7月5日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1295年 - フランスとスコットランドが、イングランドに対抗するための同盟を結成する。
1610年 - イングランドの商人、ジョン・ガイが、39名の入植者と共にニューファンドランド島(現在のカナダの東海岸に位置する島)へ向けて、ブリストル(現在のイギリス西部に所在)を出航する。
1687年 - イングランドの哲学者・自然哲学者・数学者、アイザック・ニュートンの著書『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』が刊行される。これは、アイザック・ニュートンの力学体系を解説した書で、全3巻からなる。古典力学の基礎を築いた画期的な著作で、近代科学における最も重要な著作の1つとされる。運動の法則を数学的に論じ、天体の運動や万有引力の法則を扱っている。
1809年 - ナポレオン戦争: ヴァグラムの戦い。
1811年 - 南アメリカ北部に位置するベネズエラが、スペインからの独立を宣言。ベネズエラの首都カラカスを襲い、市街の約3分の2を崩壊させたカラカス大地震等で、その後のベネズエラは混乱したが、ベネズエラがスペイン軍を破ったことから、1821年には、ベネズエラのスペインからの独立が承認される。
1814年 - 米英戦争: チッパワの戦い。
1861年 - 第一次東禅寺事件。江戸高輪東禅寺(現在の東京都港区高輪に所在する、臨済宗妙心寺派の別格本山で、日本初のイギリス公使館が置かれた)で、常陸国水戸藩脱藩の攘夷派浪士14名が、イギリス公使ラザフォード・オールコックらを襲撃する。ラザフォード・オールコックは難を逃れたが、書記官らが負傷し、襲撃した水戸藩浪士、公使館の警備に就いていた警備兵の双方に死傷者が出る。
1863年 - 朔平門外の変(猿ヶ辻の変)。尊王攘夷を唱える過激派公家として知られた姉小路公知が、禁裏(現在の京都市上京区に所在する皇室関連施設、京都御所)朔平門(さくべいもん)外にある猿ヶ辻で暗殺される。
1884年 - 中部アフリカに位置するカメルーンの全土が、ドイツの勢力下に置かれる。
1886年 - 日本初の電力会社、東京電燈会社(現在の東京電力の源流に当たる)が開業。
1909年 - 日本陸軍代々木練兵場(現在は、東京都渋谷区代々木神園町、及び、東京都渋谷区神南に所在する代々木公園となっている)が完成。
1935年 - アメリカ合衆国で、労働者の団結権・団体交渉権を保証する「全国労働関係法」(ワグナー法)が施行される。
1936年 - 陸軍軍法会議(主として軍人に対し、司法権を行使する軍隊内の機関)が、磯部浅一ら二・二六事件(陸軍皇道派[天皇親政の下での国家改造を目指した派閥]の影響を受けた青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター事件)の軍関係者17名に死刑判決を下す。
1937年 - アメリカの食肉製品メーカー、ホーメルフーズが、ランチョンミート(ソーセージミート、食肉を原料とした料理の1つで、ソーセージの材料を腸ではなく型に詰めたもの)の缶詰を『SPAM』の名称で販売開始。欧米では、『SPAM』は一般的な食品として普及しており、日本国内でも、沖縄県を始めとする在日米軍基地周辺では比較的有名である。沖縄の家庭料理「ポーク卵」は、薄切りにした『SPAM』を焼き、卵焼きを添えたものである。因みに、『SPAM』は、受信者の意向を無視して、無差別、かつ大量に一括して送信される、電子メールを主としたメッセージである「スパム」の語源の1つともされている。
1938年 - 阪神大水害。6月末に太平洋岸に形成された顕著な梅雨前線が、7月3日に瀬戸内海を通過し、7月3日の夕方から降り始めた激しい雨は、7月4日夕刻に一時収まったが、7月5日午前1時頃から7月5日午後1時20分頃までの大豪雨となる。この3日間で、降水量が最も多い時には60.8mm(1時間当たり)、総降水量は六甲山で616mm、市街地にある神戸海洋気象台でも461.8mmに及び、阪神間の広い地域で400mmを超える。六甲山南麓(いわゆる甲南地域)には、芦屋川、住吉川、石屋川等、急峻な山地から一気に海へと流れ下る川が多いため、各河川流域で決壊、浸水、更に土石流(土砂が水[雨水や地下水]と混合して、河川・渓流等を流下する現象)等の土砂災害が相次いだ他、交通網や通信網も寸断され、都市機能は麻痺する。豪雨によって、六甲山の各所で山腹が崩壊したため、各河川は土石流を伴なう大氾濫を起こす。被害は、六甲山南側の兵庫県神戸市が最も多かったが、六甲山の東部や北部でも死傷者が出ている。六甲山の山崩れ箇所数は、表六甲の主要11河川で2,727ヶ所、市内への土石流の堆積量は約357万立方mで、その内、住吉川の堆積量が最も多く、約154万3千立方mとされる。兵庫県神戸市は、当時の全人口の約72%、全家屋の約72%が被災している。六甲山の花崗岩(石英・雲母・長石等の鉱物から成る深成岩)は、構造運動(地層や、岩石の変形、破壊を引起こす地殻運動)の影響を強く受け、岩盤は数cmから数十cm間隔の摂理(岩体に発達した規則性のある割れ目の内、両側にずれの見られないものをいう)が顕著で、脆く崩壊し易い。また、江戸時代には、六甲山の森林は徹底的に利用されてはげ山となっており、明治期以降には、六甲山に植林が行なわれるようになったが、大水害当時ではまだ不十分であったことから、大雨により、上流で土砂崩れが起こる。これが土石流と化し、巨岩や大木を交えて甲南地域に押寄せ、河道を塞いだり、中下流の堤防を破壊する。また、砂防政策の遅れも原因としてあったとされたため、この水害を機に、甲南地域の治水・砂防事業は、兵庫県から国に移管されることになり、国は水害直後の9月、内務省六甲砂防事業所(現在の国土交通省六甲砂防事務所)を設置する。以後、第二次世界大戦対米英戦による中断期間を除いて、一貫して国による治水・砂防事業が実施されている。なお、この1938年は、例年に比べて大雨や集中豪雨が多く、それによる水害が全国各地で起きている。阪神大水害と同じ頃、関東地域でも、同様の集中豪雨に見舞われ、那珂川や桜川、利根川、江戸川、印旛沼と、関東各地で決壊・氾濫・水害が発生し、甚大な被害をもたらしている。また、大水害からほぼ1ヶ月後の7月28日から8月1日までには、同様の集中豪雨が四国から東海地域にかけて起こり、徳島県の那賀川が決壊し、8月末から9月頃には、台風による水害被害も重なっている。さらに、大水害を受けた治水・砂防事業にも拘わらず、同地域は1961年の「昭和36年梅雨前線豪雨」で、兵庫県内の死者41名、1967年の「昭和42年7月豪雨」で同死者100名を出した、大規模な水害に見舞われている。それに加え、2008年7月28日には、都賀川で大雨により水位が急上昇し、川付近にいた人等が犠牲になる「都賀川水難事故」が発生。水遊び等で、都賀川や河川敷にいた16名が急激な水位上昇により流され、小学生2名、保育園児1名を含む5名が死亡する。
1940年 - 第二次世界大戦: イギリスとヴィシー政権(第二次世界大戦中におけるフランスの政権)が国交断絶。
1943年 - 第二次世界大戦: クルスクの戦いが始まる。8月27日まで。ドイツから見て、東に位置する東ヨーロッパ地域の戦場、東部戦線(独ソ戦)で、ソビエト連邦南西部にあるクルスク周辺を巡り、ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)軍とソビエト連邦赤軍(地上軍[陸軍])との間で行なわれた戦闘で、ドイツ軍の正式作戦名は「ツィタデレ(城塞)作戦」である。ドイツ側約2,800輌、ソビエト連邦側約3,000輌の合計、約6,000輌近くの戦車が戦闘に参加し、「史上最大の戦車戦」として知られていたが、近年の研究では否定されている。十分な防御体制を整えて待受けたソビエト連邦赤軍(地上軍[陸軍])は、ドイツ軍を上回る損害を被るも、夏期においても勝利した最初の大規模な戦闘となる。