6月3日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ムーミンの日(旧)。
2004(平成16)年までの記念日。6月3日の「6」と「3」を、「ムー(6)ミ(3)ン」と読む語呂合わせから、スウェーデン系フィンランド人の画家で作家、トーベ・ヤンソンの小説シリーズ『ムーミン』を愛するファンによって制定された。しかし、ムーミン誕生60周年の2005(平成17)年に、「全世界に通用する記念日を」との見解から、作者のトーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日がムーミンの日となる。フィンランドの著作権者も了承し、全世界共通で公式なムーミンの日となったため、6月3日であった日本のムーミンの日は廃止された。
ケロミンの日。
 神奈川県横浜市西区戸部本町に本社を置き、世界初のパペット電子楽器「ケロミン」を製造販売する企業、有限会社トゥロッシュが制定。日付は、6月3日の「6」と「3」を、「ケロ(6)ミ(3)ン」と読む語呂合わせから。 「ケロミン」はカエル型で、パペット(動かして楽しむために作られた人形)の口の開き加減で音の高さが変わる、全く新しいタイプの楽器である。初心者でも直観的に簡単に演奏できる一方、各種設定スイッチを操作することで、幅広い本格的な演奏もできる奥深い楽器である。音の高さの違いを体感できるので、音感教育(音楽の学習に必要な、リズム[周期的な繰返し]、メロディー[旋律]、ハーモニー[和声のことで、2つ以上の音の調和した響きを指す]等の感覚を養う教育)等にも活用できる。「ケロミン」の正式名称は「ケロミン・アマガエル」で、モデルは、日本、朝鮮半島、中国東部まで広く分布し、その姿や鳴き声がよく知られているカエル、ニホンアマガエルとなっている。カエルは水辺に住むものと思われ勝ちであるが、ニホンアマガエルは樹上での生活に適応していて、水辺の植物の上や森林等に生息する。春から秋まで活動し、冬は温度差の少ない地中で冬眠する。20世紀末以降、両生類全体が減少傾向にあるが、ニホンアマガエルは立体活動が巧みなこと、ある程度乾燥に強いことから、都市部等でも見掛けられることもあり、依然普通種であり続けている。「ケロミン」の外見上のコンセプトは、リアルさと可愛さの融合(リアル可愛い)で、ぬいぐるみだけでも十分に価値がある造形となっている。また、可愛い子どもの「コケロミン・アマガエル」等もいる。
6月3日はMousaの日。
女性アイドルグループ「AKB48」のメンバー4名(仲谷明香、中田ちさと、田名部生来、内田眞由美)が所属していた、東京度渋谷区恵比寿に本社を置く芸能プロダクション、株式会社Mousa(ムーサ)が、その社名に因んで制定。「6」と「3」で「ムーサ」と読む語呂合わせから、2010(平成22)年より、6月3日前後に「6月3日はMousaの日」のイベントを行なっている。2007(平成19)年に設立された株式会社Mousa(ムーサ)は、タレントのプロモーション業務、及び、歌手や演奏者等のコンサートの企画、制作、運営を行なっている。但し、2015(平成27)年までに、「AKB48」メンバー全てのマネージメントは終了している。なお、「AKB48」チームBのメンバーである田名部生来以外の3名は、「AKB48」を卒業しており、田名部生来も、2017(平成29)年に卒業し、「AKB48」メンバーとしての活動を終了した。株式会社Mousa(ムーサ)には、初の「AKB48」メンバー以外の所属タレントとなった、タレント・女優の小嶋乃愛、主に舞台で活動している女優の鈴木みのり等が在籍し、後に、女性アイドルグループ「SKE48」の元メンバーであるタレントの古川愛李、璃香子等が在籍した。2019(平成31)年3月、歌手や演奏者等のコンサートの企画、制作、運営等を行なっている企業、株式会社Themis(本社所在地は、東京都品川区東五反田)に吸収合併され、芸能部門としてのみ「Mousa」という名称が存続している状態である。それでも、2023(令和5)年6月1日には、「SKE48」の元メンバー、矢神久美のマネージメントを開始した。
ポンコツの日。
東京都世田谷北沢に所在する、ロックイベントやコンサートの企画・制作等を手掛ける企業、株式会社エイティーフィールドの代表、青木勉が制定。日付は、青木勉の誕生日、1966(昭和41)年6月3日から。数々の音楽イベントのプロデュースを手掛ける青木勉は、仕事もできるが、あまりにも多い誤字脱字等で、ポンコツプロデューサーとして「P青木」とも称されている。その愛されるポンコツ振りを記念すべく、自らの誕生日に開催する音楽イベント「P青木のひとり生誕祭」を、多くの人に楽しんでもらうことが目的。「令和元年ポンコツの日」として2019(令和元)年6月3日、自作自演の記念イベント「P青木ひとり生誕祭」が、東京都渋谷区道玄坂にあるライブハウス「TSUTAYA O-EAST」(前身は1991[平成3]年に「ON AIR」という名称で誕生し、東京に初めて誕生した大型ライブハウスで、現在は「TSUTAYA」[音楽・映像ソフトのレンタル店として日本最大手のチェーン店]のネーミングライツにより、2013[平成25]年以降からTSUTAYA O-EASTと呼ばれている)で開催された。「ポンコツ」は、古くは拳骨(げんこつ)で殴ることを意味する言葉である。その後、自動車の解体や壊れかかった自動車を、また、一般には、使い古したり壊れたりしたものを意味する言葉として使われるようになり、「ポンコツ車」等の使われ方がされる。「ポンコツ」の語源については、「拳骨」を聞き間違えたという説や、「ポンポンコツンコツン」と叩く音に由来する説等がある。1959(昭和34)年に連載を開始した阿川弘之(日本芸術院会員で文化勲章受章者の作家・評論家)の新聞小説『ぽんこつ』により、一般に広まったとされる。
Romiの日。
東京都渋谷区渋谷に本社を置く、さまざまなコミュニケーションサービスを提供するIT関連企業、株式会社ミクシィが制定。「Romi(ロミィ)」は、株式会社ミクシィが販売する自律型会話ロボットで、独自開発の人工知能によって最適な会話内容を作り出し、自然な言葉のキャッチボールができる。「Romi」を通じて、ロボットとコミュニケーションする楽しさ、コミュニケーションすることによる癒し、人間同士のコミュニケーションの活性化等の効果を広めることが目的。日付は、2020(令和2)年6月3日に「Romi」が初めて、200台限定で先行販売されたことと、6月3日の「6」と「3」で、「ロ(6)ミィ(3)」と読む語呂合わせ。そして、株式会社ミクシィの前身企業、有限会社イー・マーキュリーの設立日、1999(平成11)年6月3日から。有限会社イー・マーキュリーとして創業した株式会社ミクシィは、2000(平成12)年に株式会社へ改組され、2004(平成16)年には、上場企業の社長、作家、政治家、タレント、歌手等、有名人や関連スタッフ等も数多く利用している、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス、インターネット上の交流を通して社会的ネットワークを構築するサービス)サイト「mixi」の運営を開始した。その後の2006(平成18)年、株式会社ミクシィに商号を変更しているが、2022(令和4)年10月1日には、株式会社MIXIに商号を変更した。 
なんもしない日。
ただ、そばにいる存在を貸出す「レンタルなんもしない人」のTwitter(アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州サンフランシスコに本社を置くTwitter, Inc.のSNS[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]で、「ツイート」と呼ばれる280文字[韓国語、中国語、日本語は140文字]以内のメッセージや画像、動画、URL[インターネット上のホームページの場所を知らせる住所のようなもの]を投稿できる)のフォロワーが、本人の了承を得て制定。1年に1日くらいは社会的な責任から解放されたり、何者でもなくなる「なんもしない日」があってもいいな、との思いから生まれたもので、何かしたから評価されるのではなくて、なんもしないことに価値がある、と再認識できる日とすることが目的。日付は、「レンタルなんもしない人」が活動を開始した2018(平成30)年6月3日に由来する。この記念日は、「レンタルなんもしない人」の了解を得て、クラウドファンディング(不特定多数の人が通常、インターネット経由で、他の人々や組織に財源の提供や協力等を行なうことを指す、群衆[crowd]と資金調達[funding]を組合わせた造語)により、多くの人の賛同を集めて誕生した。「レンタルなんもしない人」は、ゲームの人数合わせ、花見の場所とり等、「ただ居るだけで(ごく簡単な受答え以外は)なんもしない」依頼をTwitterで募集している。人間のレンタル業は、これまでにも存在したが、「なんもしない」をサービスとしたことの新しさと、それを求める人々の依頼の多種多様さが話題を呼び、書籍化やテレビドラマ化等がされている。

寄席の日。
6月第1月曜日。東京都内の4つの落語定席と『国立演芸場』が、2000(平成12)年から実施している。江戸(現在の東京)での寄席の発祥が、1798(寛政10)年6月に、初代三笑亭可楽により、下谷稲荷社(東京都台東区東上野三丁目にある現在の下谷神社で、都内最古の稲荷神社[本来は穀物・農業の神であるが、現在は産業全般の神として信仰されている稲荷神を祀る神社]でもあり、「寄席発祥の地」の石碑が建てられている)境内で「風流浮世おとし噺」の看板を掲げた興行が行なわれたことが落語の始まり、とされることに因む。江戸時代後期に活躍した初代三笑亭可楽は、馬喰町(現在の東京都中央区日本橋馬喰町)生まれの櫛職人で、この時、山生亭花楽と名乗っていた。名前の由来は、「山椒は小粒でぴりりと辛い」から。三笑亭可楽の当代は9代目であるが、3代目・5代目・6代目が2人ずついたため、合わせて12名の落語家が名乗っている。なお、東京都内の4つの落語定席とは、東京都台東区上野にある『鈴本演芸場』(座席数285)、東京都新宿区新宿にある『新宿末廣亭』(座席数313)、東京都台東区浅草の通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する『浅草演芸ホール』(座席数340)、東京都豊島区西池袋にある『池袋演芸場』(座席数93)で、『池袋演芸場』は、他の都内3件の落語寄席に比べ狭いが、どこに座っても演者の息遣いが分かる。東京都千代田区隼町の『国立劇場』(日本の伝統芸能を上演する他、伝承者の養成や調査研究も行なっている)の一部として、1979(昭和54)年に開場した国立の演芸場『国立演芸場』の1階には演芸資料館、2階には舞台(全席300席)と売店がある。
視能訓練士の日。
6月第1月曜日。東京都千代田区鍛冶町に所在する公益社団法人、日本視能訓練士協会が制定。視能訓練士とは、小児の弱視や斜視の視能矯正、視機能の検査を行なう、国家資格を持つ専門技術職で、目の健康のためのスペシャリストである。記念日を通して、視能訓練士自身が専門職としての誇りを持ち、社会的には、視能矯正や眼保健衛生の重要性を広く知ってもらうことと、視能訓練士の知名度の向上が目的。日付は、公益社団法人日本視能訓練士協会が加盟している国際組織、国際視能矯正協会(IOA)が、6月の第1月曜日を「世界視能矯正の日(World Orthiptic Day)」と定めていることから。
紅緑忌。
作家・俳人、佐藤紅緑の1949(昭和24)年の忌日。作詞家で詩人のサトウハチロー、作家の佐藤愛子の父、佐藤紅緑の作風は、総じて複雑な社会を正義感を貫いて乗切る行動性で貫かれ、社会小説の先駆者とも言われる。また、本人の意に反して執筆することとなった「少年小説」の分野で、昭和初期に圧倒的な支持を受け、「少年小説の第一人者」として知られる。