6月13日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2木曜日 旧暦  5月 8日、赤口(戊申)、月齢  6.6 
グレゴリオ暦で年始から165日目、年末まであと201日。
誕生花 ジギタリス。

鉄人の日。
1987(昭和62)年6月13日、日本野球機構(NPB)セントラル・リーグ、広島東洋カープの衣笠祥雄が、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリックが持っていた、2,130試合連続出場(1925[大正14]年から1939[昭和14]年までの14年間に亘るもの)の記録を抜き、2,131試合連続出場の世界記録を作った。1970(昭和45)年からの足掛け18年、6,082日目の大記録であった。衣笠祥雄は、1974(昭和49)年までの背番号「28」から、「鉄人」(横山光輝作の漫画、テレビアニメ『鉄人28号』[作品内に登場する架空の大型ロボットの名称]より)の愛称で親しまれており、また、その愛称が示す通り、野球選手の中でも飛び抜けて体が頑丈であった。負傷しても休まず試合に出場することも多く、大相撲の幕内力士青葉城幸雄(後の十一代不知火親方)と、その頑丈さを並び称されたこともある。その功績を讃え、1975(昭和50)年から衣笠祥雄の付けていた背番号「3」は、カープの永久欠番となっている。また、連続試合出場世界新記録達成により、1987(昭和62)年6月22日には国民栄誉賞を受賞した。なお、それまでの記録は、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)のルー・ゲーリック選手が2,130試合連続出場の記録を持っていた。現在の連続試合出場世界新記録は、1998(平成10)年9月20日にメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)ボルチモア・オリオールズのカル・リプケン・ジュニアが達成した2,632試合連続出場である。衣笠祥雄は、連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位(678試合連続フルイニング出場)、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位(通算504本は、日本ハムファイターズ[現:北海道日本ハムファイターズ]や読売ジャイアンツ[読売巨人軍]等で活躍した張本勲とタイ)の記録保持者である。赤ヘル打線(広島東洋カープの打線の愛称)の主砲として、1970年代後半から1980年代の広島東洋カープ黄金時代を築き上げる原動力となった選手の1人である。捕手としてプロ入りした後、内野手に転向し。4年目で一塁手として一軍レギュラーに定着した後に、三塁手にコンバートされる。連続試合出場記録は、1970(昭和45)年10月19日の対読売ジャイアンツ(読売巨人軍)戦から始まった。1979(昭和54)年には、シーズン序盤から極度の大不振に陥り、連続フルイニング出場日本プロ野球記録の更新を断念させられたり、死球を受けて、左の肩甲骨を骨折する重傷を負ったりしたが、連続試合出場記録は、その不死身振りを発揮して継続させた。1984(昭和59)年には、37歳にして自己最高の打率.329・31本塁打・102打点の成績を残した。打点王を獲得し、同年のチームのリーグ優勝・日本シリーズ制覇に伴なって、最優秀選手(MVP)にも輝いた。世界記録を達成した1987(昭和62)年のシーズン末、満足に守備ができなくなったことを理由に現役引退を表明した。最終出場試合となった対横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)戦の10月22日には、2,215試合連続出場を果たした。同時代のチームメイトに山本浩二という強打者がおり、引退後も鉄人のイメージが付き纏っているためか、今では連続試合出場記録以外の話題を取上げられることは少ないが、長期に亘って安定した打撃成績を残し、1976(昭和51)年に盗塁王を獲得する等、史上3人しかいない500本塁打、200盗塁を記録し、ゴールデングラブ賞を3度受賞した屈指のオールラウンド・プレーヤーでもある。1996(平成8)年には、日本のプロ野球等で顕著な活躍をした選手や監督・コーチ、野球の発展に大きく寄与した人物に対して、その功績を称え、顕彰するために創設された野球殿堂の競技者表彰を受けている。連続試合出場の世界記録を更新した時、「いつか、誰かにこの記録を破ってほしい。この記録の偉大さが本当に分かるのは、その人だけだろうから」という言葉を残した。衣笠祥雄の記録は、アメリカでも非常に高く評価されており、現在でも「キヌガサ」は、アメリカで最も名前の知られている日本人野球選手の1人である。1996(平成8)年6月14日にカル・リプケン・ジュニアが連続試合出場の世界記録を更新した試合にも、来賓としてアメリカに招かれた。衣笠祥雄は引退後、1988(昭和63)年から2018(平成30)年途中まで約30年半、東京放送(TBS)の野球解説者を務める一方で、1988(昭和63)年から2017(平成29)年1月まで、朝日新聞社嘱託で運動面のコラムを受持つ他、タレント活動も展開する。日本テレビ系の情報番組『午後は○○おもいッきりテレビ』のコメンテーターとして出演した他、広範に亘る洋楽の知識を生かし、自らが選曲とパーソナリティを手掛ける音楽番組『鉄人ミュージック』が、TBSラジオで不定期に放送された。引退後の衣笠祥雄は、球団の監督もコーチもやることはなかったが、新聞社の取材でその理由を問われ、自分一人ではどうこうできない人間関係の問題であることを示唆している。鉄のように頑強な身体や意思を持つ人物のことは、「鉄人」と呼ばれ、スポーツでは特に、怪我や困難に強く、長年に亘って試合に出続け、連続試合出場記録等を樹立した選手のことを指す。日本野球機構(NPB)では、衣笠祥雄の他、1999(平成11)年から2010(平成22)年にかけて達成した、1,492連続試合フルイニング出場と13,686連続イニング出場が世界記録となっている、広島東洋カープ(2003[平成15]年にFA権を行使し、阪神タイガースへ移籍)の金本知憲や、日本野球機構(NPB)歴代2位の一軍公式戦1,939試合連続出場を記録した、阪神タイガース(2020[令和2]年からは千葉ロッテマリーンズに所属)の鳥谷敬、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)では、ボルチモア・オリオールズのカル・リプケン・ジュニアやニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリック等が「鉄人」と呼ばれている。衣笠祥雄の「鉄人」という愛称は、『鉄人28号』に因んでいる。『鉄人28号』は、漫画連載と同時代の昭和30年代(1955年 - 1964年)の日本を舞台に、リモコンの保持者次第で善にも悪にもなるロボットを巡り、少年探偵と悪人達の攻防を描く物語で、リメイクを繰返し、何度も映像化された人気作品である。永井豪の漫画、アニメで、巨大な人型ロボットに主人公が乗込み操縦するという、「巨大ロボットアニメ」と呼ばれる分野に分類される初めての作品、『マジンガーZ』を始めとする、多くの日本の巨大ロボットものに強い影響を与えている。原作では当初、『鉄人28号』は世の中に恐怖を撒き散らす、悪の権化となる筈であった。それが正義の味方になったのは、雑誌『少年』(光文社発行の月刊少年漫画雑誌で、1946[昭和21]年11月に創刊されるが、1968[昭和43]年3月号をもって休刊となる)に発表と共に、読者アンケートで上位にランクされ、単発掲載の筈が長期連載へと変更になったためである。そして、「悪人を懲らしめる鉄人の活躍が見たい」という読者の要望もあって、正義の味方へと変わった。その名前の由来は、アメリカ空軍の戦略爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレスから来ている。日本を廃虚と化すボーイングB-29スーパーフォートレス、その「巨大で強いもの」、そして、フランケンシュタイン(映画や大衆文学に現れた、最も著名な怪物の1つで,死体から造られた人造人間)のイメージとにより、『鉄人28号』は誕生した。