6月5日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

落語の日。
1960年代に「落語若手四天王」と呼ばれた五代春風亭柳朝の弟子、春風亭正朝が「落語(らくご)」を、6月5日の「6」と「5」で、「65→ろくご→らくご」と語呂合せして提唱。東京都新宿区新宿にある劇場『紀伊國屋ホール』(日本全国に店舗をもつ有力チェーン書店、紀伊國屋書店の本店4階)で「落語の日」制定イベントも行なわれたが、この企画は周囲の反対等から立消えとなる。1964(昭和39)年に開場した客席数418席の『紀伊國屋ホール』は、開場当時から今日まで、舞台俳優を志した者なら一度は立ってみたい劇場として名の挙がる劇場で、小劇場演劇のメッカであるが、月に1回「紀伊國屋寄席」も行なわれる。落語は、江戸時代の日本で成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種である。最後に「落ち(笑い話等、物語の結末のことで、サゲとも言う)」が付くことを1つの特徴としてきた経緯があり、「落としばなし」を略して「はなし」ともいう。「はなし」は、「話」又は「噺」とも表記する。都市に人口が集積することによって、市民・大衆のための芸能として成立した。成立当時は様々な人が演じたが、現在ではそれを職業とする落語家によって演じられることが多い。能楽や歌舞伎等、他の芸能と異なり、衣装や道具、音曲に頼ることは比較的少なく、1人で何役も演じ、語りの他は身振り・手振りのみで物語を進め、また、扇子や手拭を使って、あらゆるものを表現する独特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能である。本来「落語」とは、落語家が行なう演目(ネタ)の中でも滑稽を中心とし、落ち(サゲ)を持つ「落とし噺」のことを指したが、現在では、人情噺・芝居噺・怪談噺をも含めた総称として用いられる。なお、「落語」という呼称の定着は、明治時代に入ってからのことである。落語は、凝った衣装や大掛かりな舞台装置をなるべく使用せず、演じ手の技巧と聴衆の想像力で物語の世界が広がっていくという、極めてシンプルで、また、庶民にとっては身近な芸能として発展してきた。落語の演じられる場所は、「寄席」と呼ばれる常設館や一般のホールで演じられることが多いが、近年では、店舗等での若手による小さなライブもある。落語家の舞台のことを「高座(こうざ)」と呼ぶ。近世都市を中心に発展してきた落語には、大きく江戸落語と上方落語の流れがあり、両者には、演目の内容や落ち(サゲ)、小道具、さらに、慣習等に違いがある。同名の演目でも、舞台となる地名を変えたり、落ち(サゲ)が同じでも、途中の演出を変えたりする場合がある。上方落語だけに使われる道具として「見台」「小拍子」「膝隠」がある。「見台」とは、演者が前に置く小型の机で、「小拍子」とは小さな拍子木、「膝隠し」は低い衝立である。小拍子で見台を打鳴らすことによって、場面転換を行なったりする。また、上方落語独特の演出方法に「はめもの」があり、これは、噺の途中に入れる一種の効果音である。江戸・上方相互の交流は古くから盛んであった半面、地域性もまた、現在に至るまで根強く残っている。幕末から明治時代にかけて活躍した初代三遊亭圓朝は、歴史的な名人として知られ、初代三遊亭圓朝の高座を書き記した速記本は、当時の文学、特に言文一致の文章の成立に大きな影響を与えた。1903(明治36)年には、初めて落語がレコード録音された。速記本とレコード落語の流布は、気軽に寄席に通えない人々が、気軽に落語を楽しむことを可能にした。上方(大阪)では、大正時代から昭和時代にかけて初代桂春團治らが活躍したが、昭和期に入ると漫才に押されて一時衰退する。第二次世界大戦の戦中戦後、五代笑福亭松鶴や四代桂米團治ら、いわゆる「楽語荘」によって辛うじて命脈が保たれた後、1957(昭和32)年に上方落語協会が設立され、今日の隆盛に繋がっている。1925(大正14)年にはラジオ放送が始まり、落語がラジオから流れるようになり、第二次世界大戦後の1950年代には、ラジオで落語がブームとなった。また、大学のサークル活動としての落語研究会(通称「落研[おちけん]」)が生まれたのは、昭和20年代頃である。1953(昭和28)年、テレビ放送が始まった。1960年代には落語ブームが起こるが、これは、テレビ演芸ブームによってもたらされたものであった。中でも初代林家三平は、各種のテレビ番組で活躍し、「爆笑王」の異名でも知られるようになった。1966(昭和41)年には日本テレビ系で、今も続く人気演芸バラエティ番組『笑点』の放送が始まった。平成に入って、1993(平成5)年には初の「女真打」(真打とは、身分の中では最も高く、最高の力量を持つ者だけがなれるとされるもの)が誕生し、1995(平成7)年には、東京の五代柳家小さん、翌1996(平成8)年には上方の三代桂米朝が、それぞれ「人間国宝」(重要無形文化財の保持者として各個認定された人物を指す通称)に選ばれた。21世紀に入って、落語界には、マスメディアでも幅広く活躍していた春風亭小朝が発起人となった「六人の会」や、新作落語の隆盛を目指した話芸集団「創作話芸アソシエーション(SWA)」の結成という新たな展開が生まれ、一方では、人気俳優の長瀬智也と岡田准一が主人公を演じたテレビドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS系)や、心配性でマイナス思考のヒロインが、大阪で落語家を目指す姿を描いた日本放送協会(NHK)の連続テレビ小説『ちりとてちん』(視聴率こそ、大阪放送局制作の作品の中で、当時の最低記録となったが、DVDの売上げに関しては、一転して過去最高の売上げを記録している)等の影響によって新たな落語ファンが生まれた。『ちりとてちん』において、物語の大きなテーマとなるのは「伝統の継承」である。落語と塗箸(福井県小浜市で生産される漆器[木や紙等に漆を塗り重ねて作る工芸品]、若狭塗の箸で、箸と箸以外の用材と下地の違いや、「卵殻模様」「貝殻模様」「起こし模様」が独特の模様として特徴となっている)家業を題材に、主人公の父や祖父のような塗箸職人(塗箸は、福井県小浜市の名産品である)や、主人公が入門する落語家、徒然亭一門(架空の亭号)等、伝統を受継ぎ、それに従事する人々の姿が描かれる。「伝統の継承」に関連した、もう1つのテーマは「落語」で、主人公が落語家を目指すというものであり、劇中では、登場人物が実際に落語を披露するシーンがある(出演者の中には、本職の落語家もいる)。さらに、落語を元にした演出、有名な噺の解説、本編出演者による噺の再現ドラマ(劇中で噺の内容を解説する時に挿入される小芝居)等がふんだんに盛込まれており、落語通はもちろん、落語を全く知らない人でも楽しめるような作りになっている。なお、東京都内の4つの落語定席と『国立演芸場』が2000(平成12)年から、6月第1月曜日を「寄席の日」として、入場料の割引サービスや団扇を配布する等の活動を行なっている。東京都内の4つの落語定席とは、東京都台東区上野にある『鈴本演芸場』(座席数285)、東京都新宿区新宿にある『新宿末廣亭』(座席数313)、東京都台東区浅草の通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する『浅草演芸ホール』(座席数340)、東京都豊島区西池袋にある『池袋演芸場』(座席数93)で、『池袋演芸場』は、他の都内3件の落語寄席に比べ狭いが、どこに座っても演者の息遣いが分かる。落語が再現芸術でありながら、演劇や舞踏と一線を画して考えられるのは、演劇・舞踏といった芸能が通常、扮装を伴なって演技されるのに対して、落語においては扮装を排し、素のままで芸を見せるためである。即ち、落語では、噺家は登場人物や話の流れに相応しい身なりや格好を、モノ(衣装・小道具・大道具・書割・照明・効果音)で表現することはなく、主として言葉と仕草によって演出効果を狙う。そのために、落語の表現要素は、噺家の芸に結び付く基本的な要素(言葉、仕草)と、それを助けるために、その場に応じて何にでも変化できるような、ニュートラルな最低限のモノ(小道具、衣装)とに区分することができる。