6月9日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ロックの日、ロックデー。
6月9日の「6」と「9」を、「ロ(6)ック(9)」と読む語呂合わせから、ロックンロールを愛する人達によって制定された。横浜市都筑区中川中央に本社を置き、音楽関係のスポットで配布されるフリー・マガジン「DiGiRECO(デジレコ)」を発行する等、オンライン・ビジネスや無料雑誌の出版、ライブイベントの主催等を手掛ける企業、株式会社ミュージックネットワークも、この日を「ロックの日」としている。なお、1935(昭和10)年に「キング・オブ・ロックンロール」や「キング」と称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されているアメリカのミュージシャン・歌手・俳優のエルヴィス・プレスリーが、1947(昭和22)年にイギリスを代表するマルチ・ミュージシャンであり、俳優としても長いキャリアを持つシンガーソングライター・レコードプロデューサーのデビット・ボウイが生まれた日である1月8日も、「ロックの日」とされている。ロックンロールは、1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称である。語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで、「性交」及び「交合」の意味であり、1950年代初めには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。これを一般的に広め、定着させたのは、アメリカのラジオディスクジョッキー(DJ)、アラン・フリードであった。因みに、アラン・フリードは死後の1986(昭和61)年に、演奏者ではない人物として初めて「ロックの殿堂」入りを果たした。ロックが音楽シーンの中に定着した現在では、ロック草創期を彩る人物の1人として頻繁に紹介され、また広く認知されている。1960年代後半には「ロック」という呼び方が一般化し、「ロックンロール」と呼ぶことは少なくなった。一方で、「ロックンロール」と「ロック」は、別の物として使われることもある。1960年代後半、ロックンロールが進化してその枠を壊し、新たなサウンドが生まれ、それらのサウンドの総称として「ロック」という言葉が使われている。ロックンロールの音楽的特徴としては、リズム・アンド・ブルース(スイング感のあるリズムとビート[リズム感]に乗りながら、叫ぶように歌うのが特徴の音楽)のほぼ均等なエイト・ビート(4分の4拍子で8分音符を基本単位としたビート)や、ブルース・ジャズのシャッフル/スイングしたビート、ブルースのコード進行や音階(スケール)を応用した楽曲構成を挙げることができる。それらを基に、カントリー・アンド・ウェスタン(アメリカ合衆国南部、ジョージア州アトランタで発祥した音楽のジャンルであるカントリー・ミュージックや、アメリカ合衆国南西部で発祥した音楽のジャンルであるウエスタン・ミュージック)を体得した白人ミュージシャンが、双方のスタイルを混じり合わせた音楽であるとされる。楽器編成としては、エレクトリックギター、エレクトリックベース、ドラムスという構成が代表的であるが、エレクトリックギターの代わりにアコースティック・ギターを使う例、ピアノを主体にする例、エレクトリックベースの代わりにアコースティック・ベースを使う例、ドラムスを使わない例、サックスやオルガンを加える例等、多彩である。楽器編成の多彩さは、ロックンロールという音楽が、様々な音楽スタイルをそのルーツとしていることを示す、とも言える。なお、白人ミュージシャンによるロックンロールの中でも、特に、カントリー・アンド・ウェスタンの要素が強いものをロカビリーと呼ぶ。実際には、1950年代のロックンロールの内、白人の演奏したものの大部分がロカビリーである為、「ロカビリー」と「1950年代のロックンロール」がほぼ同義語として使われることも多い。1958(昭和33)年頃から白人中産階級により、黒人音楽をルーツに持つロックンロールが、一般向けのラジオ放送で演奏されることを嫌悪したロックンロール追放運動が起こり、一方で、保守的な黒人キリスト教徒からも、神聖であるべきゴスペル(キリスト教プロテスタント系の宗教音楽)が教会から持出され、商業的に味付けされることへの反発が起き、不買、不売、焚盤等、一種迫害にも近い「ロックンロール狩り」が全米各地で発生する。同時に、音楽産業の変化に伴なう「ロックンロール産業」の商業化と合わせ、主要ミュージシャンが徴兵・死亡・懲役等で次々とシーンを去ったことから、アメリカでのロックンロールは次第にその勢いを失い、残った主なミュージシャンも、ヨーロッパにその活動の舞台を移してゆく。一方のイギリスでは、これらのロックンロールやリズム・アンド・ブルース等に影響を受けたミュージシャンが登場し始め、ロックンロール/ロックの主要な舞台はイギリスに移り、アメリカを始めとして各国でも高いセールスを記録し、ギネス世界記録(世界一の記録を「ガイドライン」と呼ばれる基準に従って認定するもの)に最も成功したグループアーティストと認定されている『ザ・ビートルズ』や、ロック草創期の1960年代前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく第一線で創作を続ける、ロックの代名詞的な存在である『ザ・ローリング・ストーンズ』等に受継がれていくこととなる。『ザ・ビートルズ』は、1962(昭和37)年10月にレコードデビュー、1970(昭和45)年4月に事実上解散しているが、活動期間内に母国イギリスで12作のオリジナル・アルバムを発売し、その内11作が全英アルバムチャートで週間1位を獲得した。『ザ・ローリング・ストーンズ』の初期のレパートリーでは、リズム・アンド・ブルースとブルースのカヴァーが多くを占めていたが、その中にはいつもロックンロールが含まれていた。「ロケンロール(Rock’n Roll)」の口癖で知られるミュージシャン・俳優の内田裕也は、1959(昭和34)年に、日本劇場を運営する東宝(映画・演劇の製作配給・興行等の事業運営会社)が開催していた音楽フェスティバルで、ロカビリーブームの火付け役となった、日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビューし、それ以降、内田裕也とザ・フラワーズのヴォーカリスト、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動等を経て、1970年代後半からは俳優としても活動し、映画出演や映画監督等も手掛ける。ロカビリーは、1950年代に誕生した音楽で、RAB等と略記する場合もある。当時はロッカビリー(Rock-A-Billy)と呼ばれ、バップ(黒人ブルースマン等が、床を'TAP'するより強く'BOP'した個人ダンス)やジャイヴ(スウィング・ジャズに合わせて踊るダンス)、ジルバ(社交ダンスの一種)を踊った。同時期にアメリカで流行したこのロカビリーやロックンロール、ティーンポップ(ティーン向けのポピュラー音楽)という一連の音楽を日本に輸入する際、一緒にされてしまったことから、日本では、ロックンロールとロカビリーの違いが曖昧になっている。 
無垢の日。 
長野県松本市大字笹賀に本社を置く、オリジナル建材の製造販売、木材・建材の輸入等を手掛ける企業、プレイリーホームズ株式会社が制定。自然素材志向、資源の有効活用、住宅の耐久性の向上等の市場ニーズに応えるために、無垢の木材の利用促進を図ることが目的。日付は、6月9日の「6」と「9」で、「無垢(む[6]く[9])」と読む語呂合わせから。無垢という言葉は、本来、「清純でけがれていないこと」「うぶなこと」を意味する。そこから、「まじりけのないもの」「そのままのもの」という意味もある。無垢材とは、合板や集成材ではなく、一本の原木(丸太)から必要な寸法の分だけ切出した木材のことを意味する。割れやひび等が入り易いが、天然木が持つ本来の質感・風合いの魅力があり、化学物質を含まない自然素材である。また、湿気の多い日は水分を吸収し、乾燥している日は水分を放出するため、室内の湿度を調整する働きもある。 
胸キュンの日。 
2006(平成18)年7月15日から公開された、長編映画『ラブ☆コン』(藤澤恵麻・小池徹平主演)の中で描かれている、若い男女のときめきを表現した言葉「胸キュン」を広めたいと、映画を制作した松竹株式会社が制定。日付は、6月9日の「6」と「9」で、「胸(むね[6])キュ(9)ン」と読む語呂合わせから。東京都中央区築地に本社を置き、映画、演劇の制作、興行、配給を手掛ける企業、松竹株式会社は、多くの歌舞伎俳優と専属契約を結んでおり、歌舞伎の制作、並びに興行をほぼ独占している。『ラブ☆コン』は、大阪府出身の漫画家、中原アヤの代表作で、実写映画化・小説化され、日本国外にも展開されて、大ヒットとなった。中原アヤの出身地、大阪を舞台としており、漫才風の泉州弁(大阪府南西部の泉州地域[和泉国]で話されている地方方言)会話が繰広げられている。また、中原アヤは、洋服を描くのが好きで、『ラブ☆コン』を始め、私服の高校が舞台となることが多い。作中で描かれる洋服の合わせ方やヘアースタイルは、主人公と同年代の読者から「お手本」とも言われている。