7月1日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

醸造年度。
醸造年度とは、醸造業界・酒造業界における1年の区切り方(年度)であり、毎年の7月1日から翌年の6月30日までをいう。酒造年度、又は、単に製造年度ともいう。醸造年度は、英語で「Brewing Year(Brewery Year)」ということから、「BY」と略される。年数字には、元号を用いることが多い。例えば、2015年7月1日から2016年6月30日は、2015年が平成27年であることから、「27BY」、又は「BY27」と記される。但し、年数字に西暦を用いる酒造会社もある。酒税(酒類に対して課される国税)の基本となる酒類の製造量を把握するために、1896(明治29)年制定の「酒造税法(明治29年3月28日法律第28号)」(現在の「酒税法[昭和28年2月28日法律第6号]」の前身となる法令)で、毎年10月1日から翌年9月30日と定められたことが始まりで、1965(昭和40)年の国税庁通達で、清酒製造の実態に合わせ、酒類原料米の割当て等を行なうことを目的に、毎年7月1日から翌年6月30日までに改められた。通常は、醸造年度内に出荷されたものが新酒と呼ばれる。日本酒を熟成させた酒とされる「古酒」や、概して「大」が付くにふさわしい、桁違いの熟成が求められる「大古酒」といった語の定義は統一されていない。蔵人(日本酒の醸造工程を行なう職人集団)言葉では、醸造年度を越したものは全て「古酒」と呼ぶことから、6月に造った酒でも、9月に出荷すれば「古酒」となる。
航空自衛隊安全の日。
1999(平成12)年8月から2000(平成13)年7月まで、航空機の墜落事故(計5件、計13名殉職)が連続発生したことを契機に、毎年7月1日に飛行訓練を停止し、安全教育を実施するために制定された日。1999(平成12)年8月から2000(平成13)年7月まで、航空自衛隊では、5件の墜落死亡事故が相次いで発生した。中でも、2番目のT-33A入間川墜落事故は大規模停電を惹起し、3番目のT-2女川墜落事故と5番目のブルーインパルス牡鹿半島墜落事故は、同じ基地で発生、かつ、宮城県牡鹿郡女川町と宮城県石巻市に跨る東北電力の原子力発電所、女川原子力発電所付近であったことから、対外的にも大きな影響を与えた。事故の風化防止と、安全教育の徹底のため、7月1日を「航空自衛隊安全の日」とし、全国で一斉に飛行訓練が停止される。全隊員に対し、航空幕僚長の訓示が行なわれる他、各基地・部隊毎に式典・教育を行なう。なお、7月1日は、五大事故の内、4番目のC-1隠岐諸島沖墜落事故と、5番目のブルーインパルス牡鹿半島墜落事故の発生日に近く、かつ、航空自衛隊最大の死亡事故である全日空機雫石衝突事故(1971[昭和46]年7月30日発生)と重ならない日である。なお、曜日の都合で、7月1日に実施できない場合は、他の日に振替えられる。全日空機雫石衝突事故は、岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機、ボーイング727-281型機と、航空自衛隊の戦闘機、ノースアメリカンF-86セイバーが飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。なお、五大事故とは、1999(平成11)年8月15日に発生したF-4EJ改福江島沖墜落事故、1999(平成11)年11月22日に発生したT-33A入間川墜落事故、2000(平成12)年3月22日に発生したT-2女川墜落事故、2000(平成12)年6月28日に発生したC-1隠岐諸島沖墜落事故、2000(平成12)年7月4日に発生したブルーインパルス牡鹿半島墜落事故の5件の事故である。F-4EJ改福江島沖墜落事故は、宮崎県児湯郡新富町に所在する新田原基地、西部航空方面隊第5航空団のマクドネル・ダグラスF-4EJ改ファントムII戦闘機2機が、東シナ海上を飛行する彼我不明機に対する対領空侵犯措置のため、緊急発進(スクランブル)したが、スクランブル対象機をレーダーで捕捉した直後、長崎県福江市(現在の長崎県五島市)、長崎県西方沖の五島列島にある福江島西約80kmの地点で1機の通信が途絶えた。その後、墜落していたことが判明し、2名が殉職した。原因は当初、被雷によるものと考えられていたが、後の調査により、高高度飛行によるエンジン停止が原因と判明した。T-33A入間川墜落事故は、埼玉県狭山市・埼玉県入間市域に跨る地域にある航空自衛隊入間基地に所属する複座ジェット練習機ロッキードT-33Aシューティングスター(若鷹)で、年次飛行(デスクワークパイロット等が、年間に定められた飛行時間を確保し、技量を維持するための訓練)からの入間基地への帰投中にエンジントラブルが発生する。乗員であった航空自衛隊のベテランパイロット2名は、墜落の直前まで、基地手前にある入間川沿いの住宅地や学校を避けるために操縦を続けた結果、脱出が遅れ共に殉職する。T-2女川墜落事故は、宮城県東松島市矢本に所在する松島基地、航空教育集団第4航空団の三菱 T-2練習機が、単独飛行の訓練からの帰投中に、宮城県牡鹿郡女川町の山林に墜落した。操縦者は訓練学生で、事故発生の同日中に遺体は回収された。C-1隠岐諸島沖墜落事故は、鳥取県境港市に所在する航空自衛隊美保基地(民間との共用飛行場、米子空港)、航空自衛隊航空支援集団第3輸送航空隊の川崎 C-1輸送機が、失速状態に近付ける試験を実施中、姿勢を回復できず、島根県隠岐郡、隠岐諸島(島根半島の北方約50kmにある諸島)北北西約50kmの地点で墜落。乗員5名が死亡する。ブルーインパルス牡鹿半島墜落事故は、松島基地、航空教育集団第4航空団飛行群第11飛行隊(航空自衛隊に所属する曲技飛行隊[アクロバット飛行チーム]、ブルーインパルス)所属の川崎 T-4練習機の2機編隊が、訓練終了後の帰投中、宮城県牡鹿郡牡鹿町(現在は宮城県石巻市の一部)にある牡鹿半島の光山山頂付近に墜落し、計3名が殉職した。第4航空団所属機として、約3ヶ月前にT-2女川墜落事故が発生しており、さらに航空自衛隊としては、6日前にC-1隠岐諸島沖墜落事故が発生したばかりの状況であったため、内外に大きな反響を呼んだ。ブルーインパルスは、約1年に亘って対外的な活動を休止すると共に、「航空自衛隊安全の日」制定のきっかけとなった。2000(平成12)年は、ブルーインパルスが40周年、航空教育集団第4航空団飛行群第11飛行隊も5周年となる年で、ブルーインパルスが得意とする「描きもの」が展示飛行に採り入れられた。しかし、ブルーインパルス牡鹿半島墜落事故が発生し、事故原因は海霧の中で高度を下げ過ぎたのが原因とされたが、1991(平成3)年の同じ7月4日にも墜落事故が発生しており、その日がどんな日であるかは、ブルーインパルスのメンバー全員が分かっていたにも係わらず、発生してしまった事故であった。しかも、この事故では、墜落地点が女川原子力発電所に近い地域で、女川原子力発電所の半径3.6kmに設定されていた、飛行禁止区域を掠めて飛んでいたことが問題視され、周辺自治体の一斉反発を招いてしまった。このため、航空自衛隊では、訓練空域や松島基地への進入経路を一部見直した上で、飛行最低高度を設定する等の安全対策を実施し、自治体との話合いを続けた結果、2001(平成13)年2月9日から訓練飛行を再開した。