6月9日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

たまごの日。 
様々な料理に使え、栄養豊富な健康優良食品の卵をもっと食べてもらいたいと、愛知県新城市浅谷字井原で鶏卵の生産販売を手掛ける企業、有限会社鈴木養鶏場が制定。日付は、「卵」という漢字が、数字の「6」と「9」に似て見えることと、盛夏の前に卵を食べて、健康増進を図ってもらいたいとの願いから。なお、春分の日も、生命が芽生える日として「卵の日」とされている他、毎月5日も「たまごの日」とされている。また、卵の正しい知識の普及や消費を拡大する機会とすることを目的に、日本養鶏協会、日本卵業協会等、関係団体が合意して2010(平成22)年に制定した「いいたまごの日」は11月5日とされ、料理の基本と言われるたまご料理を通して、食についての衛生と安全を啓蒙する機会を提供し、また、たまご料理の食文化の振興という願いを込め、埼玉県さいたま市に本拠を置き、全国の飲食店向けに「うまいもん認定」事業を行なっている、一般社団法人全日本うまいもん推進協議会が制定した「たまご料理の日」は、5月の「05」で「たまご」、22日を「ニワトリ ニワトリ」と読む語呂合わせから、5月22日とされている。鶏卵は、ニワトリの卵である。生で、又は加熱した料理とされる。単に「卵」と呼ぶことが多い。鶏卵は栄養価が高く、特に良質な動物性たんぱく質を豊富に含む他、卵黄にはビタミンA、ビタミンD、ビタミンEや、リン、鉄、亜鉛や銅といったミネラルが含まれている。また、全卵において、必須アミノ酸が散在するが、特に卵黄に多く含まれる。世界的にも動物性のタンパク質の摂取源として一般的な食材である。栄養バランスが良いことから完全栄養食品と言われる。しかし、必要な栄養素の内、ビタミンCや食物繊維、カルシウム等は不足している。過去数十年に亘り、価格が比較的安定していたことから、「物価の優等生」と称されることもある。日本列島では、弥生時代(紀元前3世紀中頃位から3世紀中頃までに相当する時代)に家畜化されたニワトリが伝来する。しかし、鶏卵食への忌避感情が長く浸透していた。戦国時代には西日本へポルトガル人が来航し、鶏肉食と共にカステラやボーロ等、鶏卵を用いた南蛮菓子を伝え、一部に受容された他、江戸時代には西日本の一部で鶏卵が食された。カラザは、卵を割った時に見える白い紐状のもので、卵白の一種である。カラザには、卵黄を卵白の中心に固定させる働きがある。これにより、卵黄を外部の衝撃から守ることができる。また、卵白には抗菌作用があるため、卵黄を卵白の中に置くことで、微生物による汚染から守ることができる。その見た目から、取除いて調理する人も多いが、カラザには、卵白にはない「シアル酸」という成分を含んでいる。この「シアル酸」は、ガン細胞の転移を防ぐ抗ガン物質としての働き等があり、体に良いとされている。鶏卵の殻の色には、主に白玉と赤玉がある。これは、鶏の種類や遺伝的によるものであるが、一般には、赤玉の方が値段が高い場合が多い。一部の赤玉は、フクシン(紅紫色染料の1つ)系の色素により着色されている物もある。市販の鶏卵は、白玉が無精卵、赤玉は有精卵、という俗説があるが、これは事実ではない。また、白玉より赤玉の方が栄養価がある、という俗説も存在するが、実際は、白玉と赤玉での栄養価には差がないことが分かっている。鶏卵を割った際に、稀に卵黄が2つ入っていることがある。このような鶏卵を二黄卵(「におうらん」、俗に言う双子卵、又は「にこたま」)といい、その殆どは、産卵開始後間もない若鶏の産んだ卵である。鶏のごく普通な生理現象であり、薬物投与等の人為的方法で作り出されることはない。外見が普通の卵よりも細長く全体的に尖り、大きさや重さが飛び抜けているため、産卵開始後間もない若鶏しかいない養鶏場であれば、比較的簡単に見分けられる。味的には全く変わらないが、ごく一部の人は気持ち悪がるかも知れないという理由で、出荷前に取除かれていたが、1998(平成10)年頃から、アメリカ合衆国で1970年代に研究が始まった二黄卵多発鶏種により、生産し選別されたものが流通している。スーパーマーケット等では、鶏卵はパック詰めで販売される。主にパルプモウルドと呼ばれる、紙のようにパルプから作られるものと、プラスチック製のものとがある。プラスチック鶏卵容器は、日本では1963(昭和38)年にポリ塩化ビニル製が作られたが、後にポリスチレン製のものが広がり、現在は非結晶ポリエステル(A-PET)シートを真空成形したものが主流である。業務用の段ボール箱の中に入れる保持材や、ブランド卵の容器としてパルプモウルド(紙製の緩衝材)の需要も根強い。 
ゼネラル・オイスターの岩牡蠣の日。
東京都中央区日本橋茅場町に本社を置き、牡蠣の直営レストランを全国展開する企業、株式会社ゼネラル・オイスターが制定。安心で安全で、美味しい自社の岩牡蠣の魅力を、より多くの人に知ってもらい、その味を楽しんでもらうことが目的。日付は、6月9日の「6」と「9」で、岩牡蠣の「岩 = ロッ(6)ク(9)」の語呂合わせと、この時期から岩牡蠣の本格的なシーズンが始まることから。卸売りを兼営する株式会社ゼネラル・オイスターは、グループ全体では、直営のオイスターバーレストランに加え、種苗生産拠点、陸上養殖実験施設、独自のシステムの浄化施設を有し、牡蠣の種苗・生産から販売を一貫して、六次産業(農業や水産業等の第一次産業が、食品加工・流通販売にも業務展開している多角化経営形態)を行なっている。また、生食用の牡蠣の出荷について、厚生労働省が指定する規格よりも厳しい独自の安全基準を定め、より高い安全性を確保している。さらに、完全ウィルスフリーの牡蠣を目指して、海ではなく陸上プラントでの養殖に積極的に取組んでいる。古くから、世界各地の沿岸地域で食用、薬品や化粧品、建材(貝殻)として利用されている二枚貝、牡蠣は、海の岩から「かきおとす」ことから、「カキ」という名が付いたと言われる。食用にされるマガキ(真牡蠣)やイワガキ(岩牡蠣)等の大型種がよく知られるが、食用にされない中型から小型の種も多い。日本で牡蠣と言えば、概ねマガキ(真牡蠣)のことになり、本来は冬が旬である。イワガキ(岩牡蠣)は、潮線下から水深約20m程度までに生息し、大きな礁を作らない。外敵から身を守るため、殻が大きく頑丈である。殻の色が茶色っぽく、マガキ(真牡蠣)に比べて大きいものが流通する。マガキ(真牡蠣)と対照的に夏が旬であり、「夏ガキ」とも言われる。天然物と養殖物の両方がある。  
つボイノリオ記念日。
愛知県名古屋市中区新栄に本社を置く中波放送(AM放送)局、CBCラジオの人気番組『つボイノリオの聞けば聞くほど』のスタッフやリスナーの有志が2018(平成30)年に制定。日付は、つボイノリオとリスナーが大切にしているという、ラッキーナンバーの「69」から6月9日に。番組を通して、パーソナリティーのつボイノリオとリスナーが一体となり、その絆を深める日、とすることが目的。2018(平成30)年は、番組開始25周年、つボイノリオが69歳を迎えた記念の年である。つボイノリオは、大学在学中にCBCラジオの深夜番組『CBCヤングリクエスト』への出演したことをきっかけに芸能界入りした。この出演時に歌った自作の曲『本願寺ぶるーす』で、1970(昭和45)年にテイチクレコードより、レコードデビュー果たした。1972(昭和47)年、愛知県名古屋市東区東桜に本社を置く中波放送(AM放送)局、東海ラジオ放送の『ミッドナイト東海』でDJデビューを果たし、以後、東京都千代田区有楽町に本社を置く中波放送(AM放送)局、ニッポン放送をキー局として、日本全国で放送されているラジオの深夜放送『オールナイトニッポン』等、各地でレギュラー番組を獲得した。1993(平成5)年10月から、CBCラジオで平日の朝(9:00から11:55まで)に放送している『つボイノリオの聞けば聞くほど』のパーソナリティを務め、名古屋の朝のラジオの顔として活動中である。ラジオ番組では、世界情勢・経済問題・今後の政局等についても言及する一方で、鍼灸師の資格取得や、バイクの大型免許取得等、幅広い趣味を持っている。

花の日/子どもの日。
6月第2日曜日。1856(安政3)年、アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州のチャールズ・レオナルド牧師が、少年少女を信仰に導く為の宗教教育を強調する日として、6月の第2日曜日に特別の礼拝を行なったことが起源とされている。1年中で最も花の豊富なこの季節に、神の恵みの顕れとして、最も鮮明な印象を子ども達に与える美しい花を通して、神を讃美し、神に感謝することを教える為に教会に花を飾る。
旧友の日。
6月第2日曜日。東京都千代田区神田小川町に所在する、スポーツチームマネジメントツール「TeamHub」の開発・運営、スポーツメディア「AZrena」の運営等、スポーツに関するさまざまなサービスを提供する企業、株式会社Link Sportsが制定。卒業を経てバラバラになってしまった旧友同士が、スポーツをすることで、仲間や友達と繋がるきっかけの日としてもらうことが目的。日付は、「無二(62)の友達だったのに、ロクに(62)合わなくなるなんて悲しすぎる!」との思いを語呂合わせにして、旧友が集まり易い6月の第2日曜日に。 
星座忌、武郎忌。
作家・評論家、有島武郎の1923(大正12)年の忌日。「星座忌」という名称は、晩年の長編小説で、未完に終わった作品『星座』に由来する。また、「武郎忌」とも呼ばれる。北海道虻田郡ニセコ町字有島に所在する文学館で、有島武郎生誕百年を記念して、ニセコ町により建設された有島記念館では、この日を記念して「星座忌コンサート」等が開催される。有島武郎は、農学者を志して札幌農学校(現在の北海道大学の前身)に進学し、キリスト教の洗礼を受ける。1903(明治36)年に渡米。社会主義に傾倒し、西欧文学や西洋哲学の影響を受ける。1907(明治40)年に帰国したが、この頃、信仰への疑問を持ち、キリスト教から離れる。文芸雑誌『白樺』に参加し、自由主義の空気を背景に、人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義を基調とする文芸思潮、白樺派の中心人物の1人として、小説や評論で活躍した。