7月13日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0869年 - 貞観地震(グレゴリオ暦換算、ユリウス暦7月9日)。貞観地震は、陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底が震源域となって発生した、と推定されている巨大地震で、地震の規模は少なくともマグニチュード(M)8.3以上とされる。地震に伴なって発生した津波による被害も甚大で、死者は1,000名を超える、と伝えられる。この地域に周期的に発生する三陸沖地震(日本海溝における海溝型地震[海側のプレートと大陸側のプレートとが接する海溝で、大陸側プレートの下に潜り込もうとする海側プレートに引摺られて撓んだ大陸側プレートが、跳ね返って発生する地震]の中でも、特に遠方の海域で発生する地震の1つ)として理解されてきたため、貞観三陸地震と呼称されることがある。また、日本の観測史上最大の地震となった東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が、この地震の再来ではないかと言われている。
1573年 - 八十年戦争: ハールレム攻城戦が終結。
1643年 - イングランド内戦: ラウンドウェイダウンの戦い。
1765年 - 貴族・政治家のロッキンガム侯チャールズ・ワトソン=ウェントワースが、第9代イギリス首相に就任。
1772年 - イギリスの小型帆船『レゾリューション号』とイギリス海軍の三檣帆船『アドヴェンチャー号』が、イギリス海軍軍人、ジェームズ・クック率いる2度目の太平洋探検のため、イギリス南西部にあるプリマスを出港。
1787年 - アメリカ合衆国連合会議で、北西部領土の統治方法を定めた北西部条例が可決される。アメリカ合衆国が統治する最初の領土(テリトリー)として、五大湖(アメリカ合衆国とカナダの国境付近に連なる5つの湖の総称)の南、オハイオ川(アメリカ合衆国中東部を流れる川)の北と西、ミシシッピ川(アメリカ合衆国中西部を流れる川)の東の地域を北西部領土と規定する。
1837年 - イギリス女王ヴィクトリアが、イギリスの首都ロンドン中心部にあるセント・ジェームズ宮殿から、近隣のバッキンガム宮殿に移り住む。これ以降、バッキンガム宮殿がイギリス王室の常住の場となる。
1848年 - イギリスの首都ロンドンのターミナル駅、ウォータールー駅が開業。現在のロンドン・ウォータールー駅は、ロンドン中心部の南郊に所在する、主要な複合ターミナル駅である。4つの鉄道駅(その内の1つ、ウォータールー国際駅は、グレートブリテン島[イギリス]とヨーロッパ大陸[フランス]間のドーバー海峡[英仏海峡]を結ぶ鉄道用海底トンネル、英仏海峡トンネルを通ってイギリスと大陸ヨーロッパとを結ぶ国際列車、ユーロスターのロンドン側ターミナルとなっていたが、現在は閉鎖されている)とバスターミナルが繋がっている。ロンドン・ウォータールー駅は、イギリスでは一番旅客数が多い駅となっている。ユーロスターのターミナル駅が、ロンドン北西部に所在するセント・パンクラス駅に移されたため、旅客数が減少すると予想されていたが、それに反して、今なおその座を保ち続けている。ロンドン・ウォータールー駅の乗降人員数は、イギリスで最も多い乗降人員であるが、ヨーロッパでは15位、全世界では91位である。但し、ランクインしている駅の大半が、1位の新宿駅を筆頭に、日本の関東地方となっている。
1863年 - ニューヨーク徴兵暴動。南北戦争中のアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市で、アイルランド系移民の労働者が徴兵反対を訴え暴徒化する。市民は武装して略奪を繰広げ、警察の手に余る事態に発展したが、その後アメリカ軍が到着して、交戦の末鎮圧する。鎮圧への兵力供出は、南北戦争の戦線に影響を及ぼした他、最終的に数千の逮捕者と死者を出して、莫大な経済的損失をもたらすこととなる。
1864年 - 明保野亭事件。新撰組の周防国/長門国長州藩系浪士探索活動中に京都東山(現在の京都市東山区に所在)の料亭「明保野亭」(「あけぼの亭」「曙亭」とも)で、土佐国土佐藩士の傷害・切腹が偶発する。それに伴ない、陸奥国会津藩士の切腹事件も発生する。当時の新撰組には、会津藩から応援が派遣されており、土佐藩士を負傷させたのが会津藩士であったことから、土佐藩内部で新撰組と会津藩への反発が強まり、事態は会津藩と土佐藩の衝突に発展しかねない状況になる。京都守護職でもある会津藩主の松平容保が、事態の処理に苦慮したことを受け、当事者となった会津藩士は自主的に切腹し、会津藩と土佐藩の衝突は回避される。21歳という若さで切腹した会津藩士、柴司の忠義に感じた松平容保は、柴司の兄、柴外三郎に禄を与え、別家を興させて報い、柴司の葬儀には、会津藩士の他、新撰組隊士達も参列し、その死を惜しんでいる。
1867年 - 土佐国土佐藩郷士から幕末の志士となった坂本龍馬が『船中八策』を著す。『船中八策』は、新国家体制の基本方針とされるものの俗称である。伝えられる内容は、大政奉還、上下両院の設置による議会政治、有能な人材の政治への登用、不平等条約の改定、憲法制定、海軍力の増強、御親兵の設置、金銀の交換レートの変更等、当時としては画期的な条文が、平素な文章として記されている。
1870年 - エムス電報事件。プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)宰相オットー・フォン・ビスマルクが、同国国王ヴィルヘルム1世から受取った電報に意図的な編集を行なって世間に公表する。当時のスペイン王位継承問題に端を発するもので、普仏戦争(フランスとプロイセン王国の間で行なわれた戦争)の直接の原因となる。なお、「エムス」は、ヴィルヘルム1世が静養していたドイツ西部の温泉地、バート・エムスに由来する。
1878年 - 露土戦争(ロシア帝国とオスマン帝国[現在のトルコ共和国の前身]の間で起こった戦争)の講和条約、ベルリン条約が締結される。
1886年 - 1888年1月1日から、東経135度の子午線の時刻を日本標準時とすることを定めた勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件(明治19年7月13日勅令第51号)」が公布される。この規定は現在も効力がある。
1893年 - パークナム事件。フランス海軍の軍艦2隻と、タイ軍の軍艦1隻、及び陸上要塞が交戦し、フランス海軍側が勝利して、フランスが、「タイ(シャム)属領のルアンパバーン王国・チャンパーサック王国・シエンクワーン王国とタイ領の旧ヴィエンチャン王国」(現在の東南アジア、インドシナ半島に位置する国、ラオスに相当する地域)の領有を迫る。「パークナム」とは河口という意味で、河口で紛争が起きたため、このように呼ばれる。
1911年 - 第三次日英同盟(日本とイギリスとの間の軍事同盟)協約が締結される。
1919年 - アメリカ合衆国が金本位制(一国の貨幣価値[交換価値]を金に裏付けられた形で金額で表わすもの)に復帰。
1923年 - 後にハリウッド(アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州のロサンゼルス市にある地区で映画産業の中心地)の象徴となる「HOLLYWOOD」の看板が設置される。
1930年 - 1930 FIFAワールドカップ(第1回ウルグアイ大会)が、南アメリカ南東部に位置するウルグアイで開幕。この第1回目となるFIFAワールドカップは、以後の大会と異なり、出場権を賭けての地区予選は行なわれず、参加した全13チームは招待されて参加している。船での長旅のため、殆どのヨーロッパのチームが出場を辞退したが、当時の国際サッカー連盟(FIFA)会長、ジュール・リメ(フランス人)が参加を呼掛けた結果、ベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4ヶ国(全て当時のフランスの同盟国)が参加に踏切っている。開催国ウルグアイは4対2でアルゼンチンを下し、1921年から1954年まで国際サッカー連盟(FIFA)会長を務め、FIFAワールドカップの実現に尽力したジュール・リメから優勝杯を受取る。後に、ジュール・リメの功績を称えて、FIFAワールドカップの優勝杯は、ジュール・リメ杯と呼ばれるようになる。 
1937年 - 大紅門事件。中華民国北平(現在の中国の首都北京)にある大紅門で、日本兵が中国軍に襲撃され、4名が死亡する。