6月11日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

学校図書館の日。
東京都文京区春日に所在する社団法人、全国学校図書館協議会(2012[平成24]年4月1日、公益社団法人に移行)が制定したもの。1997(平成9)年6月11日に「学校図書館法の一部を改正する法律(平成9年6月11日法律第76号)」が施行され、12学級以上の全ての学校に司書教諭の配置が義務化されて、11学級以下の学校には、できるだけ配置するようになったことに因む。「学校図書館法(昭和28年8月8日法律第185号)」で設置、及び運営が規定されている学校図書館は、学校において、図書、視覚聴覚教育の資料、その他学校教育に必要な資料(図書館資料)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによって、学校の教育課程の展開に寄与すると共に、児童、又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備とされている。学校図書館は、学校教育において欠くことのできない基礎的な設備とされ、学校図書館の健全な発達は、学校教育を充実に繋がると考えられている。そのため、初等教育と中等教育(小学校から高等学校まで)の段階にある学校には、学校図書館を設けなければならないとされている。また、学校図書館の専門的職務を掌らせるため、司書教諭を置かなければならないとされている。司書教諭の講習を受けることができる者は、「教育職員免許法(昭和24年5月31日法律第147号)」に定める小学校、中学校、高等学校、若しくは特別支援学校の教諭の免許状を有する者、又は、大学に2年以上在学する学生で、62単位以上を修得した者とされている。そのため、大学や短大を卒業したが、教員免許は何も持っていない者が、司書教諭の講習を受けることはできない。司書教諭は、1953(昭和28)年に設けられた制度であるが、「学校図書館法」の附則第2項で、「当分の間」司書教諭を置かないことができる、と定められていたため、司書教諭の配置が遅れた。司書教諭となれる教員が揃わなかった頃より、学校図書館の業務に対応するため、事務職員や実習助手から指名された、学校図書館において司書(図書館に置かれる専門的職員)に当たる業務を行なう職員、学校司書が置かれてきた。以後、学校図書館では、司書教諭と学校司書で学校図書館を担当する体制が通例となっている。なお、1950(昭和25)年4月30日に「図書館法(昭和25年4月30日法律第118号)」が公布されたことに因み、1971(昭和46)年の全国図書館大会で決定し、翌年より記念日として行事を行なっている「図書館記念日」は4月30日となっている。各都道府県学校図書館研究団体(61団体)の会長1名、及び、この法人の目的に賛同して入会した個人からなる正会員、及び、個人、又は法人からなる賛助会員、並びに名誉会員で組織されている社団法人全国学校図書館協議会は、1950(昭和25)年に全国の有志教員によって結成された任意団体、全国学校図書館協議会を、1998(平成10)年に発展的に改組した上、その目的、事業を引継いで設立され、2012(平成24)年に公益社団法人へ移行している。公益社団法人全国学校図書館協議会は、学校図書館の整備充実を図る運動(職員配置、予算増額、施設拡充等)、学校図書館向け資料の選定と普及、学校図書館活用や読書推進に関する調査研究、学校図書館の研究、及び学校図書館職員の資質向上を図る各種の研修、青少年の読書の振興と普及を図る各種コンクール、顕彰活動等を行なっている他、各都道府県の学校図書館研究団体(各県の学校図書館協議会)と協力して、学校図書館の充実発展と青少年読書の振興を図るための活動を実施している。
布おむつの日。
赤ちゃんやお年寄りの肌に優しく、赤ちゃんの感受性を豊かに育て、地球環境に優しい布おむつの良さを広く知ってもらいたいと、兵庫県神戸市中央区磯上通に所在し、布おむつのレンタルシステムで知られる業界団体、関西ダイアパーリース協同組合が制定。関西ダイアパーリース協同組合と同じ所在地の、ダイアパーリース協同組合の全国組織、全国ダイアパーリース協同組合連合会、及び、東京都中央区日本橋兜町に所在する業界団体、社団法人日本ダイアパー事業振興会(現在は、一般社団法人となっている)と共にアピールしている。日付は、昔から布おむつのことを襁褓(むつき)と呼んでいたことから6月で、その11日で、「いい日」と読む語呂合わせから。布おむつの洗濯、及びリースの事業は、ダイアパー事業と呼ばれる。日本における貸しおむつ(レンタルおむつ)は、約50年前にアメリカから導入されたシステムで、現在、専業・兼業の業者が約100社ある。布おむつの洗濯や乾燥に不便な住宅事情、又は女性の社会進出に伴ない、利用されてきた。初めは赤ちゃん専用のものだけであったが、現在では、寝たきりのお年寄り等を対象にした成人用のレンタルも行なわれている。専門の業者が、工場の機械化された設備で洗濯・殺菌・消毒を行ない、完全乾燥した布おむつを宅配、同時に使用済みのものを回収する仕組みで、育児や介護の負担を軽減する意味で、利用者から好評となっている。使い捨ての紙おむつは、コンパクトな外出用やおむつ替えの手間を省ける便利性があるが、使用済みのものが大量のゴミとなるために、対策が必要とされている。この点において、布おむつの使用はゴミを削減することができる。なお、「062」を「おむつ」と読む語呂合わせから、6月2日が「おむつの日」とされている。
カメハメハ・デー。
1810(文化7)年6月11日、カメハメハ1世(カメハメハ大王)が、太平洋中央部の洋上に位置するハワイ諸島全島を初めて統一したことを記念したもの。ハワイ王国を建国し、初代国王となったカメハメハ1世は、優れた外交手腕でイギリスやアメリカ合衆国等の西洋諸国との友好関係を維持して、ハワイの独立を守り、伝統的なその文化の保護と繁栄に貢献した。また、カメハメハ1世が作った「ママラホエ」と呼ばれる法律は、戦時における非戦闘員の人権を保護するものであり、今日では世界中で受入れられている先駆的なものであった。「カ・メハメハ」とは、ハワイ語で「孤独な人」や「静かな人」の意である。カメハメハ1世の像は、現在ハワイ州内の3ヶ所にある。最も有名なのは、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島に所在する、ハワイ州最大の都市でハワイ州の州都、ホノルルのダウンタウン、アリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所)にある像である。この像は、「キャプテン・クックによるハワイ発見100周年」を記念してイタリアで造られたが、輸送の途中で海に没したため、再度造られた。左手の槍は平和を象徴し、掲げた右手はハワイの繁栄を表わしている。因みに、像のモデルとなったのは、カメハメハ1世本人ではなく、建立当時の王であるハワイ王国の第7代国王、カラカウアが宮廷の中から選んだ、特に見た目が美しい男性である。カメハメハ大王像は、そのミニチュアがハワイの土産物になり、多くの土産物屋で売られている等、日本でもよく知られた存在である。カメハメハ1世は、イギリスから武器や軍事顧問等の援助を受けて領土を広げ、1795(寛政7)年にハワイ王国の建国を宣言した後、1810(文化7)年に全ハワイ諸島を統一した。これ以前、ハワイはそれぞれの地方毎に有力者が統治していた。カメハメハ1世の政敵が、火山の噴火や外敵等により壊滅状態になったことも統一に幸いした。ハワイ王国はカメハメハ1世の後、その子孫によって統治されており、カメハメハ2世とカメハメハ3世は、カメハメハ1世の息子である。カメハメハ3世の治世下にあった1840(天保11)年に憲法が制定され、近代国家としての体裁が整うと、各国が相次いでハワイ王国を承認し、名実共に独立国家として認められるようになった。憲法制定に当たっては、特にイギリスを手本にしたとされている。この後も、ハワイ王国は親英外交を行なった。