7月4日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

フィリピン・アメリカ友好記念日。
1946(昭和21)年7月4日、1934(昭和9)年に制定された「フィリピン独立法」に基づいて、アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンがフィリピンの独立を宣言し、フィリピン共和国が誕生した。当初は、この日をフィリピン独立記念日としていたが、1964(昭和39)年から、フィリピンの独立記念日は、1897(明治30)年3月22日、フィリピン中部に位置するカヴィテで創設されたフィリピン革命軍の最高指導者エミリオ・アギナルド将軍が、1898(明治31)年にフィリピン第一共和国の独立を宣言した6月12日となり、7月4日は、フィリピン・アメリカ友好記念日となった。16世紀後半以降、スペインの植民地支配の下に置かれていたフィリピンでは、19世紀後半、フィリピン人を啓蒙すると同時に、スペイン本国と全世界へ向けて「スペイン統治の差別性とフィリピンの現状」を、新聞や小説等の形で精力的に訴えるプロパガンダ運動が展開され、これが急進化して、1896(明治29)年の独立革命と発展した。しかし、この第一の革命は一旦敗北し、1898(明治31)年、スペインが植民地にしていた、南北アメリカ大陸に挟まれた、カリブ海洋上の大アンティル諸島に位置するキューバの独立を支援するために発生した、アメリカ合衆国とスペインとの戦争、米西戦争に乗じて第二の革命が起こった。1898(明治31)年革命は、フィリピン人による独自の議会開設と、憲法制定を実現したが、スペインとの講和条約により、フィリピン領有権を獲得したアメリカ合衆国は独立を否定、米比戦争が開始された。フィリピン人達は、ゲリラ戦で粘り強く抵抗したが、結局のところ敗北し、アメリカによる植民地支配が開始された。1916(大正5)年、後にフィリピンのコモンウェルス(独立準備政府)初代大統領となるマニュエル・ケソンの尽力により、フィリピンの自治を認める「ジョーンズ法」が成立し、さらに、1934(昭和9)年になって、10年後のフィリピン独立を認める「フィリピン独立法」が成立、フィリピン独立への道が開かれた。しかし、1942(昭和17)年の日本軍侵攻によって中断し、真の独立は、第二次世界大戦後の1946(昭和21)年まで持越されることになる。
インデペンデンス・デイ(映画)。
1996(平成8)年に公開されたアメリカ合衆国の長編SF映画『インデペンデンス・デイ』は、アメリカ合衆国独立記念日を控えた7月2日、直径24kmにも及ぶ円盤型の宇宙船(シティ・デストロイヤー)がニューヨーク、ロサンゼルス、ワシントンD.C.等、アメリカ合衆国や世界中の大都市上空に出現したことから始まる。アメリカ合衆国におけるプロモーション用の略記「ID4」に「4」が付くのは、アメリカ合衆国独立記念日(インディペンデンス・デイ[Independence Day])、7月4日に由来する。アメリカ合衆国での公開は、1996(平成8)年7月3日の予定であったが、前人気が非常に高かったため、多くの映画館では、映画の物語が始まるのと同じ日付、7月2日の深夜に上映を開始し、興行的にも大成功を収めた。地球人を遥かに凌駕する高度な科学力・軍事力を持ち、数々の惑星を征服しては資源を食い荒らし、消費し尽くすと、次なる惑星を目指して宇宙を移動することを繰返してきた凶悪な種族、エイリアンは、以前より地球と人類の調査を重ね、攻撃計画を練っていた。そして、アメリカ合衆国や世界中の大都市の上空に出現した宇宙船の主砲により、主要な大都市は破壊され、廃墟と化してしまう。核兵器が使用されるが、宇宙船のバリアーは、核攻撃さえも無効化するものであった。アメリカ合衆国独立記念日の7月4日、コンピューターウイルスをエイリアンの母船マザーシップに感染させ、バリアーを一時的に無効化し、その間に全世界で一斉攻撃する反撃作戦が開始される。20年振りとなる続編『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』が、2016(平成8)年6月24日に日本でも公開された。エイリアンの侵略を生き延びた人類は、共通の敵を前に1つに纏まり、回収したエイリアンの技術を利用して防衛システムを構築。エイリアンの再来に備えていた。しかし、再び地球を目標に襲来したエイリアンの兵力は、想像を絶するものへと進化しており、人類は為す術もなく、再度の絶滅の危機を迎える。監督は、前作『インデペンデンス・デイ』も手掛けた、アメリカ合衆国で活動するドイツ人映画監督、ローランド・エメリッヒである。ローランド・エメリッヒは、SFやアクション等の娯楽色の強い作品を発表し続けていることで広く知られる監督で、日本映画のスターであり、世界的な人気を誇る日本の映画キャラクター、ゴジラをハリウッドが製作したアメリカ合衆国の特撮映画『GODZILLA』の監督でもある。
パソコンお直しの日。 
元々は千葉県市川市に本拠を置いていたが、2013(平成25)年に東京都新宿区西新宿へ会社を移転した、中古パソコンの販売や、パソコンの修理等を行なう企業、株式会社松陰が制定した日。日付は、7月4日の「7」と「4」を、「直し(な[7]おし[4])」と読む語呂合わせから。「もったいない」という考え方や、壊れたものを直す「修理」という考え方を広めることが目的。この日を中心に、子どもから大人までを対象に、ノートパソコンの修理教室等を行なう。株式会社松陰は、「パソコンお直し隊」というホームページを持ち、パソコン修理の見積もりや引取り等を行なっている。「直す」と「治す」。この2つは、どちらも「なおす」と読むことができる。「直す」には、もとの良好な状態に戻す、良好な状態に改める、別の状態に変える、の意味があり、「治す」には、病気やけがを治療して健康な状態にする、という意味がある。つまり、「直す」は「物や文章等をなおす時」に、「治す」は「病気やけがをなおす時」に、それぞれ使う訳である。「直す」は、ある状態から元の状態に修正したり、良い物に改めたりする時に使うのが正しい使い方で、「やりなおす」という言葉も、「やり直す」と書くのが正解となる。「治る」は、身体に起こった怪我や病気等を「なおす」時に使うのが正しい使い方である。これは、「治療」や「治癒」等、「治」を使った言葉からも類推できる。
和服・洋服お直しの日。 
東京都大田区中央に所在し、古いものと新しいものとの融合、文化の伝承等の観点から、服を小物やバッグにリメイクしたり、和服を洋服に仕立て直す等の記念日をと、このような活動を積極的に行なう株式会社ハリウッド・ジュエル・アカデミーの高橋鎮雄が制定。日付は、7月4日の「7」と「4」を、「仕立て直し(な[7]おし[4])」と読む語呂合わせから。仕立て直しとは、仕立て上がっているものを、全て解いて縫い直すことをいう。その場合、着物から着物に仕立て直すのはもちろん、着物からコート等、全く違うものに仕立て直すことも可能である。しかし、羽織から普通の着物に縫い返ることはできないし、また、コートから羽織に縫い直すこともできない。なお、2014(平成26)年4月2日、株式会社ハリウッド・ジュエル・アカデミーは、東京地方裁判所において破産手続きの開始決定を受けた。
ファッションお直しの日。 
アパレルのファッションリフォーム、リペアサービス(引越し作業や家電の設置作業時に起こってしまった、個人宅のクロス、建具、家具等の破損や汚れ等の補修)等を手掛ける企業、リフォームスタジオ株式会社が制定。日付は、7月4日の「7」と「4」を「07」「04」とし、「お直し(お[0]な[7]お[0]し[4])」と読む語呂合わせから。資源を大切にし、環境にやさしい企業として、「お直し」によって、大切な洋服や靴をいつまでも大事にする心を広めることを目的とする。東京都中央区日本橋浜町に本社を置くリフォームスタジオ株式会社は、大手流通グループ「イオングループ」を統括する純粋持株会社、イオン株式会社傘下のリフォームサービス事業を展開する企業で、洋服のお直し「マジックミシン」「オナオシプラス」「リファーレ」、靴の修理・クリーニング「リアット!」「ミスタークラフトマン」「エコクラフト」等、全国に700以上の店舗を展開している。