7月15日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

盆・盂蘭盆会。
祖先の霊を供養する行事。伝統的には、旧暦7月15日に当たる中元節の日に祝われた。中元は、地官大帝(若しくは赦罪大帝で、舜[中国神話に登場する君主]と同一視される)の誕生日であり、さまざまな罪が赦される贖罪の行事が催される。また、地官大帝は地獄の帝でもあるため、死者の罪が赦されるよう願う行事も催される。現在では、新暦8月15日(月遅れの盆)開催が殆どである。地方によっては、お盆の期間中には、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」(しょうりょううま)と呼ばれるキュウリやナスで作る動物を用意することがある。4本の麻幹(皮を剥ぎ取った麻の茎)、或いはマッチ棒、折った割り箸等を足に見立てて差込み、馬、牛として仏壇周りや精霊棚に供物と共に配する。キュウリは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらう、との願いがそれぞれ込められている。仏教用語の「盂蘭盆会」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれるが、盆とは文字通り、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。現在でも、精霊を「ボンサマ」と呼ぶ地域がある。中華文化では、漢民族の土着的・伝統的な宗教である道教(初期の道教的信仰は、不老不死の神仙を希求したり、巫術や道術による治病や攘災[災いを祓い除くこと]に重点を置いたが、儒教や仏教と競合し、影響し合い、内的修養や民衆的道徳意識の堅持を中心とする信仰をも重視するように発展した)を中心として、旧暦の七月を「鬼月」とする慣習がある。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は、道教の影響を受けていると考えられる。台湾や香港、華南を中心に現在でも、中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われている。盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に、祖先の霊が子孫の下を訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残、との説がある)が、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになった、と言われている。日本では、8世紀頃には、夏に祖先供養を行なうという風習が確立されたと考えられている。地方や、仏教の宗派により行事の形態は異なる。奈良時代、そして平安時代には、毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)を合わせ行なった。「施餓鬼会」は、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、また、そのような法会を指す。特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされているが、仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる。しかし、仏教の二大流派の1つで、古来の仏陀の教えを拡大し、新しい解釈を加えた教派である大乗仏教(釈迦の言行の伝承を中心とした原始仏教、並びに、釈迦の法の注釈的研究を主とする保守派、小乗仏教[上座部仏教、部派仏教とも呼ばれる]に対するもので、伝統的な部派仏教がセイロン[現在のスリランカ]やビルマ[現在のミャンマー]、タイ等、南方に伝播したのに対し,大乗仏教はチベット、中国、日本等北方へ伝わり、今日に至っている)では、後々に死後に生まれ変わるだけではなく、今生においてそのような行状をする人の精神境涯をも指して言われるようになった。餓鬼は、常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも、手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる。1872(明治5)年7月に京都府は、盂蘭盆会の習俗一切を、風紀上良くないと停止を命じたこともあった。現在でも、長崎市鍛冶屋町にある黄檗宗の寺院、崇福寺(長崎で貿易を行なっていた、中国南東部、福建省出身の華僑[中国国籍を保持したままで、海外に移住した中国人、及び、その子孫]の人々が、福建省の省都福州から中国僧の超然を招聘して、1629[寛永6]年に創建した寺院で、中国様式の寺院としては日本最古のものであり、福建省の出身者が門信徒に多いため、福州寺や支那寺と称せられた)等では、中国式の盂蘭盆行事である「(普度)蘭盆勝会」が行なわれる。
中元(新暦)。
半年生存の無事を祝い、祖先の霊を供養する日。元々は正月15日の上元、7月15日を中元、10月15日の下元を合わせて「三元」とする中国の習慣が伝わったもので、日本では「盂蘭盆会」と日が重なったことから、祖先の霊を供養し、両親に食べ物を送るようになった。この習慣が、目上の人、お世話になった人等に贈り物をする「お中元」に変化した。夏のご挨拶である「お中元」は、道教の年中行事である「中元」が起源である。これに、日本古来の先祖供養の風習が融合し、親類縁者等へお供え物を配る習慣ができたと言われる。その後、江戸時代には、感謝の気持ちを込めた贈りものへ変化し、現代のように、上半期の区切りに、お世話になった方に贈る習慣として定着した。贈る時期は、地方によってずれがある。首都圏では7月上旬から7月15日頃までに贈るのが本来の習慣とされ、最近では、6月下旬から7月15日頃までに贈ることが一般的になっている。これを過ぎる時も、表書きを立秋(例年、8月8日か8月9日)までは「暑中御見舞」に、立秋以降は「残暑御見舞」に変えれば失礼はない。贈り先が目上の方の場合は、それぞれ「暑中御伺い」「残暑御伺い」とする。首都圏以外は7月上旬から8月15日頃が中元の期間とされるが、立秋等を過ぎた場合、「残暑御見舞」「残暑御伺い」として贈ります。なお、「お中元」は、毎年贈るのが基本で、今年、特別にお世話になった方に恒例とせずに贈るなら、「御礼」とすのが良い。のし紙は、紅白5本蝶結びで、贈り主が個人の場合、名前は姓のみとする。
マンゴーの日。
沖縄県那覇市泉崎に事務局を置く、沖縄県農水産物販売促進協議会が2000(平成12)年に制定。日付は、収穫の最盛期を目前に控えた日であることから。マンゴーの原産地は、インドからインドシナ半島周辺と推定されている。現在では、500以上の品種が栽培されていて、インド・メキシコ・フィリピン・タイ・オーストラリア・台湾が主な生産国で、日本では、沖縄県・宮崎県・鹿児島県・和歌山県・熊本県で主に栽培されている。マンゴーの木は常緑高木で、樹高は40m以上に達する。マンゴーは、熟した実を中心にある種に沿って切り、生のまま食用にするのが一般的であるが、ジュース・ピューレ・缶詰・ドライフルーツ等にも加工される他、ムース・ケーキ・シャーベット・スムージー・グミ等の洋生菓子も盛んに作られている。また、未熟果を塩漬け・甘酢漬け・チャツネにする。栄養面では、特にビタミンAやβ-カロテン(植物に豊富に存在する赤橙色色素の1つ)が多い。なお、5月25日の「0525」を、「マンゴー(05)ニッコリ(25)」と読む語呂合わせと、この頃に宮崎県産マンゴーの出荷が最盛期に当たることから、5月25日が「みやざきマンゴーの日」とされている。