5月28日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ゴルフ記念日。
1994(平成6)年に制定されたもので、大阪市住之江区南港北に本社を置く総合スポーツ用品メーカー、美津濃株式会社(ミズノ)のフラッグシップショップで、東京都千代田区神田小川町に所在するエスポートミズノが募集した「スポーツ記念日」の1つ。1927(昭和2)年、第1回日本オープンゴルフ選手権競技が横浜の程ヶ谷カントリー倶楽部で開催された。この時の参加者は、プロ選手5名、アマチュア12名で、アマチュアの赤星六郎選手が優勝した。これが、今のゴルフブームの出発点との考えから生まれた記念日で、ゴルフのさらなる発展を目的としている。赤星六郎は、日本人として初めて海外トーナメントで優勝した人物でもある。また、釣りにも熱心で、毎年夏になればゴルフそっちのけで釣りをしていたというが、古い釣り針が脚に刺さったことが元で敗血症(感染に対する制御不能な生体反応に起因する、生命を脅かすような臓器障害)を起こし、1944(昭和19)年3月25日に42歳で没している。日本オープンゴルフ選手権競技は、日本のプロゴルフメジャー大会の1つで、日本のアマチュアゴルフを統括する日本ゴルフ協会(JGA)主催競技でもある。第1回大会以来、日本のトッププロとトップアマチュアが出場し、日本の男子プロゴルフを統括する日本プロゴルフ協会(PGA)主催のプロゴルフメジャー大会(公式戦)の1つである日本プロゴルフ選手権大会と並ぶ、ビッグイベントに成長した。第1回大会が開催された程ヶ谷カントリー倶楽部は、1922(大正11)年に、18ホールを備えた日本初の本格的なチャンピオンシップコースとして発足した。翌1923(大正12)年4月には、日本での黎明期にゴルフ選手、指導者、コース設計者として活躍し、近代日本ゴルフ界の礎を築いた大功労者である赤星四郎(赤星六郎の兄で、程ヶ谷カントリー倶楽部の会員でもあった)が設計したコースが、現在の横浜市保土ケ谷区に完成した(この地は、1974(昭和49)年から、日本の国立大学の中で、唯一大学名に「国立」の文字が入る横浜国立大学の常盤台キャンパスとなっている)。1967(昭和42)年には、現在地の神奈川県横浜市旭区に移転している。赤星四郎は、アメリカに留学し、アメリカンフットボールの選手として活躍したが、帰国後、ゴルフに打込み、第1回日本オープンゴルフ選手権競技では4位に入る等、ゴルフの腕前は日本トップクラスの実力であった。コース設計者としても、ゴルフ場史に名を刻む遺産的なコースを遺している。ゴルフは、スポーツとして広く親しまれているが、一般人によるプレーは、レジャーとして位置付けられる場合が多い。個人が静止したボールを打つため、対戦相手と直接打合う球技ではない。一般に精神力が重要とされ、精神力7割技術力3割とも言われている。プロゴルファーでさえ、プレッシャーのため、僅か30cmのパットを外すこともある。基本的に個人で行なう球技ではあるが、団体戦もある。個人戦の場合においても、競技者(ゴルファー)とコースを同伴するキャディがいる。キャディはクラブを持運びするだけではなく、競技者にアドバイスできる唯一の存在となる。このため、名選手の陰に名キャディありとも言われる。アマチュアにおいても、プロゴルファーを目指すのでもない限り、中高年から始めることも可能で、比較的高齢となってもプレーを楽しめる。自分の年齢よりも低い打数で1ラウンドを終了(エージシュート)した者は、「エイジ・シューター」と呼ばれ、ゴルファーの尊敬を集める。ホールインワン(1打でカップに入れること)の達成者は、ゴルファーの羨望の的となる。日本でアマチュアゴルファーがホールインワンを達成した場合には、記念としてゴルフ場に記念植樹をしたり、祝宴を開いたりすることが慣習になっているために、その出費に備えて、ホールインワン保険に加入する者もいる。一方で、日本のみ、プロの試合でホールインワンを達成すると、達成した選手に特別賞のホールインワン賞(賞金・賞品)が贈呈される。普通にプレーしようとすると、用具代やプレー代等の費用が掛かり勝ちなスポーツであり、経済的余裕がある者が主に楽しむ競技とされる。しかし、最近は、特に平日等、格安でプレイができるところもある。日本では、純粋にスポーツとして楽しむというよりも、主に業務での取引先企業等の接待が絡んだゴルフのプレイも数多く行なわれる。ゴルフは、イギリス発祥の紳士のスポーツとして知られるが、その起源については、現在のイギリス北部に所在するスコットランドを筆頭に、オランダ、中国等、世界各地に発祥説があり、定説がない。ただ、起源には諸説があるものの、現在のゴルフというスポーツが発展し、完成して近代スポーツとなったのが、スコットランドであることは間違いない。初期のゴルフでは、現在のような整備されたコースはなく、モグラの穴を利用してゴルフを楽しんでいたと言われる。また、スコットランド地方でゴルフという競技が確立した頃は、パーという概念は存在していなかった。ゴルフが爆発的に広まるのは、1880年代にイングランドでゴルフブームが起きてからである。イングランド各地にゴルフ場が建設され、さらに1890年代にはアメリカでも流行が始まり、また、イギリス人によって世界各地にゴルフ場が建設され、ゴルフは世界的なスポーツとなっていった。日本における最初のゴルフ場は、1903(明治36)年に兵庫県神戸市市街地の北東部にある六甲山に作られた神戸ゴルフ倶楽部である。これは外国人向けのもので、日本人による日本人のためのゴルフ場は、1913(大正2)年に財政家・政治家の井上準之助らによって作られた東京ゴルフ倶楽部(現在の東京都世田谷区駒沢に所在)が最初である。現在では世界に広まり、各国にプレイヤーが存在し、ゴルフ場も多く設置されているが、その数はアメリカ合衆国が約半数を占め、圧倒的に多い。なお、1903(明治36)年5月24日、日本初のゴルフ場『神戸ゴルフ倶楽部』がオープンしたことから、5月24日は「ゴルフ場記念日」とされている。ゴルフは、イングランド起源のスポーツ、サッカーやラグビーと同様に、基本的なルールは簡単である。ゴルフのルールは簡単に言えば「あるがままに打つ」が基本原則となっている。プロトーナメントにおいては競技委員がいるが、本来は、自分の他には審判がいないスポーツである。ルール上はボールの交換のように、他の競技者の確認が必要な場合もあるが、あくまでも競技者自身が審判であり、ルールはもちろんのこと、マナーをも守る「自律」が非常に重視されるので「紳士のスポーツ」と呼ばれている。ゴルフは、1900(明治33)年の1900年パリオリンピック(第2回オリンピック競技大会)、1904(明治37)年のセントルイスオリンピック(第3回オリンピック競技大会)で実施されたが、その後は長く、オリンピック実施競技とならず、2016(平成28)年のリオデジャネイロオリンピック(第31回オリンピック競技大会)で、1チーム当たり7人の選手で、より短時間で行なわれるラグビーユニオン(15人制)の変種、7人制ラグビーと共に、ゴルフの正式競技への採用が決まった。日本で開催される2020(令和2)年の東京オリンピック(第32回オリンピック競技大会)では、ゴルフ競技は、国際ゴルフ連盟(IGF)が管轄して実施され、会場は、埼玉県川越市の霞ヶ関カンツリー倶楽部で、男子は7月30日から8月2日、女子は8月5日から8月8日まで実施される予定であった。実際には、新型コロナウイルス感染症(COVIDー19)の世界的流行を受け、1年延期して開催され、男子は2021(令和3)年7月29日から8月1日、女子は8月4日から8月7日まで実施され、女子競技の稲見萌寧は、2位タイに並んだ2名によるプレーオフを制して銀メダルを獲得し、日本の選手では、オリンピックのゴルフ競技で初のメダル獲得者となった。ゴルフ界草分けの人々の努力で誕生した、80年以上の歴史を誇る伝統コースで、埼玉県最初のゴルフ場でもある霞ヶ関カンツリー倶楽部は、1929(昭和4)年の開場で、コースの設計者の1人に赤星四郎が含まれており、 1932(昭和7)年には、日本で最初に36ホールを持つゴルフ場となる。1957(昭和32)年、日本で初めて開催されたゴルフのワールドカップ(第5回東京大会)(当時は「カナダカップ」といった)が、東コースを舞台に行なわれた。ゴルフが史上初めてテレビ中継され、中村寅吉が個人優勝、中村寅吉と小野光一組が見事に団体優勝を果たし、日本に一躍ゴルフブームが起こった。