7月7日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1333年 - 南北朝時代: 持明院統(北朝)の初代天皇として扱われている光厳天皇が、京都に復帰した大覚寺統(南朝)の第96代天皇、後醍醐天皇に譲位し、一旦は南北朝が合一する。
1456年 - フランス西部にあるルーアンで、25年前のジャンヌ・ダルク(フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人でもある)の処刑裁判の判決破棄を宣言。
1541年 - 甲斐源氏の嫡流に当たる甲斐武田家第19代当主で甲斐国(現在の山梨県)の守護大名・戦国大名、武田晴信(後の武田信玄)が、父である武田信虎を甲斐国から追放。武田信虎が、嫡男の武田晴信を疎んじ、次男の武田信繁を偏愛しており、ついには廃嫡を考えるようになったという親子不和説や、武田晴信と重臣との共謀説等、この事件の背景には諸説がある。武田信虎と家臣団との関係が悪化していたことが原因と推察され、武田信虎の治世は、度重なる外征の軍資金確保のために、農民や国人衆に重い負担を課し、怨嗟の声は甲斐国内に渦巻いており、武田信虎の追放は、領民からも歓迎されたという。
1777年 - アメリカ独立戦争: ハバードトンの戦い。
1798年 - 擬似戦争(アメリカ合衆国と革命後のフランスとの間で、全て海上で行なわれた宣戦布告なき戦い): フランスの私掠船(戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、私掠免許を得た個人の船で、厳密には海賊ではない)によるアメリカ商船への攻撃を受け、アメリカ議会がフランスとの条約を破棄。実質的な戦争の開戦。
1807年 - ナポレオン戦争: フランスとロシアがティルジットの和約(ティルジット講和条約)を締結。
1884年 - 「華族令(明治17年7月7日宮内省達無号)」が制定される。従前の華族(江戸時代の身分制度である公卿・諸侯の称を廃し、これらの家は華族となることが定められたもの)を公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5爵に区分し、基本的に旧公家の華族は家格により、旧諸侯の華族は石高により、それぞれの爵位を授爵する。また、国家に勲功ある者を新たに華族に列し、勲功によりそれぞれの爵位を授爵する。皇位継承順位等、皇室に関する制度・構成等について規定していた家憲、「皇室典範(旧典範)」を根拠として、「皇室典範(旧典範)」に属する法体系、いわゆる「宮務法」の下で制定されていた、皇室に関係する一連の天皇の命令、「皇室令」の1つである「華族令(明治40年5月8日皇室令第2号)」が1907年に公布され、宮内省達の「華族令」は廃止となっている。「皇室令」の「華族令」も、華族その他の貴族制度を禁止した日本国憲法の施行に伴なう、「皇室令及附属法令廃止ノ件(昭和22年5月2日皇室令第12号)」の公布により、1947年5月2日限りで廃止されている。
1884年 - 三菱商会(三菱財閥[海運と商事を中心に事業を展開し、造船業・鉱業・鉄道・貿易等、あらゆる分野に進出した、日本三大財閥の1つで、現在の三菱グループ]の前身に当たる)の岩崎彌太郎が、工部省(後に逓信省と農商務省に分割・統合され、現在の総務省、日本郵政[JP]、日本電信電話[NTT]、及び農林水産省、経済産業省に受継がれている)長崎造船局の払下げを受け、長崎造船所として造船事業を始める。これが、現在の三菱重工業(日本の三大重工業の一角を成し、事業内容・規模共に首位で、日本最大の技術開発メーカーでもある)の源流となっている。
1892年 - 東南アジアに位置するフィリピンで、フィリピンの独立運動家・革命家、アンドレス・ボニファシオらが、スペインからの独立運動組織カティプナンを結成する。
1898年 - 太平洋中央部の洋上にあるハワイのアメリカ合衆国への併合、ハワイ準州の設立を定めたニューランズ決議が発効。
1919年 - 乳酸菌飲料『カルピス』販売開始。
1937年 - 日中戦争の発端となる盧溝橋事件(現在の中国の首都北京の南西にある盧溝橋で、日本軍が夜間演習をしていた時に発砲された事件)が発生。
1940年 - 「奢侈品等製造販売制限規則(七・七禁令、昭和15年7月6日商工省・農林省令第2号)」施行。「奢侈品等製造販売制限規則」は、当時の商工省(昭和の前半期に商工業の奨励・統制を担った国家機関で、現在の経済産業省の前身の1つ)及び農林省(現在の農林水産省の前身)が、総力戦遂行のため、国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定した「国家総動員法(昭和13年4月1日法律第55号)」を根拠に発した、不急不用品・奢侈贅沢品・規格外品等の製造・加工・販売を禁止する省令である。
1940年 - 沖縄県八重山諸島に台風が接近し、家屋705戸が倒壊する被害となる。
1941年 - 第二次世界大戦: 北ヨーロッパの北大西洋上に位置するアイスランドに、アメリカ軍が駐留する。
1944年 - 第二次世界大戦・サイパンの戦い: 太平洋中西部に位置する北マリアナ諸島の中心地、サイパン島の日本軍守備隊が玉砕。
1945年 - 日本陸軍と日本海軍が共同で開発を進めたロケットエンジンの局地戦闘機「秋水」が初飛行するが、燃料タンクの問題によって墜落し、パイロットが死亡する。「秋水」は、ドイツ空軍の航空機史上唯一の実用ロケット推進戦闘機、メッサーシュミット Me163 「コメート」の資料を基に設計を始めたが、試作機で終わる。「秋水」の正式名称は「試製秋水」で、海軍の略符号は「J8M」、陸軍のキ番号は「キ200」である。旧日本海軍は、アメリカ海軍と類似した記号体系を使用しており、基本的には、機種記号、機種毎の計画番号、設計会社記号の順である。機種記号は、「J」が陸上戦闘機となっており、設計会社記号は、「M」が三菱重工業となっている。旧日本陸軍は、試作名称(計画名称)に機種やメーカーの区別なく、統一した「キ○○」(キ番号)の通し番号を使用している。大戦末期にロケット機、ジェット機が登場すると、200番以降の番号が割振られる。第二次世界大戦中、日本とドイツの技術交流は、独ソ戦によってシベリア鉄道ルートが閉ざされ、英米との開戦により、水上船舶ルートも困難になってしまう。日独両国の人的交流、物的交流は、インド洋を経由した潜水艦輸送に限定されるようになる(遣独潜水艦作戦)。日本から技術供与できるものは少なく、アジア各地の天然資源である生ゴム、錫、タングステン等の戦略物資を輸送する見返りとして、ドイツはジェットエンジン、ロケットエンジン、原子爆弾等の新兵器の技術情報を日本に供与する。1944年4月、日本海軍の伊号第二九潜水艦は、ロケット機、ジェット機の資料を積んで、ヨーロッパから日本に帰国しようとするが、途中で撃沈されてしまう。資料の一部が何とか入手できたが、メッサーシュミット Me163 「コメート」の設計資料が不十分であるため、日本の技術で補完する必要が生じる。日本独自の設計も施され、量産工場と研究機関が連携を取れた数少ない例となる。また、セクショナリズムの弊害が目立っていた日本軍で、陸海軍共同の製作体制を構えたことは、遅きに失したとは言え、画期的な事例ともなっている。
1946年 - 「高速・長距離写真偵察機」と呼ばれる要求仕様に応じて設計された、アメリカ陸軍の試作軍用偵察機ヒューズ XF-11の試作初号機が初飛行で墜落し、操縦していたアメリカの実業家で飛行家、ハワード・ヒューズが大怪我を負う。ハワード・ヒューズによって設立された航空機製造会社、ヒューズ・エアクラフト社で製造されたヒューズ XF-11が、前評判を裏切って墜落したことから、開発計画は頓挫する。ヒューズ・エアクラフト社は、後に業務を飛行機からヘリコプターに移し、1972年になってヒューズ・ヘリコプターズに改組され、1984年、ヒューズ・ヘリコプターズはアメリカの大手航空機製造会社、マクドネル・ダグラス社(1997年、世界最大の航空宇宙機器開発製造会社であるアメリカのボーイング社に合併される)に5億ドルで売却され、社名はMDヘリコプターズに変更されている。