7月4日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

梨の日。
2004(平成16)年に鳥取県東伯郡東郷町(現在は、鳥取県東伯郡湯梨浜町の一部)の「東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会」が制定。日付は、7月4日の「7」と「4」を、「梨(な[7]し[4])」と読む語呂合わせから。梨は、バラ科ナシ属の植物、若しくは、その果実のことで、主なものとして、和なし(日本なし)、中国なし、洋なし(西洋なし)の3つがあり、食用として世界中で栽培される。日本語で単に「梨」と言うと、通常はこの内の和なし(日本なし)を指す。和なし(日本なし)とは、中国を原産とし、中国や朝鮮半島、日本の本州、四国、九州に生育する野生種ヤマナシ(ニホンヤマナシ)を基本種とする栽培品種群のことである。高さ15m程の落葉高木で、葉は長さ12cm程の卵形で、縁に芒状の鋸歯がある。花期は4月頃で、葉の展開と共に5枚の白い花弁からなる花を付ける。8月下旬から11月頃にかけて、黄褐色、又は黄緑色でリンゴに似た直径約10cmから18cm程度の球形の果実がなり、食用とされる。果肉は白色で、甘く果汁が多い。リンゴやカキと同様、尻の方が甘みが強く、一方で、芯の部分は酸味が強いため余り美味しくない。しゃりしゃりとした独特の食感が梨の特徴であるが、これは石細胞と呼ばれるものによる。石細胞とは、ペントザンやリグニンという物質が果肉に蓄積することで、細胞壁が厚くなったものである。これは洋なし(西洋なし)にも含まれるのであるが、和なし(日本なし)よりもその量が少ないために、和なしと洋なしとで食感に大きな差が生じる。日本で梨が食べられ始めたのは、弥生時代(紀元前数世紀 – 紀元後3世紀中頃位)頃とされ、江戸時代には栽培技術が発達し、100を越す品種が果樹園で栽培されていた。明治時代には、現在の千葉県松戸市において二十世紀が、現在の神奈川県川崎市で長十郎がそれぞれ発見され、その後、長らく梨の代表格として盛んに生産されるようになる。一時期は、全国の栽培面積の8割を長十郎で占める程であった。また、それまでは晩生種ばかりであったが、多くの早生種を含む優良品種が多数発見され、盛んに品種改良が行なわれた。20世紀前半は、二十世紀と長十郎が生産量の大半を占めていたが、第二次世界大戦後になると1959(昭和34)年に幸水、1965(昭和40)年に新水、1972(昭和47)年に豊水の3品種(この3品種を纏めて「三水」と呼ぶこともある)が登場し、普及した。そのため、現在では長十郎の生産はかなり少なくなっている。梨は沖縄県を除く日本各地、北海道南部(但し、北部でも栽培収穫の例がある)から鹿児島県まで広く栽培されている。そのため、主産県でも収穫量におけるシェアはそれ程高くなく、上位10県合計でも全体の7割弱である。2001(平成13)年までは長らく第1位であった鳥取県は現在、千葉県、茨城県に次ぐ和なし(日本なし)収穫量第3位となっている。これは、豊水や幸水等の赤梨の方が市場人気があるのと、二十世紀梨は栽培が比較的難しいため、生産農家が減少したためである。梨の主な利用法は生食である。一般的な梨の剥き方はリンゴと同様で、縦に8等分等してから皮を剥き中心部をくり抜く方法である。また、シロップ漬けの缶詰にも利用されるが、梨の缶詰だけで売られていたり、それを食することは稀であり、他の果物と混ぜてミックスフルーツとして販売・食用とされることが多い。加工品としては、清涼飲料水や、ゼリー、タルト等の洋菓子に利用されているが、洋なし(西洋なし)と比べるとそれらを見かける機会は少ない。料理に用いられることは、冷麺の具として用いる以外、基本的にはないが、産地等では梨カレー等といったレシピも開発されている。また、梨はたんぱく質分解酵素を持っているため、生の状態ですり下ろしたものを、焼肉やプルコギ等の漬込みダレとして利用するレシピがある。果物の多くがそうであるように、梨の殆どは水分である。糖度は約11%から約14%程度で、果物としてはビタミンを殆ど含まず、栄養学的な価値は余り高くない。梨園とは、中国唐朝の宮廷音楽家養成所である。中国唐朝の第2代皇帝、太宗の政治で、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世には、政治的な理想時代とされた貞観の治を手本とした、開元の治と呼ばれる善政で、中国唐朝の絶頂期を迎えた第9代皇帝、玄宗が実権を掌握した712(和銅5)年、唐都長安(中国のほぼ中央に位置する、現在の陝西省の省都西安市に相当する)西北郊の西内苑内で、梨が植えられていたことから、梨園と称される庭園に芸人達を集め、音楽教習府と呼ばれる施設で、芸人達が芸を磨いたことに始まる。音楽教習府には、太常寺太楽署所属の楽人で、坐部伎の楽人子弟、教坊の妓女、宮女の一部とが属し、玄宗の嗜好する法曲を、皇帝が直々に教えたため、皇帝梨園弟子と称された。軍人の安禄山が、同じく軍人の史思明らと相謀り、中国唐朝の宰相楊国忠(楊貴妃の従兄)の打倒と政治体制の粛正を訴えて、幽州(現在の中国中東部、河北省に所在)で挙兵したことに始まる大規模な反乱、安史の乱で、宮廷の音楽も壊滅して衰退したが、その後再興され、838(承和5)年には法曲を仙韶曲と改め、梨園を仙韶院と改めたが、中国唐朝末の動乱によって消滅した。なお、14世紀中期から17世紀中期まで中国を支配した、中国明朝以後の中央劇壇に対しても、梨園という名称が用いられている。梨園という言葉は、日本では転じて、一般社会の常識とかけ離れた特殊社会としての歌舞伎(日本固有の演劇で、伝統芸能の1つであり、国際連合教育科学文化機関[ユネスコ、UNESCO]の無形文化遺産に登録されている)俳優の社会を指している。元々は、演劇や音楽等、あるゆる芸能を指した言葉であるが、現在では、一般的に歌舞伎だけを指している。歌舞伎だけが梨園と呼ばれるようになったのは、皇帝(第9代皇帝、玄宗)が音楽教習府で、直々に教えていたことが現実離れであり、同様に、現実離れしていると言われる歌舞伎も、梨園と呼ばれるようになった、ともされる。長い歴史をもつ日本の伝統芸能の1つである、歌舞伎。梨園には、その歴史を重んじ、洋風を取入れた生活が多くなってきた現代社会でも、日本の古いしきたりや格式を大事にした決まりごとが多々あるという。
「なんしょん?」の日。
岡山市北区学南町に本社を置く、岡山県と香川県を主な放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行なう特定地上基幹放送事業者(フジテレビ系列に属している)、岡山放送株式会社(OHK)が制定。日付は、7月4日の「7」と「4」を、「な(7)んし(4)ょん」と読む語呂合わせから。月曜日から土曜日まで生放送している、自局の人気情報テレビ番組『なんしょん?』を、さらに多くの人に知ってもらうことが目的。岡山放送株式会社(OHK)は、2014(平成26)年12月5日、この日一般開業した都市型ショッピングセンター「イオンモール岡山」(岡山市北区下石井に所在し、中国・四国地方最大級の「都市型大規模モール」として、イオンモールの西日本の旗艦店に位置付けられている)5階・6階へスタジオや番組制作機能を移転した。その5階に設けた「OHKまちなかスタジオ ミルン」における、最初のレギュラー・バラエティー番組が『なんしょん?』である。これを控え、平日午後に放送されていた『エブリのまち』が同2014(平成26)年11月に終了し、『なんしょん?』はその後継番組として、移転翌日の12月6日(土曜日)に放送が開始された。番組の正式名称は『ミルンへカモン! なんしょん?』であるが、新聞の番組表や電子番組表においては、『なんしょん?』と表記されている。2023(令和5)年4月3日からの放送時間は、月曜日から金曜日までの15:50 - 16:50(60分)、週5日放送となっている。
ナナシーの日。
愛知県名古屋市中村区長戸井町に本社を置く、パチンコ遊技機や福祉用機器の設計・開発・製造・販売を手掛ける企業、豊丸産業株式会社が制定。日付は、7月4日の「7」と「4」を、「ナナ(7)シ(4)ー」と読む語呂合わせから。パチンコ業界の中でも、独創的な試みを数多く行なっているメーカー、豊丸産業株式会社のパチンコ機「ナナシー」シリーズをPRすることが目的。「ナナシー」は、1996(平成8)年に初代を発売して以来、可愛らしいオリジナルキャラクターと、分かり易いシンプルなゲーム性で、多くのパチンコファンに愛されてきた機種である。「ナナシー」という名前は、絵柄の「7」「$(S)」「¥(Y)」→「7SY」に由来する。また、「7」「$」「¥」マークのコインをキャラクターとしている。「ナナシー」シリーズの後継機シリーズは、2005(平成17)年以降発売されており、2018(平成30)年には、「CRA SUPER電役ナナシーDXII」が発売されている。