6月12日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

宮城県民防災の日/みやぎ県民防災の日。
1978(昭和53)年6月12日、宮城県沖地震があり、死傷者1,353名(死者28名、負傷者1,325名)を出す大惨事となった。そのことを忘れず、県民の防災意識を高めようと、1979(昭和54)年に制定された。宮城県沖地震は、宮城県東方沖を震源とする地震で、特に、日本海溝(海洋プレートと大陸プレートの境界部分)の大陸プレート側を震源として、周期的に(平均では約37.1年の間隔)発生するマグニチュード(M)7.5前後の地震を指す。1978(昭和53)年の宮城県沖地震は、マグニチュード(M)7.4の規模で、最大震度は宮城県仙台市等で観測した震度5(強震)であり、東京でも震度4(中震)を記録した。ブロック塀等の下敷きになる等して、28名の死者と13,000名余りの負傷者を出している。家屋倒壊被害が甚大であったため、3年後の1981(昭和56)年の「建築基準法(昭和25年5月24日法律第201号)」の改正(「建築基準法施行令の一部を改正する政令[昭和55年7月14日政令第196号])に繋がった。この改正の要旨は、建築物の耐震基準の強化で「震度5強程度の中規模地震では軽微な損傷、震度6強から震度7程度の大規模地震でも倒壊は免れる」強さとすることを義務付けたものである。この宮城県沖地震では、都市ガス(仙台市ガス局・塩釜ガス・石巻ガス・古川ガス)が約13万戸で供給停止となった。仙台市ガス局のガスホルダーが地震で崩壊炎上したため、ガス供給に支障をきたした、老朽化、又は手抜き工事であったブロック塀の倒壊、1960年代に造成された新興住宅街の地盤崩壊、水田地帯を開発した卸町地区(宮城県仙台市の南東部、太平洋側にある若林区に所在)では液状化現象(地震によって、地盤が一時的に液体のようになってしまう現象)が発生してビルの倒壊や傾斜が見られる等、宮城県内(特に仙台市)を中心に大きな被害が生じた。この地震では、各種インフラ(産業や生活の基盤として整備される施設で、人々の生活に必須な、いわゆるライフライン)が停止して、都市生活が麻痺した。これは、人口50万以上の大都市が経験した、初めての都市型地震災害とも言われている。なお、宮城県が2008(平成20)年10月に制定した「震災対策推進条例(平成20年10月23日宮城県条例第62号)」は、その当時に、近い将来発生が予想されていた宮城県沖地震を想定して対策を掲げていたものであるが、2011(平成23)年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は、地震のみならず、巨大津波によって、県民の生命、財産、及び県土に甚大な被害をもたらした未曾有の大災害となった。この東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を通して得られた貴重な教訓を踏まえ、今後の震災対策に万全を期すため、宮城県は、「震災対策推進条例」の改正(「震災対策推進条例の一部を改正する条例[平成26年3月27日公布、平成26年4月1日施行]」)を行なった。
恋人の日。
愛知県名古屋市北区杉村に事務局を置く、額縁業者による業界団体、全国額縁組合連合会が、1988(昭和63)年に制定した記念日。ブラジル南東部にあるサンパウロ地方では、女性の守護神で、縁結びの聖人とされる聖パドヴァのアントニオの命日の前日、6月12日を「恋人の日」と呼んで、恋人達が自分の写真を写真立て(フォトフレーム)に入れて贈り合う習慣があり、この習慣を額縁のPR活動に利用したもの。額縁とは、絵画や写真、賞状等を入れて飾るための枠(フレーム)である。額縁の語源は、「額(ひたい)」の「縁(ふち)」から来るものと考えられる。卓上用のもの、壁掛用のもの、卓上・壁掛共用のものがある。なお、室内装飾だけではなく、屋外用のものも存在する。また、額縁に美術品や写真等を入れて飾れる状態にすることを、額装(がくそう)という。 
恋と革命のインドカリーの日。
1927(昭和2)年6月12日、東京新宿(現在の東京都新宿区新宿で、株式会社中村屋の本社所在地となっている)に喫茶部を開設し、日本で初めて「純印度式カリー」を売出した老舗食品メーカー、株式会社中村屋が制定。創業者である相馬愛蔵の娘が、インド独立運動の活動家、ラス・ビハリ・ボースと恋に落ちたことをきっかけに、インドカリーが誕生したことから、この記念日名が付けられている。当時、イギリスの植民地として圧政に苦しんでいた祖国インドを救おうと、独立運動を行なっていたが、インド総督への襲撃をきっかけに、イギリス政府から厳しい追及を受け、1915(大正4)年に日本に亡命したラス・ビハリ・ボースは、当時の日本のカレーを元来のインドのカレーとは違うとして、本格的な「インドカリー」を伝えた人物でもある。中村屋は、当時の日本では珍しい、純インド式カリーを販売し、本店のカリーのキャッチフレーズ「恋と革命の味」はここから生まれ、引継がれている。新宿本店には、創業者の相馬愛蔵と相馬黒光夫妻の人柄に惹かれた文化人が盛んに来店していた。その中に、ロシアの童話作家ヴァスィリー・エロシェンコもおり、そのヴァスィリー・エロシェンコがレシピを伝えたボルシチも、カリーと並び、本店レストランの開店以来の人気メニューとなっている。因みに、中村屋は独創的なパン・食品を作り続けた。1904(明治37)年には、シュークリームをヒントに、現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した。さらに、1927(昭和2)年には、現在の中華まんの元となる「中華饅頭」を発売。これが、現在の中華まんの始まりとも言われている。
晩餐館焼肉のたれの日。
愛媛県今治市富田新港に愛媛本社、千葉県印旛郡栄町矢口神明に千葉本社を置き、「豊かな食シーンづくりに貢献する」「ブレンド調味料の無限の価値を創造する」を2大ビジョンに掲げる調味料等のメーカー、日本食研ホールディングス株式会社が制定。日付は、日本食研ホールディングス株式会社の代表的な家庭用商品「晩餐館焼肉のたれ」が発売された、1989(平成元)年6月12日に因んだもので、焼肉をPRすることが目的。日本食研ホールディングス株式会社は、1971(昭和46)年に畜産加工研究所として創業された企業で、業務用のタレの製造では、国内シェア約40%でトップの売上を誇り、焼肉店だけでなく、牛丼、カツ丼、居酒屋チェーン等、大手飲食店の味を支えている。また、から揚げ粉の生産量でも国内トップシェアを誇る。「晩餐館焼肉のたれ」には、まろやか甘口、こく旨中辛、焙煎にんにくの3種類がある。愛媛ローカル時代からテレビCMでの宣伝活動が行なわれている。1992(平成4)年、エプロンをした牛のキャラクター「バンコ」が登場する「カン カン カン カン 晩餐館 焼肉焼いても家焼くな」のCMが放送され、一躍有名となった。2006(平成18)年10月、創業35周年を記念して、現在の愛媛本社に「KO宮殿工場」が建てられた。この「KO宮殿工場」は、ヨーロッパを代表するベルベデーレ宮殿(オーストリアの首都、ウィーンにあるバロック建築[建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする、16世紀末頃から盛んになった建築様式]の宮殿)をモチーフとして建設され、衛生的で環境に配慮した、最新鋭の調味料製造ラインが観覧できる。建築費は80億円を超えるとされる。調味料製造ライン等の見学ツアーもあり、併設された「宮殿食文化博物館」では、中世ヨーロッパの宮廷食文化を紹介しており、共に今治の観光名所となっている。日本語の「焼肉」という言葉は、大きく2つの意味を持ち、肉を焼いた料理全般を指す場合と、肉や内臓にたれを付け、直火で焼きながら食べる、特定の東洋料理を指す場合がある。東洋料理を指す「焼肉」は、現在広く使用されており、調理器具として主に鉄板や焼網を用いたものをいう。一般的に「焼肉店」と称するレストランは、この料理を提供している。この場合、串焼きや陶板等を用いた調理法とは区別して呼称する。一般的には、焼いた肉をたれ(醤油を基本に酒、砂糖、ニンニク、ゴマ等を調合して作った配合調味料)や塩、胡椒、若しくはレモン汁等に付けて食する。同時に野菜も調理する場合もあるが、それらを含めて『焼肉』と呼ぶ。日本国外には「Yakiniku」の名で、バーベキューの一種として知られている。  
書家・金澤翔子さん誕生日。
神奈川県横浜市の「金澤翔子さんを応援する会」が制定。日付は、金澤翔子の誕生日である1985(昭和60)年6月12日から。金澤翔子は、「魂の書」と評される数々の作品を通じて、多くの人々に感動と励ましを与え続けている書家で、その今後の更なる活躍を期待すると共に、今までの足跡を顕彰していくことが目的。5歳から母親の金澤泰子に師事して書を始め、20歳で個展を開催する。その後、全国の著名な神社仏閣で奉納揮毫する他、各地で個展を開催している。