6月20日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0451年 - カタラウヌムの戦い。カタラウヌム(現在の北フランスにある都市、シャロン=アン=シャンパーニュ付近)で、アッティラ率いるフン族(北アジアを起源とする遊牧騎馬民族)の帝国と西欧諸民族連合軍が会戦。両軍合せて約5万名が参戦し、その内の約1万名が戦死するという大激戦となり、フン族の帝国は大打撃を受けて撤退する。一方の西欧諸民族連合軍も、追撃不可能な程の被害を受ける。この決戦は、世界史上の東西両民族の大衝突の1つとしても名高い。
0686年 - 第40代天皇、天武天皇が重態に陥る。飛鳥(現在の奈良県高市郡明日香村川原)に所在した仏教寺院、川原寺で、病を治す功徳の力随一と言われる、薬師如来について説かれた経典「薬師瑠璃光如来本願功徳経(薬師経)」を説かせ、僧侶は宮中に安居(それまで個々に活動していた僧侶達が、一定期間、1ヶ所に集まること)となる。
1180年 - 以仁王の挙兵: 宇治平等院(現在の京都府宇治市宇治蓮華にある、藤原氏ゆかりの寺院)の戦いで、平氏政権下で中央政界に留まり、源氏の長老の位置を占めていた源頼政と、第77代天皇、後白河天皇の第三皇子である以仁王が敗死する。平氏政権の打倒計画は、準備不足のために露見するが、平氏政権の崩壊と鎌倉幕府の成立を招く契機になったとされる。
1333年 - 鎌倉末期から南北朝の混乱の時代にあって、足利氏と並び、武家を統率する力のある家系であった新田家の当主、新田義貞が、上野国(現在の群馬県)で北条氏討伐の旗揚げ。第56代天皇、清和天皇の皇子や一族を祖とする清和源氏の1つで、河内国(現在の大阪府東南部)に根拠地を置いた河内源氏の流れを汲み、鎌倉幕府においては、御家人(将軍と主従関係にあった武士)であると同時に、御門葉(鎌倉幕府を開いた源頼朝[鎌倉殿]の一門としての処遇を受けた者)の地位にあった足利氏の当主、足利貞氏の次男で、足利貞氏の長男であった足利高義が早逝したために足利氏当主となった足利尊氏は、新田義貞の対抗馬であり、好敵手ともされたが、鎌倉時代後期の新田家は、足利家に対して従属関係にあり、延元の乱(足利尊氏が、第96代天皇、後醍醐天皇の建武政権に対して反旗を翻した挙兵)以前の新田義貞は、足利尊氏の指揮下の一部将であった、とする研究もみられる。1331年から始まった元弘の乱(後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府討幕運動)では、鎌倉幕府に従って上洛していたが、河内国で地元の土豪、楠木正成の挙兵が起こり、新田義貞も楠木正成討伐に向かい、千早城の戦い(楠木正成と、鎌倉幕府軍との間で起こった、現在の大阪府南河内郡千早赤阪村に位置する山城、千早城の包囲戦)に参加している。しかし、1333年3月、新田義貞は病気を理由に、無断で自らの領地、上野国新田荘に帰ってしまう。新田義貞が鎌倉幕府に反逆した決定的な要因は、新田荘への帰還後に、鎌倉幕府の徴税の使者との衝突から生じたその殺害と、それに伴なう鎌倉幕府からの所領没収にあった、とみられている。
1602年 - 徳川家康が諸大名に、二条城(現在の京都市中京区二条通堀川に所在)の造営を命じる。
1703年 - 大坂道頓堀(現在の大阪市中央区道頓堀に所在)の竹本座で、人形浄瑠璃作者の近松門左衛門による人形浄瑠璃『曽根崎心中』が初演。『曽根崎心中』は、世話物浄瑠璃(江戸時代における現代劇浄瑠璃)で、後に歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語である。1703年4月7日(旧暦)早朝に、大坂堂島新地(現在の大阪市北区に所在した、居住地や商業地として新しく拓かれた土地、新地で、歴史的には、新地開拓後の繁栄策として遊郭等ができたことも多かったことから、転じて、遊郭や遊里の多い場所を指すこともある)天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と、内本町(現在の大阪市中央区に所在)にあった醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が、摂津国西成郡曾根崎村(現在の大阪市北区に所在)の露天神社(この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたが、菅原道真が太宰府へ左遷される途中に立寄ったとされることから、天神社の1つとなる)の森で情死した事件を題材にしている。この事件以降、露天神社は、お初天神とも呼ばれることが多くなる。この演目を皮切りとして、「心中もの」(心中や情死を題材とした江戸時代の人形浄瑠璃・歌舞伎・歌謡のジャンルの1つ)ブームが起こっている。
1782年 - アメリカ合衆国議会がグレートシール(国璽、アメリカ合衆国の国章として事実上使われている図柄)を決定。
1789年 - 球戯場の誓い(テニスコートの誓い)。第三身分(平民)議員らが、ヴェルサイユ宮殿(フランスの北部にあり、首都パリの近郊に位置するヴェルサイユに所在)内のテニスコートで憲法制定までの不解散を誓う。
1791年 - フランス革命: フランス最後の絶対君主にしてフランス最初の立憲君主、ブルボン朝フランス王国第5代国王ルイ16世の一家が、オーストリアへの逃亡を企てる(ヴァレンヌ事件)。
1810年 - スウェーデンの名門貴族で、フランス王妃マリー・アントワネットの愛人であったハンス・アクセル・フォン・フェルセンが、民衆により惨殺される。
1819年 - アメリカの蒸気船『サヴァンナ』が、世界初の蒸気船による大西洋横断を経て、イギリス中部のリバプールに到着。『サヴァンナ』は、蒸気力によって外輪を廻して進む外輪船で、帆走もできるようになっており、横断には約27日と11時間を要したが、実際に蒸気力を用いたのは約85時間だけで、大半は帆走であったという。
1837年 - イギリスで、ヴィクトリアが国王に即位。世界各地を植民地化・半植民地化して、繁栄を極めた大英帝国(その全盛期には、全世界の陸地と人口の約4分の1を版図に収めた、世界史上最大の面積を誇った帝国)を象徴する女王として知られるヴィクトリアの治世は、「ヴィクトリア朝」と呼ばれる。
1847年 - 越後国(現在の新潟県に相当)、信濃国(現在の長野県に相当)で大地震。12,000名以上の死者が出る。
1862年 - 東ヨーロッパに位置するルーマニアの首相、ラスカル・カタルジュが暗殺される。
1863年 - アメリカ合衆国東部にあるバージニア州から分離したウェストバージニアが州に昇格し、アメリカ合衆国35番目の州となる。
1887年 - 日本の近代小説の開祖とされる作家、二葉亭四迷の長篇小説『浮雲』の第一篇が刊行される。初の言文一致(日常に用いられる話し言葉に近い、口語体を用いた文章)体小説で、二葉亭四迷の代表作とされる。『浮雲』は、主人公の文三とその従姉妹のお勢、友人の本田の3人の姿を中心に描かれている。近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた作家・評論家・翻訳家・劇作家、坪内逍遥の文芸評論『小説神髄』(道徳や功利主義[幸福を人生や社会の最大目的とする考え方]的な面を文学から排して、客観描写に務めるべきと述べ、心理的写実主義[現実を空想によらず、ありのままに捉えようとする美術上、文学上の主張]を主張することで、日本の近代文学の誕生に大きく寄与した)を読んで満足しなかった二葉亭四迷が、日本近代写実小説の第一として、『小説神髄』に展開された理論の具体化、とされる長篇小説『当世書生気質』に対抗して書いたという。当初は、坪内逍遥の本名「坪内雄蔵」の著者名で発表され、坪内逍遥は報酬として印税の半分を受取っていたが、二葉亭四迷自身はそのでき栄えに満足せず、この後約20年間程、小説の執筆から離れてしまったという。
1893年 - 父と継母の殺害容疑で起訴されていたアメリカ人女性、リジー・ボーデンに無罪判決。
1894年 - 明治東京地震。関東地方の南部(神奈川県・東京都・千葉県・埼玉県・茨城県南部)で歴史的に繰返し発生する、マグニチュード(M)7級の巨大地震を指す総称、南関東直下地震の1つとされる、東京湾北部を震源として発生した地震で、規模はマグニチュード(M)7.0。震源の深さは約40kmから約80kmと推定される。東京の下町と神奈川県横浜市、川崎市を中心として、死者31名、負傷者157名、建物の全半壊130棟等の被害となる。東京府東京市深川区(現在の東京都江東区の一部)の紡績会社の工場で、タンクが崩壊して死傷者が発生した他、液状化現象(地震の際に、地下水位の高い砂地盤が振動により液体状になる現象)と推定される噴水・噴砂もみられている。