的な革命指導者とされるマクシミリアン・ロベスピエールとその同志達が失脚し、ある者は処刑され、ある者は自殺する。
1830年 - フランス7月革命が勃発。1815年の王政復古で復活した近世フランス王国の王朝、ブルボン朝は再び打倒される。ウィーン体制(フランス革命とナポレオン戦争で荒廃・混乱したヨーロッパを、それ以前の状態を復活させることにより大国の勢力均衡を図ったもの)により構築された正統主義は部分的に崩壊し、ブルジョワジー(市民革命における革命の推進主体となった、都市における有産の市民階級)の推すルイ・フィリップ1世が王位に就く。その影響はヨーロッパ各地に波及し、ウィーン体制の枠組みは揺らぎ始める。
1865年 - ウェールズ(イギリス南西部)人入植者が、南アメリカ南部に位置するアルゼンチン南部のチュブ州に到着する。
1866年 - イギリスのヴァレンティア島(ヨーロッパ大陸最西端の定住地の1つで、現在は、アイルランド[ヨーロッパ大陸の北西沖に位置し、アイリッシュ海を挟んで東にグレートブリテン島に接するアイルランド島にある国]領であり、島とアイルランド本土は橋で繋がっている)とアメリカのニューファンドランド島(北アメリカ大陸北東部に位置する島で、現在は、北アメリカ大陸北部に位置するカナダ領)の間で、大西洋横断電信ケーブルの敷設作業が完了する。
1890年 - オランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホが、フランス北部にある村、オーヴェル(オヴェール)=シュル=オワーズでピストル自殺を図る。フィンセント・ファン・ゴッホは、2日後に病院で死亡している。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られる、フランスのポスト印象派(色彩の視覚的効果をそのままに捉えようとする印象派の後に、フランスを中心として、主に1880年代から活躍した画家達)を代表する画家の1人、フィンセント・ファン・ゴッホは、日本の浮世絵にも関心を持ち、収集や模写を行なっている。発作に苦しみながら病院への入退院を繰返したが、多くの風景画、人物画を描き続けたフィンセント・ファン・ゴッホであるが、銃で自らを撃つこととなる。その生涯は多くの伝記や、アメリカの長編映画『炎の人ゴッホ』に代表される映像作品で描かれ、「情熱的な画家」や「狂気の天才」といったイメージをもって語られるようになっている。
1916年 - 香港を出港した客船『布哇丸』に神戸港から乗船した船客が、横浜港に入港する際にコレラを発症。2日後に死亡したため、『布哇丸』は長濱検疫所(現在の神奈川県横浜市金沢区長浜に所在)へ回航され、乗客・乗員全員(乗客189名、乗員133名)が収容される。その後、コレラは日本全国に広まり、この年だけで約7,500名の死者を出す。コレラは代表的な経口感染症の1つで、コレラ菌で汚染された水や食物を摂取することによって感染する。経口摂取後、胃の酸性環境で死滅しなかった菌が、小腸下部に達し、定着・増殖し、感染局所で菌が産生したコレラ毒素が細胞内に侵入して病態を引起こす。下痢を主症状として発症し、大量の下痢便の排泄に伴ない高度の脱水状態となり、収縮期血圧の下降、皮膚の乾燥と弾力の消失、意識消失、嗄声あるいは失声、乏尿、又は無尿等の症状が現れる。治療は、輸液により全身状態を改善することと、抗菌薬により除菌を行ない、下痢の期間を短縮させ、感染拡大を防止することが主体となる。
1924年 - 5月4日から行なわれていたパリオリンピック(第8回オリンピック競技大会)が閉幕する。この時のオリンピック主催者は、選手達を同じ屋根の下に集める構想に基づき、史上初の選手村を建設している。質素な木造の小屋からなる選手村は、閉幕後すぐに取壊されたが、現在では若干の改修をして、公営住宅等に転用されるケースが多く、部屋の造り等も転用を見越した設計となっている。
1930年 - 第一次国共内戦。紅軍(中国人民解放軍の前身)が、中国南部にある長沙を占領。長沙ソビエト政権が樹立される。
1932年 - 文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)が、世界恐慌や前年の北日本の凶作の影響により、農漁村の欠食児童が20万名を超えると発表。
1939年 - アメリカ合衆国が日米通商航海条約の破棄を通告。半年後の1940年1月26日に失効する。
1945年 - 労働党党首クレメント・アトリーがイギリスの首相に就任。
1949年 - 世界初のジェット旅客機デ・ハビランド DH.106 コメットが初飛行。イギリスのデ・ハビランド社(後にイギリスの航空機メーカー、ホーカー・シドレー社に合併される)が製造したデ・ハビランド DH.106 コメットは定期運航就航直後、与圧された胴体の繰返し変形による金属疲労が原因の空中分解事故を起こすが、そこで得られた教訓が、その後の航空技術、とりわけ安全向上に果たした役割もまた非常に大きい。
1950年 - 広島県深江(現在の広島県江田島市に所在)沖で漁船が操業していたところ、漁網に掛かった大型磁気機雷が爆発。漁船4隻が大破、2隻が損壊し、死者・行方不明者46名を出す惨事となる。
1953年 - 朝鮮戦争: 朝鮮半島中間部に位置する板門店で休戦協定が調印され、現在の軍事境界線が設定される。
1953年 - バー・メッカ殺人事件。東京都港区新橋にあるバー『メッカ』の天井から血が滴り落ち、騒ぎになる。その屋根裏から、証券ブローカー(当時40歳)の撲殺された遺体が発見され、現金41万円が奪われていることも判明する。
1955年 - 中部ヨーロッパの内陸に位置するオーストリアの連合国による占領が終了し、オーストリアは主権を回復する。
1965年 - 第二次大戦後初の日本からの樺太(オホーツク海の南西部にある、現在のロシア連邦サハリン州の島)墓参団が出発。
1970年 - 東京都で光化学スモッグ注意報・警報の発令体制が開始される。