7月26日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0657年 - スィッフィーンの戦いの本格的な衝突が始まる。スィッフィーンの戦いは、ユーフラテス川上流域のスィッフィーン(現在の中東・西アジアに位置するシリア北部に所在)で行なわれたイスラーム教の第4代正統カリフ(イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号)、アリー・イブン・アビー=ターリブと、初代シリア州の総督(アミール)ムアーウィヤの戦いである。イスラーム教の5人目のカリフ、ムアーウィヤは、次第に勢力を拡大し、本拠地シリアの南西部にあるダマスカスを首都に定め、カリフ位の実質的な世襲化を始めてウマイヤ朝(イスラーム史上最初の世襲王朝)を開く。
0811年 - ブルガリア・東ローマ戦争: プリスカの戦い(ヴルビツァ峠の戦い)。第一次ブルガリア帝国のハーン・クルムが東ローマ帝国を破る。東ローマ皇帝ニケフォロス1世は戦死、息子のスタウラキオスも重傷を負う。
1469年 - 薔薇戦争: エッジコート・ムーアの戦い。
1581年 - 八十年戦争: ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク等の領域)の北部7州が、スペイン王フェリペ2世の統治権を否認。
1788年 - ニューヨーク州がアメリカ合衆国憲法に批准し、アメリカ合衆国11番目の州となる。
1798年 - 国学者・文献学者、本居宣長の『古事記伝』全44巻が完成。『古事記伝』は、日本最古の歴史書である『古事記』全編に亘る全44巻の註釈書である。近世における『古事記』研究の頂点をなし、近代的な意味での実証主義的、かつ、文献学的な研究として評価されている。本居宣長は『古事記』の註釈をする中で、古代人の生き方や考え方の中に連綿と流れる一貫した精神性、即ち『道』(古道)の存在に気付き、この『道』を指し示すことにより、日本の神代を尊ぶ国学として確立させた、とされる。本居宣長が『古事記』を称揚した影響で、それまでは、正史である『日本書紀』と比して冷遇されていた『古事記』に対する評価は一変し、神典として祀り上げられるようになる。本居宣長は、『古事記』の註釈に当たって、本文に記述された伝承は全て真実にあったことと信じ、「やまとごころ」を重視して、儒教的な「からごころ」を退けるという態度を貫いている。なお、『古事記』本文の定本の1つとして、現在でも参考に用いられている『訂正古訓古事記』は、本居宣長の死後、1803年に、弟子の国学者・文献学者、長瀬真幸が、『古事記伝』の本文と訓のみを一部訂正し、出版したテキストである。 
1822年 - 南アメリカ各国をスペインから独立させるために活躍した、南アメリカ南部に位置するアルゼンチン出身の軍人で政治家のホセ・デ・サン=マルティンと、南アメリカ大陸北西部のいわゆる「アンデス5ヶ国」(ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラ)をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を樹立しようとした、南アメリカ北部に位置するベネズエラ生まれの軍人で革命家・政治家のシモン・ボリバルが、エクアドル西部にあるグアヤキルで会談する。 
1847年 - アメリカ合衆国の解放奴隷によって建設された再移住区で、西アフリカに位置するリベリアが、憲法を制定して独立を宣言。リベリアは、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国となっている。
1863年 - 南北戦争: モーガンの襲撃が終了。南軍将軍で、騎兵隊を率いたジョン・ハント・モーガンが北軍の戦線内側に入り、北部に侵攻する。46日間、ジョン・ハント・モーガンの騎兵隊は北部を移動し、北軍を翻弄するが、最終的には降伏している。
1866年 - プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)とオーストリア帝国が、両国間の戦争、普墺戦争の仮講和条約となるニコルスブルク仮条約を締結。
1882年 - ドイツの作曲家、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『パルジファル』が、ドイツ南部のバイロイトにあるバイロイト祝祭劇場で初演。
1887年 - ユダヤ系ポーランド人の眼科医・言語学者、ルドヴィコ・ザメンホフが作った、人工言語エスペラントの最初の学習書『Unua Libro』が出版される。
1908年 - アメリカ合衆国司法省内に捜査局(BOI、後のアメリカ連邦捜査局[FBI])が設立される。
1918年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)下関駅構内で、軍用火薬が爆発する事件が発生。死者27名。
1930年 - 沖縄県で台風による暴風雨、高潮が発生。死者・行方不明者20名、家屋2,160戸が損壊する等の被害となる。
1937年 - 広安門事件:中国北平(現在の中国の首都北京)で、中国軍が日本軍を襲撃する。
1940年 - 大東亜新秩序、国防国策体制を明記した基本国策要綱が閣議決定。
1941年 - 第二次世界大戦: イギリス、及びイギリス連邦各国が日英通商航海条約の破棄を通告し、日本の資産を凍結する。同日、アメリカ合衆国も在米日本資産凍結命令を出し、在留邦人の活動が大きく制限される。
1945年 - 第二次世界大戦: イギリス・アメリカ在米日本資産凍結命令・中華民国3ヶ国の首脳がポツダム宣言を発表。
1945年 - イギリス総選挙の開票が行なわれ、ウィンストン・チャーチル首相の保守党がクレメント・アトリー率いる労働党に敗れる。ポツダム会談中のウィンストン・チャーチルは帰国する。
1945年 - 第二次世界大戦: 広島・長崎に投下されることになる原子爆弾の弾頭を載せたアメリカ海軍の巡洋艦『インディアナポリス』が、太平洋中西部に位置する北マリアナ諸島のテニアン島に到着する。
1946年 - 大阪タイガース(現在の阪神タイガース)対パシフィック(後の大洋松竹ロビンス、現在の横浜DeNAベイスターズの前身の1つ)戦が、試合時間55分でプロ野球最短記録となる。
1947年 - アメリカ合衆国ハリー・S・トルーマンが、国家安全保障法(NSA)に署名して発効。これにより、国家安全保障会議(NSC)・国家軍政省(後の国防総省[DoD])・アメリカ中央情報局(CIA)が設置される。
1950年 - 朝鮮戦争: 韓国中部で、アメリカ軍による韓国民間人の虐殺事件、老斤里事件が起こる。韓国人避難民にアメリカ空軍機が機銃掃射を行なう等して、約300名の韓国人の民間人が虐殺された、とされる。
1951年 - 北海道札幌市内を走行中の札幌中央バスから出火。火元は、車内にあった映画フィルム。死者12名、重軽傷者32名。
1952年 - エジプト革命: アフリカ大陸北東部に位置するエジプトの王、ファールーク1世が廃位され、ヨーロッパへ亡命。生後半年のフアード2世が即位する。
1953年 - キューバ革命・7月26日運動: フィデル・カストロ率いる小隊が、キューバ南東部の都市サンティアーゴ・デ・クーバにあるモンカダ兵営を襲撃、キューバ革命の端緒となる。
1953年 - 神奈川県西部にある箱根山山系の山、早雲山で地すべり(山や傾斜地の一部が非常にゆっくり動く[滑る]現象)が発生。土石流(土砂が水[雨水や地下水]と混合して、河川・渓流等を流下する現象)となり、約2km下流まで流下し、約80万立方mの土砂を堆積させ、埋没面積約7ha、死傷者28名を出す惨事となる。
1956年 - エジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル大統領が、地中海と紅海をスエズ地峡で結ぶ人工海面水路、スエズ運河の国有化を宣言。これにイギリス・フランスが反発し、第二次中東戦争(スエズ動乱)のきっかけとなる。
1958年 - アメリカで、地球観測衛星「エクスプローラー4号」が打上げられる。
1963年 - スコピエ地震。ヨーロッパ東南部、バルカン半島にあるマケドニア社会主義共和国(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成国、現在のマケドニア共和国)の首都スコピエでマグニチュード(M)6.1の地震が発生。死亡者1,100名以上。 
1963年 - 初の対地同期軌道(地球の自転周期と一致する軌道周期をもつ地球周回軌道)通信衛星である、アメリカの「シンコム2号」が打上げられる。
1963年 - ヨーロッパ、北アメリカ等の国々によって、国際経済全般について協議することを目的とした国際機関、経済協力開発機構(OECD)が日本の加盟を承認する。第二次世界大戦前の「五大国」の1国で、戦後の復興が進んでいた日本は、早くから経済協力開発機構(OECD)加盟に関心を示し、枠拡大直後の1964年4月28日には、実際に加盟している。原加盟国以外で初めての加盟で、その後は、フィンランド(1969年1月28日) 、オーストラリア(1971年6月7日)、ニュージーランド(1973年5月29日)が加盟する。
1965年 - 南アジア、インドとスリランカの南西に位置するインド洋上の島国、モルディブがイギリスから独立する。