5月31日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

-1279年 - ラムセス2世が、古代エジプト第19王朝のファラオ(古代エジプトの君主の称号)となる。
0679年 - 吉野の盟約(吉野の誓い)。第40代天皇、天武天皇と皇后の鸕野讚良皇女(後の第41代天皇、持統天皇)が、その間にもうけた草壁皇子を、次期天皇と宣言する。後に、天武天皇の皇子で草壁皇子の異母弟、大津皇子が、器量優れたライバルとして政治に参加することとなり、天武天皇の後継は曖昧なものとなってしまう。天武天皇が崩御した後、大津皇子は謀反の疑いを掛けられ、非業の最期を遂げたが、草壁皇子も間もなく夭折し、鸕野讚良皇女が、自ら正式に持統天皇として即位する。
1223年 - チンギス・カンの西征: カルカ河畔の戦い。モンゴル帝国(モンゴル高原の遊牧民を統合して作り上げられた遊牧国家[遊牧民が支配階層を形成して組織された国家]で、最盛期にはユーラシア大陸を横断する帝国を築く)軍がキプチャク(現在のウクライナからカザフスタンに広がる草原地帯に存在した遊牧民族)・ルーシ(現在のウクライナの首都キエフ[キーウ]を中心にした東ヨーロッパの国家)連合軍に勝利。
1578年 - フランスの首都パリのセーヌ川に架かる橋で、パリに現存する最古の橋『ポンヌフ』が起工される。『ポンヌフ』は、パリの中心部を流れるセーヌ川の中州、シテ島の先端を横切る2つの短い橋であるが、2つ合わせて1の橋と考えられている。シテ島の南側にアーチが5つ、北側にアーチが7つあり、全長は238m、幅は22mである。橋は当時一般的であった、小さなアーチを連続させる構造を持っている。当初から多くの交通で賑わい、長期に亘り、パリでは最も幅の広い橋であり続ける。橋は度々修理を受けてきたが、その基本的構造は建築当時のままである。
1604年 - 江戸幕府が京都・堺・長崎で糸割符制(江戸幕府が特定の商人集団[糸割符仲間]に、独占的輸入権と国内商人への独占的卸売権を与えていた制度)を導入。江戸時代初期、日本において最も重要な輸入品は、中国産の生糸(白糸)であったが、生糸の輸入に関し、外国商人が値段決定の主導権を有して利益を独占していたため、これを抑える必要が生じる。一方、外国商人側も、朝鮮出兵の失敗や関ヶ原の戦いの影響による日本の国内経済の混乱で、販売不振に悩まされており、糸割符仲間に輸入生糸の価格決定と一括購入を許し、それを個々の商人に分配させる。当初は3ヶ所であったが、後の1631年、江戸・大坂を加えて5ヶ所となる。一旦は廃止となったが、糸割符制は幕末まで続く。但し、日本国内における生糸の生産が増加し、輸入生糸の重要性(廃止後に再導入された新しい糸割符制度は、日本国内産生糸の保護と、生糸の輸入制限の意図を兼ね備えていた)が低下したことから、次第に有名無実化している。
1730年 - 江戸幕府が上米の制を停止し、参勤交代(各藩の藩主を、定期的に江戸に出仕させる制度で、将軍と藩主との主従関係を示すための軍事儀礼でもあり、この制度では、藩主は1年置きに江戸と自領を行き来しなければならず、江戸を離れる場合でも、正室と世継ぎは江戸に常住しなければならなかった)の期間を元の1年置きに戻す。上米の制は、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が享保の改革の際に出した制度である。大名に石高1万石に対して100石の米を納めさせる代わりに、参勤交代の際の江戸在府期間を半年(従来は1年)とするもので、幕府の増収に貢献したが、多くの問題が生じて停止となる。
1795年 - フランス革命: 革命裁判所(フランスの首都パリに設置されていた、反革命の陰謀を暴くための政治犯だけを裁く法廷)が廃止される。
1832年 - フランスの数学者で革命家のエヴァリスト・ガロアが、恋愛を巡る決闘で死亡する。
1859年 - イギリスの首都ロンドンの中心部、テムズ川河畔にあるウェストミンスター宮殿のビッグ・ベン(時計台)の大時計が動き始める。ロンドンを代表する景色として挙げられる、ウェストミンスター宮殿に併設されたビッグ・ベン(時計台)は、1834年にウェストミンスター宮殿の大半が焼失した後、ウェストミンスター宮殿再建の際に建設され、1859年5月31日に完成し、大時計も動き始めている。
1862年 - 南北戦争: セブンパインズの戦い。
1864年 - 南北戦争: コールドハーバーの戦い。
1866年 - フェニアン襲撃: ナイアガラ襲撃。
1902年 - 第二次ボーア戦争: イギリスの勝利に伴ない、フェリーニヒング条約が締結され、戦争が終結。トランスヴァール共和国・オレンジ自由国(共にアフリカ大陸南部に所在)がイギリス植民地となる。
1909年 - 両国国技館(初代)が完成する。設計は、日本銀行本店や東京駅丸の内口駅舎、浜寺公園駅(大阪府堺市西区浜寺公園町に所在する、南海電気鉄道南海本線の駅)駅舎等の設計者として知られ、設計の頑丈さから「辰野堅固」とも呼ばれた名建築家、辰野金吾と、その教え子である葛西萬司。枡席約1,000席を含む13,000名が収容可能で、建物の内径は62m、中央の高さは25m。初代国技館は「大鉄傘」の通称で知られるドーム型屋根の建物で、1917年に火災により全焼している。その後も幾度かの再建や改修を経つつも、1983年に解体されるまで「大鉄傘」の姿を堅持する。
1910年 - イギリス自治領として、南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)が成立する。
1911年 - 当時世界最大であったイギリスの豪華客船『タイタニック』の進水式。『タイタニック』は、処女航海中の翌1912年4月14日、北西大西洋上、カナダの東海岸に位置するニューファンドランド島沖で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没する。
1916年 - 第一次世界大戦: ユトランド沖海戦が始まる。6月1日まで。
1918年 - ロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者、セルゲイ・プロコフィエフがアメリカ合衆国への亡命途上、日本に上陸する。ロシア国内南部を東西に横断する世界一長い鉄道、シベリア鉄道に乗ってアメリカ合衆国へ向かったセルゲイ・プロコフィエフは、5月31日に敦賀港(福井県敦賀郡敦賀町[現在の福井県敦賀市]の敦賀湾に所在する港湾で、ロシア東南端に位置する日本海沿岸の港湾都市、ウラジオストクとの間に定期船が開かれていた)に上陸する。北アメリカに向かう船便を待つ間、セルゲイ・プロコフィエフは日本に滞在し、各地を訪問する。この際の、日本における音楽評論の草分けとして知られる評論家、大田黒元雄や、紀州徳川家の第16代当主で、楽譜や音楽文献、古楽器類の収集家として知られ、「音楽の殿様」と称された徳川頼貞等との交流により、日本の音楽界に少なからず影響を与えたと言われる。
1921年 - タルサ人種虐殺。アメリカ合衆国南中部、オクラホマ州タルサ市グリーンウッド地区で、白人暴徒が黒人住民を殺害し、黒人経営の商業施設を攻撃、破壊する。
1924年 - 中華民国(北京政府、北洋軍閥政府)外交部総長顧維鈞と、ソビエト連邦側代表レフ・カラハンが、中ソ解決懸案大綱協定を締結して国交を結び、ソビエト連邦がロシア帝国の権益を放棄する。
1933年 - 塘沽協定(日本軍と中国軍との間で締結された停戦協定)の締結によって、満州事変(日本と中華民国との間の武力紛争)が終結する。
1933年 - 現在の広島市南区に位置する宇品港で火薬運搬船(船名、トン数不詳)が爆発。船長夫妻が死亡、周囲の工場や民家500戸余りに被害が及ぶ。
1937年 - 林銑十郎内閣が総辞職。
1942年 - 第二次世界大戦: 特殊潜航艇によるシドニー港攻撃。日本海軍の潜水艦が搭載した特殊潜航艇3隻により、オーストラリア東南部、シドニー港に停泊中のオーストラリア海軍艦船等が攻撃され、オーストラリア海軍の宿泊艦が沈没し、オランダ海軍の潜水艦も損傷する。
1943年 - 大東亜共栄圏: 御前会議で「大東亜政略指導大綱」(日本が開戦し、東南アジア各地に占領地域を広げた後、これら占領地をどう取扱うかを定めたもの)を決定。
1945年 - 第二次世界大戦: 台北大空襲。日本統治下の台湾北部にある台北市に、アメリカ軍機が無差別爆撃を行なう。