7月5日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

セコムの日。
日本で初めての警備保障会社で、1962(昭和37)年に日本警備保障株式会社として創業し、日本に「安全産業」を創出した、東京都渋谷区神宮前に本社を置くセコム株式会社が、創立50周年の記念の年となる2012(平成24)年に制定。「安全、安心」の代名詞となっている「セコム」の、企業や家庭、個人に「安全、安心」について考え、意識を高めてもらいたい、との願いが込められている。日付は、社名のセコムに因み、7月の5日と6日を、「7(セ)」「5(コ)」「6(ム)」と読む語呂合わせから。1964(昭和39)年10月に開催された東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)では、選手村等の警備を日本警備保障株式会社が単独で担当した。1973(昭和48)年2月、「人と科学の協力による新しいセキュリティ」というコンセプトである「セキュリティ・コミュニケーション(Security Communication)」を略した造語 「セコム」をブランドとし、1983(昭和58)年12月には、日本警備保障株式会社よりセコム株式会社に社名を変更している。契約者の住宅や事業所・店舗等に貼付されるセコムのステッカーは、オークションで転売される程にセコムを象徴するトレードマークとなっている。未契約物件へのステッカーを貼付することは、触法行為に該当する場合もあるが、解約物件で既設置の警備機器撤去時に、セコムの責による剥離がなされず、物理的に剥離不可の場合等は放置されたり、半分剥離等、中途半端な解約物件もある。セコム株式会社の社名は、機械警備の代名詞として広く浸透しており、警備システムを操作、或いは、導入することを「セコムする」と表現する場合もある。創業者の飯田亮が、昭和40年代から推進する業務の機械化は、防犯、及び火災報知分野(SPアラーム、現在のDX等)、ビル設備の制御、監視(TOTAX、CX)や銀行ATMコーナーの自動化(HANKS)、家庭用警備システム(セコムホームセキュリティー)等広範であり、特に、機械警備が他社との激しい競争に効果的に作用している。セコム株式会社は、警備サービス業国内首位の株式会社で、狭義のサービス業として時価総額国内トップクラスであり、共に東証1部に上場している業界2位の綜合警備保障株式会社のおよそ7倍、3位のセントラル警備保障株式会社のおよそ99倍の規模を擁する。グループ全体では、本業の警備業に限定せずセキュリティ関連分野(但し、証券分野は含まれない)に積極的で、自社開発の防犯・防災用品販売、病院経営や医療システム、情報セキュリティ分野全般のコンサルティングや各種サービス、日本初の民営刑務所(美祢社会復帰促進センター)経営等、扱い業種は広範である。警備・防犯機器等の研究開発等も積極に行なわれ、天井走行型巡回装置や、貴重品輸送ガードロボット、介護補助ロボット、屋外巡回監視ロボット、貴重品取扱店向け防犯煙幕発生装置、厨房ダクト設置型自動消火システム、据置型強化液消火器、インターネット用電子認証等がある。セコム株式会社は、1990(平成2)年から読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の元プロ野球選手、長嶋茂雄を起用したTVCMをスタートする。「セコムしてますか?」のフレーズで一躍有名となるが、元々は旧社名である日本警備保障株式会社時代に、現役時代の長嶋茂雄を起用しており、再度改めての出演となった。長嶋茂雄が読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の監督を務めていた時にもCM出演を続け、1994(平成6)年から、東京ドームに長嶋茂雄の写真を大きく用いたビッグボード(パネル広告)が掲げられており、長嶋茂雄が読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の監督を勇退した2001(平成13)年以降も使われている。1966(昭和41)年に、関西で最初に設立された警備会社である東洋警備保障株式会社は、セコム株式会社のグループ企業、東洋テック株式会社の前身で、金融資本を中心とした新興財閥(一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態)野村財閥の中核銀行として誕生した株式会社大和銀行(自主独往の精神が語るように、他の都市銀行と違い、合併による規模拡大をしなかったため、都市銀行では北海道拓殖銀行に次いで、2番目に小規模で、85年間自主独往の精神を受継いできたものの、2003(平成15)年に株式会社あさひ銀行と合併し、株式会社りそな銀行となった)が、東洋警備保障株式会社の設立母体となっている。東洋テック株式会社は、主に機械警備、現金輸送、常駐警備、銀行やノンバンクの現金自動預払機(ATM)対応や現金装填、無人駐車場(コインパーク)の対応、コールセンター業務(電話代行)、監視カメラ等のセキュリティー機器の販売等を行なっている。
名護の日。 
沖縄県名護市の企業や団体、個人により結成された任意団体、名護の日制定推進ネットワーク会議が2009(平成21)年に制定。日付は、7月5日の「7」と「5」を、「名護(な[7]ご[5])」と読む語呂合わせから。市民1人1人が楽しみながら感動を共有できる街づくりを推進し、地域おこしを行なっている。名護は、沖縄県名護市にある字名の1つで、かつては、名護市や沖縄本島北部の中心地である、名護市街地の大半がこの字名であったが、1989(平成元)年から2000(平成12)年にかけて行なわれた住居表示で、字名護内の行政区名がそのまま町名となったため、現在は、住居表示から外れた一部の地域や山林等、無住地域のごく一部しかない。名護市の中心市街は名護湾に臨み、背後は古生層の山地が聳える。沖縄本島北部地域の中心都市で、国や県の出先機関も多く、商業が活発である。また、農業では、ラン、キク等の花卉の他、果樹・野菜栽培が盛んで、漁業では、カツオの水揚が多く、タイ・クルマエビ養殖も行なわれる。沖縄本島に属する市町村で最大の面積を有するる他、沖縄本島内の市町村では、北端の沖縄県国頭郡国頭村と南端の沖縄県糸満市を除けば、唯一西海岸側と東海岸側の両方に海岸線をもっている。 
とりなんこつの日。
香川県三豊市豊中町に本社を置き、各種の冷凍食品の製造販売を手掛け、全国の量販店、コンビニエンスストア、外食産業等に流通させている加工食品メーカー、株式会社味のちぬやが制定した。日付は、7月5日の「7」と「5」で、「なん(7)こ(5)つ」と読む語呂合わせから。また、とり軟骨が、冷たいビールの美味しい夏にピッタリ、という点から。コロナ禍で居酒屋等での飲み会が減り、とり軟骨を食べる機会が少なくなっている中、家呑みでも手軽に食べてほしい、との願いと、食品業界の発展に貢献したい、との思いが込められている。酒のつまみ等でよく食べられるとり軟骨は、ビタミンやミネラル、カルシウム、コラーゲン等を豊富に含む人気の食材で、株式会社味のちぬやでは、レンジで簡単に調理ができる冷凍食品の「とりなんこつから揚げ」等の商品を取扱っている。なお、株式会社味のちぬやは、馬鈴薯を使ったコロッケにおいて大きなシェアを誇り、メンチカツ、串カツ等、畜肉商品も販売している。業務用商品がメイン商材の会社であるため、一般消費者の知名度は低いが、 近年では、記念日マーケティング戦略等を行ない、知名度向上を目指している。
切削工具の日。
切削工具と切削加工業界の情報を発信するポータルサイト「切削工具の情報サイト タクミセンパイ」が制定。自動車や航空機等の金属部品の多くは切削工具で加工され、日本には優れた切削工具メーカーが多数存在する。「切削工具の情報サイト タクミセンパイ」は、「切削加工に携わる人々の情報格差をなくす」をビジョンに掲げ、切削加工業界の変革と活性化、情報の入手が不利な中小企業や若手の人材の支援を目指しており、その取組みを加速させることが目的。日付は、切削の「切」に「七」が入ってることから7月、工具の「工(こう[5])」の5日を合わせて7月5日としたもの。金属等の加工法の内、その一部を取去ることを手段とするものに、切削と研削がある。切削は、工具を押付け、表面を剥ぎ取るようにして削る方法であり、研削は、砥石を使って表面を削る方法である。この切削加工に用いる工具を切削工具と言う。切削加工は、切削工具類を用いて対象物を切り、削る加工方法で、除去加工とも呼ばれる。

アペロを楽しむ日。
山梨県南都留郡富士河口湖町勝山に本社を置き、業務用加工食品の企画・製造・販売や食材の輸入・販売等を手掛け、通販ブランド「A TABLE! ~EPICERIE FINE~(ア・ターブル エピスリー・フィン)を運営する企業、株式会社富士物産が制定。「アペロ」とは、食前酒を意味する「アペリティフ」の略で、夕食前につまみをお供に、軽くお酒を飲みながら、家族や友人とおしゃべりの時間を楽しむフランスの習慣。日付は、屋外での「アペロ」も気軽に楽しめる季節、夏の幕開けを感じさせる7月第1週の気分が上がる金曜日を記念日に。記念日を通して、この「アペロ文化」を取入れ、生活に彩を添えてもらうことが目的。1979(昭和54)年3月23日に設立された株式会社富士物産は、事業として、婚礼・パーティ・機内食等、業務用加工食品の企画・製造・販売、フランス・イタリア・チリ・オーストラリア等からの業務用食材の輸入・販売、ギフト・おせち等、OEM(他社ブランドの製品を製造すること)の企画・製造・販売等を手掛ける。主な取扱製品として、スモーク製品、マリネ製品、シャルキュトリ製品、ゼリー寄せ・ムース製品、パイ製品、デザート製品、冷凍創作寿司製品等がある。株式会社富士物産は、食材に敬意を表わし、フランス料理の伝統と技法を尊重しながら、世界のガストロノミー(美食)を探求する。そして、多様なニーズに応えるために、独自の感性と想像力を発揮し、価値あるクリエイティブな製品を創造する。運営する「A TABLE! ~EPICERIE FINE~」は、フランス料理のお取寄せ専門ブランドである。「これさえあれば完璧なアペロが楽しめる」そんなコンセプトで、フランス人シェフが厳選した「アペロボックス」等の商品を取扱う。
栄西忌。
平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本臨済宗(師から弟子への悟りの法嗣[はっす、伝達のこと]を重んじる日本の禅の宗派の1つ)の開祖、明菴栄西の1215(建保3)年の忌日(旧暦)。栄西は、比叡山延暦寺(現在の滋賀県大津市坂本本町に所在する、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院)等で天台宗(平安時代に中国に渡って仏教を学んだ最澄が比叡山に伝えて平安仏教の中心となり、文化に多大の影響を与えた仏教の宗派の1つ)の教学と密教(最高仏で、全ての仏像が時と場所を超えて変化した姿とされている大日如来を本尊とする、深遠秘密の教え)を学ぶ。行法に優れ、自分の坊号を冠した葉上流を興す。1168(仁安3)年、形骸化し貴族政争の具と堕落した日本天台宗を立直すべく、平氏の庇護と期待を得て、中国の南宋に留学。当時、南宋では禅宗が繁栄しており、日本仏教の精神の立直しに活用するため、禅を用いることを決意し、学ぶこととなった。帰国後、京都五山(五山の制[宗教的地位が高い5つの寺院を定めたもの]の内、京都の臨済宗の寺格)の第3位に列せられている建仁寺(現在の京都市東山区大和大路四条下ル小松町に所在)を建立。建仁寺は、禅・天台・真言の三宗兼学の寺であった。以後、幕府や朝廷の庇護を受け、禅宗の振興に努めた。