6月14日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

球音を楽しむ日。
2000(平成12)年6月14日、日本野球機構(NPB)セントラル・リーグ、読売ジャイアンツ(読売巨人軍)が、東京ドームで行なわれた対横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)戦で、トランペットや太鼓による鳴り物応援を自粛してもらうために、「球音を楽しむ日」として実施した。名前の通り、球音を楽しんでもらうためのもので、ボールとバットがぶつかる音、ボールがグラブに収まる音、選手達が発する声等、野球本来の音を楽しもうという狙いがあった。また、拍手や声援で応援を楽しんでもらうためにも行なわれたもので、ネーミングは、当時の長嶋茂雄監督(第2次となる第13代監督時代、現在は終身名誉監督)による。2011(平成23)年に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就いた星野仙一は、シーズン開幕前の3月3日、報道陣にこんな話をした。 「日本のような(鳴り物等の)応援の中でやるのも野球の醍醐味の1つだが、打球音とか、ミットの音とかを純粋に楽しむ日があってもいい。年に1回ぐらいあってもいいな」 3月4日のスポーツ各紙は、この話を「星野監督『球音を楽しむ日』の実施を提案」と報じた。星野仙一は、これと同じことを東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、日本製紙クリネックススタジアム宮城(現:楽天モバイルパーク宮城)でもやってみようと提案した。日本製紙クリネックススタジアム宮城は、元々鳴り物の応援が禁止されている。近隣に病院(国立病院機構仙台医療センター)があり、トランペットの音が患者に迷惑をかけるという理由からで、これは、球場を所有する宮城県の浅野史郎知事(当時)の意向でもあった。しかし、東北楽天ゴールデンイーグルスの初年度となる2005(平成17)年、他球団の私設応援団は、鳴り物禁止に猛反発した。既存球団の応援団はそれ程、野球の応援に鳴り物は欠かせないと考えていた。楽天球団は、鳴り物禁止というルールを明文化したが、何もないと声援がバラバラになるので、太鼓を使うことは許可した。星野仙一の提案を受けて、楽天球団は2011(平成23)年6月30日の福岡ソフトバンクホークス戦で、「Sound of Ball Game」を実施した。「打球音やボールがミットに吸込まれる音、選手の掛け声、スタジアムが一体となった歓声」を楽しんでみようという企画で、鳴り物だけでなく、太鼓による応援も禁止とした。楽天球団は、大リーグ風の自然発生的な応援が広まることを期待した。その期待に反し、この試合の観客数は大きく落込み、楽天球団はこれに懲りたのか。その後は「Sound of Ball Game」を実施していない。「球音を楽しみたい」というファンも少なからず存在するとは言え、鳴り物なしの試合は、コアなファンを中心に強い反発を招き、観客動員にも影響が出る。各球団はそれを知っており、鳴り物や太鼓による応援を認めている。鳴り物禁止で観客数が増えるなら、誰に言われなくても、各球団は鳴り物を禁止するであろう。日本製紙クリネックススタジアム宮城と同じ状況は、藤井寺球場でもあった。藤井寺球場は、かつて大阪府藤井寺市にあった野球場で、正式名称は「近鉄藤井寺球場」である。近畿日本鉄道(近鉄)の関連会社である近鉄興業が保有、及び管理していたが、2005(平成17)年1月末をもって閉鎖され、2006(平成18)年8月に解体された。藤井寺球場は、1950(昭和25)年から近鉄パールス(後の近鉄バファローズ、現在のオリックスバファローズの前身の1つ)の本拠地となったが、照明設備がない藤井寺球場では、ナイターを開催することができなかった。そのため、近鉄バファローズが主に使用した日生球場は、大阪市内にあって交通の便が良く、観客動員も見込むことができた。また、グラウンドと客席の距離が近いため、ファンの根強い人気もあった。しかし、社会人野球チームを持つ日本生命保険から賃借していた球場であったために収容人員が少なく(約20,500名)、グラウンドも狭い上、照明が他球場に比べて暗い等、プロ野球興行に適しているとは言えなかった。1973(昭和48)年2月、近畿日本鉄道(近鉄)は、藤井寺球場の大規模な改修工事計画を発表した。これに対して、球場周辺の住民が、工事を行なうと観客の自動車乗入れや、応援による騒音等、ナイター公害が発生すると反発し、反対運動を起こした。近畿日本鉄道(近鉄)と反対住民は、仲介や調停等を重ねたが、いずれも不調に終わったため、約10年間工事が中断した。大阪地方裁判所は1983(昭和58)年9月26日、外野スタンド最上段に防音壁を設置すること(3塁側からの写真のライト後方部分にあった)や鳴り物入りの応援を禁止すること等を条件として、ナイター設備の設置を認めたため、近畿日本鉄道(近鉄)は同年11月21日に工事を再開。1984(昭和59)年4月6日にナイター設備が完成した。近隣住民がナイター設備の建設に反対した際、理由として騒音問題を挙げたことからこれ以降、藤井寺球場では、ラッパや鐘、太鼓等、鳴り物による応援が禁止され、これらの持込みも規制されたが、これは他の球場には見られないことであった。藤井寺球場はこれ以降、近鉄バファローズの名実共に本拠地となり、1984(昭和59)年の鈴木啓示投手の300勝達成や、1989(平成元)年のリーグ優勝等、多くの名勝負を繰広げたが、1997(平成9)年に大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)が完成したことに伴ない、再び準本拠地に降格され、主に練習場、及び二軍の本拠地球場となった。なお、近鉄バファローズの応援団は、藤井寺球場以外では、他球団の応援団と同様に鳴り物や太鼓による応援を行なっている。2004(平成16)年、大阪近鉄バファローズはプロ野球再編問題(大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの2球団の合併を発端とした、日本野球機構[NPB]史上最大規模の危機となった騒動)の当事者となり、近畿日本鉄道(近鉄)は同年8月、翌年の春を目途に、藤井寺球場の閉鎖を検討していることを明らかにした。そして、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併により、野球場を持つ必要性が薄れたこと(オリックス・ブルーウェーブの二軍本拠地、及び合宿所は、兵庫県神戸市にあるものを継続使用するため)や施設が著しく老朽化していること等を理由に、2005(平成17)年1月末を以て、近畿日本鉄道(近鉄)が主催する閉鎖イベント等が行なわれないまま、藤井寺球場は閉鎖となった。なお、2005(平成17)年6月4日と翌6月5日に、大阪府藤井寺市や市民らの主催によって、藤井寺球場で「藤井寺市民フェスタ」が開催され、鈴木啓示ら近鉄バファローズOB選手の講演や運動会等を行なった。約71,000名の参加者を集め、これが藤井寺球場の実質的な閉鎖イベントとなった。2005(平成17)年8月4日、近畿日本鉄道(近鉄)は、球場敷地の内北側約33,000平方mを、学校法人四天王寺学園に売却すると明らかにした。静かな環境を守りたい、という地元の意向に配慮して、文教施設としての利用に決めたもので、学校法人四天王寺学園は小学校の建設と、大阪府羽曳野市内にある生涯学習センターを移設すると発表。2009(平成21)年4月に四天王寺学園小学校(現:四天王寺小学校)が開校し、正門東側には、大阪府藤井寺市、近畿日本鉄道(近鉄)、学校法人四天王寺学園の三者共同による、藤井寺球場記念モニュメントが設置された。その後、2014(平成26)年4月1日に四天王寺学園中学校が、さらに2017(平成29)年4月1日には、四天王寺学園高等学校がそれぞれ開校した。敷地南側の約9,200平方mは、大手総合商社の丸紅が買取り、大規模マンション「グランスイート藤井寺」を建設し、2009(平成21)年11月に竣工した。