6月9日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2日曜日 旧暦  5月 4日、友引(甲辰)、月齢  2.6
グレゴリオ暦で年始から161日目、年末まであと205日。
誕生花 スイートピー。

ユッカヌヒー。
旧暦の五月四日。1年の豊漁と航海の安全を願う爬龍船競漕(ハーリー)が沖縄の各地で行なわれる。ユッカヌヒーとは、沖縄の言葉で「四日の日(よっかのひ)」の意味である。この日は各地でハーリー(ハーレー、爬竜)が行なわれる。ハーリー(ハーレー、爬竜)は、舳先に竜頭、艫に竜美尾の装飾が付けられている爬竜船の競漕とその祭りで、爬竜船を漕ぎ、競い合うことで航海の安全や豊漁を祈願する。また、本土の端午(季節の節目を祝う日本の伝統的な式日である五節句の中の1つ、5月5日の節句)に相当する。旧暦五月四日当日か、その前後の休日に行なわれている。また、ユッカヌヒーには、子どもの成長を願って、ぽーぽー(小麦粉を適量の水で溶き、フライパン等の平たい鍋で焼き、油味噌やソースを薄く塗ってくるくる巻いた沖縄料理)やちんびん(煎餅、小麦粉を水で溶いて、鉄板で薄く焼いて、黒糖を溶かした物を芯にして巻いた菓子)、あまがし(大麦と緑豆、黒砂糖を用いた粥状の食品)等が作られていた。現在では、ぽーぽーは、地元の居酒屋のメニューに登場し、ちんびん(煎餅)は、普通の菓子として沖縄で親しまれている。
皇太子殿下(現在の第126代天皇、今上天皇[天皇徳仁])結婚の儀。
第125代天皇、天皇明仁(現在の上皇明仁)の第一皇子皇太子である徳仁親王殿下結婚の儀のため、1993(平成5)年の6月9日は休日となった。1989(昭和64)年に父である明仁親王(第125代天皇、天皇明仁、現在の上皇明仁)の皇位継承に伴ない皇太子となり、1991(平成3)年には立太子の礼(皇太子を正式に定めること)が執り行なわれた。皇太子となって以降、国会・政府の用いる正式表記では、皇太子を冠し「皇太子徳仁親王」とされる。1993(平成5)年1月19日、皇室会議(皇室に関する重要な事項を合議する国の機関)において、皇太子徳仁親王(当時33歳)の婚姻の相手に小和田雅子(当時29歳)を内定。同年6月9日に結婚の儀が執り行なわれた。皇太子徳仁親王の妃である皇太子徳仁親王妃雅子、小和田雅子は、外務省官僚小和田恆の長女で、父の仕事の関係により、1歳数ヶ月からソビエト連邦やスイス連邦で過ごしている。アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるアメリカ合衆国最古の高等教育機関、ハーバード大学を卒業後、帰国後には東京大学法学部に外部学士入学する。そして、東京大学を中退し外務省に入省。語学力を生かして幅広く活躍した。小和田雅子は、1986(昭和61)年に来日したスペインのエレナ王女の歓迎レセプションに出席した、皇太子徳仁親王と知り合う。同年12月、東宮御所で催された内輪の茶会(年越し会)に一家で招かれる。1987(昭和62)年4月上旬、日英協会のパーティーで徳仁親王と再会し、さらに1992(平成4)年8月16日には、5年振りに再会する。同年12月12日には、皇太子徳仁親王からの求婚を受諾している。「結婚の儀」のテレビ中継の最高視聴率は、77.9%を記録した。成婚パレードには、沿道に約19万の市民が集まり、テレビ中継の最高視聴率は79.2%を記録している。婚約内定から明るいニュースとして注目を集め、婚約会見当日には、街頭の電光掲示板に正式決定の速報、デパートに祝福の垂れ幕が掲示される等した。婚約当時の不況(日本経済が安定成長期終焉後である1991[平成3]年3月から約20年以上に亘り低迷した期間、「失われた20年」)の暗いムードを吹飛ばすニュースとして、日本社会はお祝いのムードに沸き、新聞では号外が発行された。皇位継承順位第1位で、第126代天皇となることが確定していた皇太子徳仁親王は、第125代天皇、上皇明仁が2019年(平成31)年4月30日に退位することから、翌日となる2019(令和元)年5月1日に、第126代天皇として即位した。2019(平成31)年4月1日、内閣官房長官菅義偉が、記者会見で新元号「令和」を発表した。この改元の手続きや新元号の発表は、平成改元時を踏襲したものとなった。2019(令和元)年5月1日には、天皇が譲位・崩御の後、皇位継承者(皇嗣)が践祚の際に皇位継承の証として剣と璽を受継ぎ、新天皇となる儀式、剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)が行なわれた。この儀は、新天皇を国民や外国に公にする為の即位礼正殿の儀(即位礼)とは違い、天皇譲位・崩御の直後に行なわれる。なお、天皇が、その地位と職務を全て皇位継承者に譲る譲位は、第119代天皇、光格天皇以来約200年振りとなる。2019(令和元)年10月22日、即位した新天皇が、日本国の内外に即位を宣明する儀式で、各国の国家元首や首脳が参列する即位礼正殿の儀(即位礼)は、10月22日に行なわれた。
ドナルドダックの誕生日。
1934(昭和9)年6月9日、ウォルト・ディズニー・プロダクション(現在のウォルト・ディズニー・カンパニー、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州に本社を置くエンターテインメント会社で、世界有数のメディア・エンターテインメント系総合企業体となっている)によって製作された短編アニメ映画作品シリーズ、シリー・シンフォニーの第45作である『かしこいメンドリ』で、ドナルドダックが初登場した。『かしこいメンドリ』は、イギリスに伝わるおとぎ話『ちいさなあかいめんどり』を原作としている。『かしこいメンドリ』に登場する怠け者のネコとイヌとネズミを、ディズニー独自のキャラクターに置換え、この教訓とも言うべき話をコミカルに表現している。また、現在ウォルト・ディズニーの顔としてよく知られたキャラクターである、ドナルドダックのスクリーンデビュー(初登場)作品でもある。この映画の公開日である1934(昭和9)年6月9日は、公式にドナルドダックの誕生日とされ、千葉県浦安市舞浜に所在する「ディズニー・テーマパーク」、東京ディズニーランド(TDL)では、毎年この日に、ドナルドダックに因んだイベントが行なわれている。ドナルド・フォントルロイ・ダック、通称ドナルドダックは、アヒルをモチーフにしたディズニーアニメのキャラクターである。恋人にデイジーダック、伯父にスクルージ・マクダックとルードヴィヒ・フォン・ドレイク教授、甥っ子にヒューイ・デューイ・ルーイがおり、彼らを総称してをダックファミリーと呼ぶ。1930年代から1950年代にかけてディズニーの短編映画の多くの作品で主人公を務めた。『かしこいメンドリ』で初登場しているが、この作品では脇役としての登場であった。セーラー服を着た好戦的なアヒルで、当初はミッキーマウスの脇役となっていたが、その独特なキャラクターから支持を集めた。同年には、短編映画であるミッキーマウスの短編映画シリーズの『ミッキーの芝居見物』で、アメリカ文化のシンボル的キャラクターでもあるミッキーマウスと初競演を果たし、同シリーズ『ミッキーと犬泥棒』では早くも、ヤマネコをモチーフにしたディズニー最古のキャラクターの1人で、ミッキーマウスのライバル、ピートと戦う役どころを演じている。それ以降、ドナルドダックの短編映画シリーズの製作が始まる等、出演作品は170本以上を数え、ミッキーマウスの出演作品数を上回っている。ドナルドダックの主演作品の中では、短編アニメ映画『総統の顔』が1943(昭和18)年のアカデミー賞で短編アニメ賞を受賞した。 
ロックウールの日。
東京都台東区柳橋に事務局を置く、ロックウール製品の製造、販売、施工業者による業界団体、ロックウール工業会が、1992(平成4)年に、省エネで注目を浴びている建築材料「ロックウール」のPRのため制定。日付は、6月9日の「6」と「9」で、「ロ(6)ック(9)ウール」と読む語呂合わせから。「ロックウール(岩綿)」とは、玄武岩(急激にマグマが冷えて固まった岩石である火山岩の一種)や鉄炉スラグ(金属の精錬の際に生じる、いわゆるクズ)等に石灰等を混合し、高温で溶解し生成される人造鉱物繊維である。建築物等の断熱材や培地として広く用いられる他、吸音材としても用いられている。耐火性にも優れていることから、人体や環境への有害性が問題になったアスベスト(石綿とも呼ばれる、天然に鉱山で採掘され、ケイ酸塩を主成分とする繊維状の鉱物)の代替材として広く使われるようになった。