7月1日 記念日 その8 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

テレビ時代劇の日。
1953(昭和28)年7月1日、日本で初めて、時代劇テレビシリーズ「半七捕物帖」が日本放送協会(NHK)で放送されたことから、時代劇だけを放送する日本で唯一のチャンネル「時代劇専門チャンネル」(東京都千代田区有楽町に本社を置く衛星基幹放送事業者、日本映画放送株式会社によって編成されるテレビジョン放送)が制定。テレビ時代劇の魅力を多くの人に知ってもらうことが目的。また、この日は「時代劇専門チャンネル」の開局記念日でもある(1998[平成10]年7月1日)。地上波での時代劇放送が削減されているため、「時代劇専門チャンネル」は、人気のある有料放送となっている。時代劇というジャンルは、その作品の数から、主に平安時代から明治維新までを扱った作品が「時代劇」とも解釈されている。しかし、これはあくまで解釈であって、厳密に定義がある訳ではない。時代劇で数多く製作されているのは、江戸時代を舞台にした作品である。時代劇は、一方で「チャンバラ」とも呼ばれる。これは、クライマックスに剣戟シーンがある時代劇を指し、時代劇の中のサブジャンルでもあり、時代劇が即「チャンバラ」ではない。語源は、1917(大正6)年に大衆演劇の人気役者、澤田正二郎が結成した、新しい国民演劇の創造を目標として 作った劇団、新国劇からの剣劇の影響を受けた剣戟映画で、立回り(殺陣)で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことから、それを略して使われた言葉である。時代劇は、実際にあった歴史上の事件や、歴史に残る人物を登場させることも多いが、登場する人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞等が大胆にフィクション化され、その時代劇が制作された年代の大衆に受入れ易いようになっている。古い時代劇では、細かい所作や口上は歌舞伎の影響が強く、前近代の身分差別や女性差別を反映した描写も多かったが、時代の推移によって、現代の観客に違和感を与えないようにストーリーの展開が変更され、演出も現代劇に近付くことは避けられなかった。どの時代劇でも、敢えて時代考証を無視している部分が多かれ少なかれあり、登場人物の性格や考え方も、近現代の価値観に合致するような解釈や改変が施されることが殆どである。1953(昭和28)年2月、日本放送協会(NHK)のNHKテレビが開局し。TV放送スタートと同時にテレビ時代劇の歴史も始まった。但し、当時はテレビカメラによる30分のスタジオドラマで生放送であり、同1953(昭和28)年7月に放送された笈川武夫主演『半七捕物帳』がテレビ初の時代劇であり、翌1954(昭和29)年6月に日本テレビが放送した『エノケンの水戸黄門漫遊記』が、民放初の時代劇とされている。また、初期には子ども向け時代劇として、夕方に『赤胴鈴之助』『猿飛佐助』『孫悟空』等の番組が放送された。民放テレビ局の開局と同時に、そのテレビ局に資本参加している映画会社が独自に製作した時代劇を放映している。1963(昭和38)年4月から、N日本放送協会(NHK)が、現在まで続く長寿時代劇シリーズとなる、大河ドラマの放送を開始した。その第1作『花の生涯』は、井伊大老役に歌舞伎界から尾上松緑、長野主膳役に映画界から佐田啓二(中井貴一の父)を起用し、2作目の『赤穂浪士』には、映画界から長谷川一夫、新劇団の1つ「劇団民藝」から滝沢修、宇野重吉、歌舞伎界から尾上梅幸等、当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。その後も、映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作した。時代劇制作を映画からテレビに移した先鞭を付けたのは、映画の製作・配給・興行会社で、総合映像企業となっている東映である。元々、テレビ局の開局時から子ども向けテレビ映画を製作し、他社に比べるとテレビに対して積極的であった東映は、映画での時代劇衰退で早くに見切り、1964(昭和39)年に東映京都テレビプロダクションを設立すると、時代劇のスタッフを移して、そこから数々のヒット作を生み出すこととなった。そして、かつての銀幕スターがテレビ時代劇に主演し、大川橋蔵『銭形平次』、片岡千恵蔵『軍兵衛目安箱』、市川右太衛門『旗本退屈男』、萬屋錦之介『子連れ狼』等の番組が並び、1970年代半ばのゴールデンタイムの人気ジャンルとなった。東映時代劇で育った松方弘樹は、1965(昭和40)年にNHK時代劇『人形佐七捕物帳』でテレビに出演し、北大路欣也は、1968(昭和43)年に大河ドラマ『竜馬がゆく』で主役に抜擢され、里見浩太朗は1971(昭和46)年に、『水戸黄門』で助さん役を演じてから時代劇スターの座を確保した。また、かつては東宝、東映、松竹と並び称される映画会社であった日活の現代劇で育った高橋英樹は、大河ドラマ『竜馬がゆく』からテレビ時代劇で頭角を現わし、1967(昭和42)年のNHK時代劇『文五捕物絵図』で時代劇にデビューした杉良太郎、1978(昭和53)年にテレビ朝日『暴れん坊将軍』から人気俳優となった松平健等、テレビから時代劇スターが生まれていった。1980年代に入ると、若者向け文化を重視する風潮が時代劇にもあり、若手俳優を起用した時代劇を製作したが、軒並み視聴率が不振で、やがて時代劇の不人気が浮彫りとなり、テレビ局は時代劇番組を減らしていった。そして、長期シリーズとなった『影の軍団』や『必殺』シリーズの放送終了が、テレビの世界でも時代劇の退潮が言われるようになった。1990年代のトレンディドラマの出現以降、テレビの主たるターゲットである若者層の視聴率が、時代劇では取りにくいこと、時代考証や資料引用に関する許諾、及び大道具・小道具等の制作や調達、並びに化粧・鬘・衣装等に製作費用や手間が掛かること、都市化が進み、国内では自然のままのロケ地の確保が難しくなってきたこと、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、勧善懲悪の作風が多くマンネリ化し、視聴者に受入れられなくなった等の理由により、テレビ向けに製作・放映されることが大幅に減少した。時代劇存亡の危機が囁かれる中、デジタル放送の普及が本格化した2010年代からは、地上波よりもシニア層の視聴者が多いとされる、BSデジタル・CS放送等で、時代劇の放送が増加している。他方、2000年代中期から2010年代以降、往年とは及ぶべくもないが、時代劇映画の製作・公開が微増傾向にあり、新作時代劇は、テレビから映画へと再びシフトしつつある。
さしみこんにゃくの日。
群馬県甘楽郡甘楽町に本社を置き、「こんにゃくパーク」の運営でも有名な、こんにゃくメーカーの株式会社ヨコオデイリーフーズが制定。株式会社ヨコオデイリーフーズの人気商品の1つで、群馬県産のこんにゃく粉が使用されている「さしみこんにゃく」をPRすることが目的。日付は、株式会社ヨコオデイリーフーズが1999(平成11)年(卯年)の7月1日に、「月のうさぎおさしみこんにゃく」を発売したことから。株式会社ヨコオデイリーフーズの「さしみこんにゃく」には、「月のうさぎ おさしみこんにゃく(青のり・ゆず)」の他、独自の製法により、大とろ風に造り上げた「大とろさしみこんにゃく(青のり)」や、お買い得感たっぷり、規格外の「ハネ出しさしみこんにゃく(青のり)」等の商品がある。
井村屋あずきバーの日。
昔からの製法で無着色、無香料を守り製造している井村屋のあずきバー。夏に健康によいあずきを使ったあずきバーを食べて、多くの人に元気になってもらいたいと、三重県津市高茶屋に本社を置く、あずきバーの製造元である菓子メーカー、井村屋等を傘下に持つ持株会社、井村屋グループ株式会社が制定。日付は、暑さが増す7月の初日であることと、古くから毎月1日にはあずきを食べる習慣があったことから。井村屋のあずきバーは、1972(昭和47)年に「あんの消費が落込む夏場に、敢えてあんのお菓子を食べてもらう」というコンセプトで誕生した。あずきバーの原材料は「ぜんざい」と同じで、あずき・砂糖・コーンスターチ・塩・水あめだけで作られており、アイスが柔らかくなる添加剤は入っていない。食物繊維たっぷりのあずきをぎっしり詰込んでいるため、空気の泡が少なくなり、現在の固さとなった。わざと固くしたのではなく、おいしさを追求した結果、固くなった訳である。