6月6日 記念日 その9 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

六連の日。
山口県下関市の南端にある陸繋島(主陸地と陸続きと化した過去の島)、彦島の北西約5kmの響灘にあり、花卉(かき)栽培が盛んで「花の島」として知られる、人口約90人の六連島(むつれじま)の六連島自治会が制定。日本最古の洋式灯台の1つに数えられ、国の重要文化財に指定されている「六連島灯台」等の名所旧跡も多い六連島。少子高齢化が進む離島の六連島の活性化を目指して、島民にとっても下関市民にとっても、シンボリックな日にとの願いが込められている。日付は、六連島の名前に因み、「六が連なる」で6月6日としたもの。六連島は、溶岩台地で水はけが良く、気候も温暖なことから、野菜の他、草花のハウス栽培が盛んであり、花卉(かき)運搬船で山口県下関市や福岡県北九州市の市場に出荷されている。また、六連島は、瓶詰めウニの発祥の地として知られる。2022(令和4)年6月12日(6+6)には、「六連の日」の認定を記念して交流イベントが実施され、カレーや新鮮な六連の幸が振舞われたり、六連オニオンの収穫が行なわれたりした。六連島の名の謂れには、周囲に馬島・金崎島・片島・和合良島等、大小6つの島が連なっているためという説や、6人の入植者がこの島の土地を分けるために縄で島を6等分した、という説等がある。
麻婆豆腐の素の日。
東京都杉並区松庵に本社を置く、ふりかけ、麻婆豆腐の素、釜飯の素、お茶漬け、レトルトカレー等の加工食品の製造、販売を手掛ける企業、丸美屋食品工業株式会社が制定。丸美屋食品工業株式会社は、1971(昭和46)年6月6日に「麻婆豆腐の素」を発売した。当時は、日本であまり知られていなかった麻婆豆腐というメニューを、家庭で手軽に作れる素として開発し、広く浸透させた。記念日を通じて、より多くの人に麻婆豆腐を食べるきっかけとしてもらうと共に、麻婆豆腐が、さらに発展することへの願いが込められている。日付は、「麻婆豆腐の素」の発売日であり、数字の「6」の形が、麻婆豆腐を食べる際に使われるレンゲをイメージさせること。そして、「6+6=12(とうふ[10、2])」であること等から宮城県気仙沼市笹が陣に。ふりかけの最大手企業、丸美屋食品工業株式会社は、総合食品メーカーとしても、麻婆豆腐の素を他社に先駆けて製品化し、数多くのレトルトの中華料理用具材入り合わせ調味料やレンジ調理食品、釜めしの素、お茶漬けの素等を発売している。四川料理は、狭義には、中国西南部に位置する四川省の郷土料理のことである。広義には、その周辺地域を含めた、共通する特徴をもつ郷土料理のことを指す。四川料理は、一般には唐辛子や花椒等の香辛料を効かせる、辛い中華料理として知られる。麻婆豆腐は、四川料理の1つで、挽肉と赤唐辛子、花椒(ホアジャオ、日本原産のサンショウ[山椒]とは同属異種に当たる)、豆板醤(トウバンジャン、ソラマメと唐辛子を主原料に作る中国発祥の発酵調味料)、豆豉(大豆、又は黒豆[黒大豆]に塩を加えて発酵させ、水分を減らした食品)等を炒め、鶏がらスープを入れ、豆腐を煮た料理で、唐辛子の辛さである「辣味」(ラーウェイ)と、花椒の痺れるような辛さである「麻味」(マーウェイ)を特徴とする。四川省では、花椒は粒で入れる他、仕上げにも粉に挽いたものを、表面が黒くなる程大量に振り掛ける。日本の場合、従来は辛みを抑えるためや、材料を入手することが難しかった等の理由から、花椒を抜いたり、舌が痺れる程の花椒を振入れる店は殆ど存在しなかったが、近年の激辛ブームやグルメブームにより、本場四川省とほぼ同じレシピで作る店も登場している。また、本場風の味付けと、日本で一般的な味付けの両方から選択できる店もある。「麻婆」(マーポー)とは、顔にあばた(天然痘[非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる感染症の1つ]が治った後にできる顔面のくぼみ)のあるおかみさんの意で、この料理を初めて作ったとされる、陳劉氏があばた面であったことに由来する。19世紀の後半、四川省の省都、成都の北郊外の万福橋で、料理店「陳興盛飯舗」を営む陳森富の妻、陳劉氏が材料の乏しい中、有り合わせの材料で来客(労働者)向けに作った。陳劉氏の顔にはあばた(麻点)があったため、「陳麻婆」と呼ばれており、陳劉氏が作る名物の豆腐料理も「陳麻婆豆腐」と呼ばれた。後に、店の名前も「陳麻婆豆腐店」と呼ばれるようになり、この陳麻婆豆腐店は、中華人民共和国成立後に成都市飲食公司所有の国営企業となり、商標となってからは、国の許可を得た民間の店舗も成都に存在する。
電動アシスト自転車「ViVi」の日。
大阪府柏原市片山町に本社を置く、パナソニックグループ(大手電機メーカー、パナソニック株式会社を中核とする企業グループ)の自転車メーカー、パナソニック サイクルテック株式会社が制定。電動アシスト自転車を長く安全に利用するためには、定期的な点検とメンテナンスが必要であるが、長く使用しているとその意識が薄れ、異音等の症状が出るまで使い続けるケースが多い。記念日を通して、電動アシスト自転車の点検やメンテナンスの大切さを知り、愛車と向き合う日にしてもらうことが目的。日付は、自社の電動アシスト自転車「ViVi(ビビ)」が、ローマ数字の「Ⅵ(6)Ⅵ(6)」を想い起こさせることから6月6日に。総合電機、電気器具メーカーのパナソニック株式会社を創業した、「経営の神様」とも呼ばれる松下幸之助は、自転車店の丁稚奉公から職業経験を始めているため、自転車に思い入れがあり、自転車本体、自転車用ライト、自転車用タイヤ等に参入している。1952(昭和27)年にナショナル自転車工業株式会社として設立され、2006(平成18)年、現在の社名に改称されたパナソニック サイクルテック株式会社は、自転車本体を担当する。実用車から婦人用、子ども用、電動アシスト、折畳み、スポーツ車(マウンテンバイク[MTB]、ロード)、トラックレーサー等、多岐に亘り、かつては少年用スポーツサイクルも手掛けていた。フレーム(自転車の車体部で、前後の車輪を連結させ、乗り手の体重を支える役割を担う部分)メーカーとしては老舗の1つで、大手電機メーカーを親会社にもつことから、電動アシスト自転車(陽のあたる坂道、ViViシリーズ)も得意としている。また、折畳み自転車についても高い技術を持つ。
娘婿を励ます日。
大阪市都島区中野町に本拠を置き、ファミリービジネスの事業継承、組織の世代交代を賢く進めるために、コーチ型親父塾を主宰し「コーチ型親父のすすめ」を提唱する、中小企業専門のビジネス・コーチを行なう企業、株式会社トップコーチングスタジアムが制定。日付は、6月6日を「ム(6)スメ、ム(6)コ」と読む語呂合わせから。株式会社トップコーチングスタジアムは「娘婿を励ます会」を主宰し、娘婿の立場から事業承継を考えている人が集う場の提供、事業を引継ぐための勉強会等を開催している。記念日を通して、娘婿の存在価値を最大限引上げ、ファミリービジネスの永続的発展に寄与する、人間味溢れる経営者を輩出することが目的。株式会社トップコーチングスタジアムは、2008(平成20)年に創業した会社で、クライアントが見付けた目標を最短距離で達成できるようサポートし、コーチングで世の中を明るくし、社会貢献していくことを経営理念とする。コーチングの対象は、事業承継を考えている会社の幹部やベンチャー経営者、更に上を目指しいこうとチャレンジしている人、コンサルタントを付けたが成果が上がらず、うまく活用できていない人、自分の長所・短所、可能性を再検討したい、改善したい人等。コーチングのテーマは、親と子のコミュニケーションやリーダーシップ、ビジョンメイキング、ミッションメイキング、モチベーションアップ、企業ブランド価値作り等となっている。

アペリティフの日。
6月第1木曜日。フランス農務省が2004(平成16)年から提唱している日。日本では、フランス食品振興会が、食事の前にワイン等を飲みながらゆったりと寛ぐアペリティフの習慣を広めようと制定。「ハッピーアペリティフ」をキャッチフレーズに、さまざまなイベントを行なっている。日本でも、2004(平成16)年からフランス農務省とフランス食品振興会の共催により、東京・横浜・京都・福岡等の都市で、この日を中心にイベントを開催している。合言葉は「アペしない?」。日付は、黄昏時、戸外での楽しみが増えることから6月。その最初の週末の始まりの第1木曜日とした。アペリティフはフランス語で、食前酒のことである。18世紀の後半から19世紀頃に始まったもので、食欲を増進させたり、出席者の会話を弾ませるきっかけに飲む酒をいう。飲む場の性格からして、その後の食事の邪魔にならぬよう、少量の酒を1杯から2杯程度飲む。日本では、白ワイン等をベースにした軽いカクテルが用いられることが多く、アルコール度数が高いものは用いられることはない。
唐招提寺開山忌。
唐の高僧で、日本に渡って日本律宗を開いた鑑真の忌日、763(天平宝字7)年5月6日に因み、その月遅れの月日、6月6日を中心に行なわれている。中国唐朝の高僧で、日本に渡って日本律宗(戒律[仏教において守らなければならない道徳規範や規則]の研究と実践を行なう仏教の一宗派)を開いた鑑真の763(天平宝字7)年の忌日、5月6日は「鑑真忌」とされている。鑑真は、日本の学問僧の要請に応じ、5回の渡航失敗と失明にも係わらず、6回目の渡航で来日に成功する。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝えた。また、悲田院(仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設)を作り、貧民救済にも積極的に取組んだ。因みに、砂糖は、日本には奈良時代に、鑑真によって伝えられたとされている。鑑真は、現在の奈良市五条町にある寺院、唐招提寺を創建し、その唐招提寺で死去した。死去を惜しんだ弟子の忍基は、鑑真の彫像を造り、現代まで唐招提寺に伝わっている。