5月30日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ごみゼロの日、環境美化の日。
各都道府県の環境美化推進協議会が実施。美化活動と共に、ごみの減量化と再資源化を促す啓発活動を実施するための記念日。1975(昭和50)年に愛知県豊橋市で、市民運動として「530(ごみゼロ)運動」が始まったことが契機となり、1985(昭和60年7月に、運動10周年を記念した全国大会が開かれた際、毎年5月30日を「530の日」とする宣言がされた。1982(昭和57)年、関東地方知事会関東地方環境対策推進本部空き缶等問題推進委員会が提唱した、関東地方環境美化運動の日(通称「ごみゼロの日」)でも、同じ5月30日を記念日とした。日付は、5月30日の「5」と「30」で、「ゴ(5)ミ(3)ゼロ(0)」の語呂合わせである。元々、関東地方環境美化運動の日(通称「ごみゼロの日」)は、関東地方統一美化キャンペーンとして実施されたものであったが、環境美化運動の一環として各地に広まり、199(平成5)年に厚生省(現在の厚生労働省の前身の1つ)が制定した、ごみ減量化推進週間の初日とされた。当初は、空き缶の持帰り、及び不法投棄防止の呼掛けと、一斉清掃の実施を呼掛けをしていたが、社会情勢の変化から、廃棄物の再生利用推進の啓発も併せて行なわれるようになった。空き缶等問題推進委員会は1983(昭和58)年度に解散したが、1984(昭和59)年には空き缶等環境美化推進連絡協議会が設置され、1997(平成9)年には、関東甲信越静美化推進連絡協議会に名称変更された。
ごみ減量・リサイクル推進週間。
廃棄物の減量化や再生利用を促進するための各種啓発活動を行なう週間。期間は毎年5月30日から6月5日までで、これは「ごみゼロの日」を初日とした1週間である。ごみ減量化推進週間は、後に所管が環境省に移され、1997(平成9)年には、ごみ減量・リサイクル推進週間に改称された。廃棄物の減量化や再生利用を促進するための各種啓発活動を行なう週間で、期間中は、各種啓発活動が行なわれる他、各地で路上の清掃等の美化清掃活動が行なわれている。なお、この期間は「ごみ散乱防止強調週間」にもなっている。 
掃除機の日。
東京都千代田区一番町に本部を置く、電力・産業用電気機器(重電機器)、家庭用電気機器(白物家電)のメーカー団体(工業会)である社団法人日本電機工業会(現在は一般社団法人へ移行)の掃除機委員会が、掃除機を活用した掃除をして「ごみゼロ」を達成してほしいと、1986(昭和61)年から「お掃除の日」として実施し、1997(平成9)年に「掃除機の日」と改称した。ダニやカビが多く発生する梅雨どきに向けて、掃除の大切さを呼掛ける日。掃除機は、ゴミやホコリを容器内に回収する電気製品(清掃用具)である。様々な方式(タイプ)があり、広く使用されている方式は、送風機により負圧(陰圧)を作り出して、床等のや埃や塵やゴミを吸引し、エアフィルターで埃・塵・ゴミ類と空気を分離し、ゴミだけを容器内に回収するタイプである。陰圧を用いるタイプは、英語では「ヴァキュームクリーナー」等と呼んでおり、その影響で(あくまで陰圧であり真空ではないが)日本語でも「真空掃除機」と呼ぶことがある。近年では、主として渦(遠心力)を利用して空気と埃・塵類を分離する方式(サイクロン方式)のものの割合も増えている。日本で発売された最初の電気式真空掃除機は、芝浦製作所(大手総合電機メーカー、東芝の前身)が1931(昭和6)年に発売したアップライト型(ホウキ型と呼ばれていた)であった。登場から暫くの間、電気掃除機は贅沢品であった。しかし第二次世界大戦後は、中流階級でも徐々に一般的になり、特に、絨毯を多用する西洋で先に一般化した。世界の他の地域では、木やタイルや畳の床が一般的で、掃除機を使わなくても、ほうきや雑巾やモップで十分掃除できたためである。日本では、進駐軍(連合国軍最高司令官総司令部[GHQ])の家族団地「ワシントンハイツ」(現在の東京都渋谷区代々木に所在)に於ける電化製品メンテンス工事を、調達業務を担っていた特別調達庁(SPB)から請け負っていた東京の太平興業(現在は、トラックやバス等を取扱う自動車販売会社)が、アメリカ製品を参考に1949(昭和24)年に自社開発し、秋葉原(東京都千代田区の秋葉原駅周辺)等で販売を開始した。しかし、当時の日本家屋の殆どが畳と板間であり、「はたき」や「ほうき」でサッサとゴミを家の外に掃出す方が簡単で早かったため、真空掃除機は殆ど普及しなかった。その後、1960年代に団地(公営団地)ブームが起こると、近所迷惑のため家の外にゴミを掃出すことが難しくなり、ほうきの簡便さが半減したため、まず掃除機は、団地に受入れられた。1950年代半ばに日本住宅公団(現在の都市再生機構[UR都市機構]の前身)によって建設が始まった、いわゆる団地(公営団地)の代表的な存在である公団住宅は、水洗トイレ、風呂、ダイニングキッチン、ベランダ等を取入れ、近代的なものとして憧れの住宅となっていた。また、団地や新しい家には洋室が取入れられ、(土足ではないのに)絨毯が流行したために、ほうきでは掃除しにくくなり、絨毯の毛の中に溜まったホコリによって、ノミが大量発生することも多かった。このため、真空掃除機の優位性が高まり、それ以降は一般家庭に普及し始めた。初期の真空掃除機は、使い捨てではない布フィルター等が使われていたため、ゴミ捨ての時は大量のホコリが舞い、また、フィルターを水洗浄をしないと吸引力が回復しない等の面倒が多く、敬遠する人も多かった。しかし、紙パック式真空掃除機が1980年代の初め頃に発売されると、使い捨ての紙パックフィルターによって、これらの問題が一気に解決されたため、殆どの家庭に普及するようになった。さらに、1990年代になると、サイクロン式掃除機が増えてきたが、その原理は古くから知られており、1928(昭和3)年からサイクロン式掃除機を製造していた会社もある。近年のサイクロン式掃除機は、1985(昭和60)年にイギリスの工業デザイナー、ジェームズ・ダイソンが工業用粉体分離器にヒントを得たものである。このアイデアに感銘を受けた、東京都新宿区に本社を置く家庭用機器、事務機器のメーカー、シルバー精工がライセンスを取得して製造・販売に乗出す等、当初は日本で高く評価され、1993(平成5)年にイギリスでサイクロン式掃除機1号機の「DC01」が200ポンド(概ね40,000円程度)で発売された。普通の掃除機の約2倍の値段であったため、売れないと思われたが、ジェームズ・ダイソンが創業したイギリスに本拠を構える電気機器メーカー、ダイソンは、今ではイギリスで最も売れている掃除機ブランドとなった。1997(平成9)年には、精密機器メーカーのミノルタ(現在の電気機器メーカー、コニカミノルタの前身の1つ)がロボット型掃除機の「ロボサニタン」を発表。製品化には至らなかったが、メディアで報じられ、清掃業者等から反響があった。そして2000年代になると、アメリカのロボットメーカー、iRobot社が製造・販売するロボット掃除機、ルンバ等に代表される、製品化された家庭用ロボット掃除機が登場するようになった。その他、健康志向の高まりを受け、排気が従来に比べ綺麗で、空気清浄機代わりにもなる掃除機や、風圧で本体が宙に浮く掃除機等も登場している。現在では、サイクロン方式、紙パック方式とも、排気がクリーンな高級機種が増えつつある。また、モーターの運転音が殆どしない機種も増えている。サイクロン方式は、ゴミ捨てやフィルターのメンテナンスを厭わないユーザーに人気があり、逆に、紙パック方式は掃除を簡単に済ませたいユーザーに人気がある。一般に、サイクロン方式は、同クラスの紙パック方式よりも価格が高めに設定されていることが多い。現在では、概ね、サイクロン方式と紙パック方式が共存している状態である。